「加持感応の原理 (那須政隆)」
真言祈祷はこのように三密平等の形式を通じて法界曼荼羅の境地に入住するものであるから霊験が得られるか思い悩む必要は無い。人間的生命の必然的要求によって祈らざるを得ずして祈るのが祈祷である。祈祷は元来衆生引入の方便的施設であって祈祷の形式を通じて曼荼羅に引き入れるためのものであるから祈ることそれじたいがもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうち任せるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地に恵まれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」
真言祈祷はこのように三密平等の形式を通じて法界曼荼羅の境地に入住するものであるから霊験が得られるか思い悩む必要は無い。人間的生命の必然的要求によって祈らざるを得ずして祈るのが祈祷である。祈祷は元来衆生引入の方便的施設であって祈祷の形式を通じて曼荼羅に引き入れるためのものであるから祈ることそれじたいがもはや結果なのである。祈祷の秘訣は自己のすべてを祈祷にうち任せるか否かにある。結果の如何を思い煩うものには到底真の霊験は望みえない。日夜に祈って倦まなければ必ず福智円満の悉地に恵まれ人間最上の法楽三昧を獲得するであろう。」