福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

聖徳太子頌徳文(森鴎外)

2024-06-27 | 法話

「聖徳太子頌徳文

皇國文明啓發ノ先覺技藝外護ノ恩師

上宮聖徳太子ノ尊前に畏み惶みて申さく抑太子は天賦英明の資を以て上は堯天舜日の化を翼賛し下は田甲戸丁の業を扶植し給へり。憲法を制定し以て政道の規範を萬世に垂れたまへり。強大なる隣邦に交るに皇國の尊厳を保ち辭令の厳明なる千載の下為政者をして襟を正さしめ給へり。教寺を開て佛典を講説し國社を定めて神道を闡明し(日本書紀卷第廿二・推古天皇十五年二月「戊子(七日)、詔して曰く、朕(あれ)聞く、曩者(むかし)、我(あ)が皇祖天皇等(みおやのすめらみことたち)の世を宰(おさ)めたまへること、天に跼(せぐくま)り、地に蹐(ぬきあし)して、敦く神祇を禮(ゐやま)ひ、周(あまね)く山川を祠り、幽に乾坤に通はす。
 是を以て陰陽(ふゆなつ)開け、和(あまな)ひ、造化(なしつくること)共に調へり。今、朕が世に當たりて、神祇を祭祀(いはひまつ)ること、豈に怠り有らむや。故(か)れ、群臣(おみたち)共に為に、心を竭して、宜しく神祇を拝(ゐやま)ひまつるべし。」

學校を設けて儒教を考究し、三教茲に立て人心をして帰向するところを知らしめ給へり。互市を開きて百貨を通し沼地を鑿ちて灌漑に利し、施薬院を興して醫藥を給し、悲田院を創めて無告の民を救ひ、以て天下の民をして一人も其の所を得ざるもの無からしめ給へり。(聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。四箇院とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院。

殊に美術工藝文學音學の興隆孰れか太子外護の賚(たまもの)にあらざらん吁無形に於いては教主たり、有形に於いては恩師たり。茲に一千三百年の遠諱に際會し帝國美術院會員等深く太子の遺澤に浴するを喜び蕪辭を抒(の)べて太子の遺徳を讃歎し奉る。仰ぎ願くば會員等の至誠を納受ましまして斯道の隆盛を守らせ給へ。敬て白す。

大正十年四月十五日

帝国美術院長醫學博士文學博士 森林太郎」

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