地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の9/13
九、半作地蔵靈験の事
東山雲林寺の傍に老尼あり。地蔵菩薩を信ず。此の尊は今世後世能く引導し玉ひまことに利益の程きはまりなきと聞きけるほどに佛師定朝にあつらへて地蔵を造り奉る所に代を聞きければ御長一尺ばかりの小僧は三貫文(20万円)にて造るべしと申しければ先ず半分をあたへける。さるほどに自然の懈怠にとりまぎれて二三年過ごしけるぬ、彼尼にわかに大切の病に犯され子の時より明け辰の刻(24時から8時)にいたるまで絶入てける。胸のもとすこしあたたかなるばかりにて皆其の餘は死したりけるをあやしく思ひ葬ふまでありしが、辰の刻の末に口少し開きて南無地蔵と唱奉る由ぞありける。さては左こそあるらめと並居たりける人々同音に名号をとなへけるに漸く声も高くきこへければ心付、なみだをながして申しけるは我が身は古井の底のやうなる所の闇中にをちいりて沈み果しを、少人(をさなきひと)とをぼへて其の長さ一尺(30㎝)あまりに見へて手も足もかたはいばかりにて人にも似ぬが来たり玉ひて、あなあさましとて彼此に走りまはえりて周章騒ぎして我をもちあげんとし玉ふ人あり。されども幼してちからなく、いかがして助けんとさりともと押し上げ玉ふ。あまりうれしさに誰人にて御座(をはしま)すと問へば、吾汝を助けんとするに汝が罪業成就して其の身の重きことはたとへん方なし。吾造立未だ未熟にて力弱し。せめて音をあげて南無地蔵と唱ふべし。其の音を力として救ひたすけんとの玉ひつる。うれしさに一心に唱奉るほどにやうやく我が身軽くなり、すくひあげられて生活(いきかへ)りけり。爰まで送りて皈り玉ひつるを見奉りけるに尼が先年造りそめまひらせてさしをき奉る地蔵菩薩にてありけるよと思て能く見奉らんとて見上げたれば、世の中も明らかにして人心付きたりとぞかたりける。やがて佛師定朝法師を請じて半造作の佛を迎へ奉りて拝しければ、御頸も躰も様躰ばかりうちまろめければ只少くもたがはずと云て泣きける。人々も皆奇特の思ひをなして感涙をぞ流しける。御誓のほども眼前にあらはれ玉へばいよいよ尊くして急ぎ佛師に浄衣御布施をあたへてもとの價一倍にて造立し奉りける志の至極を佛も御愍ありけるにや、病も元の如くに愈(いへ)ける。現世後世よく引導し玉ふこれなり。称名弘願の力は金剛もくだかず一句信受の徳は永劫にも失せずと云々。
引証。本願經に云、若し福力有りて已に人天に生じて勝妙樂を生じる者は即ち斯の功徳を承けて聖因を轉た増して無量樂を受く(地藏菩薩本願經見聞利益品第十二「是人若能塑畫地藏菩薩形像。乃至聞名一瞻一禮。一日至七日莫退初心。聞名見形瞻禮供養。是人眷屬假因業故墮惡趣者。計當劫數。承斯男女兄弟姊妹。塑畫地藏形像瞻禮功徳。尋即解脱生人天中受勝妙樂者。即承斯功徳轉増聖因。受無量樂」)。