地蔵菩薩三国霊験記 1/14巻の1/9
地蔵菩薩霊験記序。蓋し聞く、菩薩の弘誓三有に遍くして、衆生を利し薩埵の慈悲六趣に通しめ群類を導く。王氏一偈の文を持して閻王の責を免る。
寶達三有の光を放ちて自ら沙門の獄を済ふ(仏説仏名經卷第三十に寶達菩薩が地獄に釈尊を案内して地獄の沙門達を救った話)。或は比丘の像を現し悪人の前に顕れたまふ。或は異類の身を示し凢方の輩に同ず。和光利物の功良諸餘の大士に超ず。仍って世人の言語を傳て聊か地蔵霊験を記す耳。若し人此の記を見、若し斯の記を聞く者は、或いは彼の記を謗る仁(ひと)、或いは之を誉る輩、共に地蔵の弘誓の船に乗らしめ、同じく涅槃の岸に到りて必ず大覚の位を證せん哉。
地蔵菩薩霊験記第一目録
地蔵菩薩。名義、無佛世界の事、六種地蔵の事、如意珠の事、錫杖の事、大悲代受苦の事、不取正覚の事。
- 一、三井寺別院正法寺の地蔵、上座實叡に夢想を示し玉ふ・
- 二、奥州平孝義の即従、出世地蔵の像を掘出し奉る事。
- 三、西京の僧蔵観房祈求の生身の地蔵を拝し奉る事。
- 四、専當法師蘇生の事、付けたり俱生神の事。
- 五、武蔵介用方靈感を蒙る事。
- 六、叡好法師肥前國に於いて生身地蔵を拝し奉る事。
- 七、仁康法師示現に依り地蔵講式を行ふ事。
- 八、阿清房活(よみがえる)事。
- 九、和州吉野郡尼公地蔵尊を造る事。
地蔵菩薩三國霊験記巻一
大凢地蔵菩薩は大慈大悲の薩埵佛前佛後の導師、更に十方一切の賢聖に超過して無佛世界に益物を示し三世所有の諸大士に踰越して濁世の郡類を利し玉ふ。大覚世尊忉利の喜見城(須弥山の頂上の忉利天にある 帝釈天の居城)中に於いて金色の臂を舒べて、百千万億不可思議不可量不可説の無量阿僧祇世界の諸化身地蔵菩薩摩訶薩の頂を摩して慇懃に附属の宣勅あり。曰く、汝が神力慈悲ありて不可測なり。我が滅度後の衆生を以て悉く汝に不付すと。(地藏菩薩本願經分身集會品第二「汝當憶念。吾在忉利天宮殷勤付囑。令娑婆世界至彌勒出世已來衆生。悉使解脱永離諸苦遇佛授記 爾時諸世界分身地藏菩薩。」)尒時に地蔵菩薩すなはち定慧の掌を合わせ楞厳の躬を曲て利生大悲の丹誠を傾けて済度の方便告勅を受け玉ふ。此を以て六趣苦悩の衆生を救て六趣地蔵の御形を現じて應用無窮なり。地蔵とは大悲闡提の薩埵、一切有情の依怙、能満具足の尊號なり。地とは万物生成して嫌倦疲労なし。所謂後得大慈の智躰分ち下りて此の菩薩と成り能の一切衆生を哀愍して疲れ倦み玉ふことなく平等にして普く利す。復次に地は能く万寶を生成して尽きる時なし。万善恒沙の功徳を満足して尽きることなきが故に地と云ふ。大旨如是の惣じて大地に十種の勝徳あり。畢竟此の菩薩の大悲大願の不可思議の徳を表するなり。復次に蔵とは貯積の義なり。この薩埵慈悲廣大の願力を以て一切衆生を所依止として大慈代苦更に好悪を擇ばず。普潤の法雨を灌ぎ群生枯渇を長茂し佛種正覚の萌芽を生成せしめて、七聖財(さとりを得るための、七種類の教え。すなわち、信・戒・聞・慚・愧・捨・慧)を出産し業苦煩悩の毒病を治する功徳善方の藥艸を生じ能く服するものは病毒に動ぜざることなし。延命地蔵經に曰、或は醫王の身を現じ或は薬艸の身を現ず等云々(佛説延命地蔵菩薩経「佛告帝釈「 善男子、諸法空寂、不住生滅、随縁生の故に色身不同にして性欲無量なれども普く得度を為したまふ。延命菩薩は或は佛身を現し或は菩薩身を現し或は辟支佛身を現し或は聲聞身を現し 或は梵王身を現し或は帝釈身を現し或は閻魔王身を現し或は毘沙門身を現し或は日月身を現し或は五星身を現し或は七星身を現し或は九星身を現し或は轉輪聖王身を現し或は諸小王身を現し或は長者身を現し或は居士身を現し或は宰官身を現し或は婦女身を現し 或は比丘比丘尼優婆塞優婆夷身を現し或は天龍夜叉人等身を現し 或は醫王身を現し或は薬草身を現し或は商人身を現し或は農人身を現し或は象王身を現し或は師子王身を現し或は牛王身を現し或は馬形身を現し或は大地形を表し或は山王形を現し或は大海形を現す。三界のあらゆる四生五形は變ぜざるところなし」)。内証には一躰三宝(仏・法・僧の三宝が一体)の妙理を持し、外に九界三有の衆苦を済ふ。此れを世間の庫蔵の中に財宝粟穀を貯積して貧窮困乏の衆民に賑給に喩ふ故に蔵と名く。亦密の心を以て名義を釋せば凢そ此の菩薩は中心の不動阿字の本躰なれば即ち是真浄菩提の心を表して名を立つなり。されば地蔵不動一躰の習あり。法身自躰遍きが故に能く隨縁感應して普く色身を現ずるが故に地蔵と名く。法性実際秘密寶蔵。菩薩とは略なり。具には即ち菩提薩埵摩訶菩提薩埵と云ふ梵語を此に翻じて道心大道心と云ふ。謂く上求菩提下化衆生二利常に修して疲倦せず無數百千劫に所作圓成して前佛の記別を授け終に覚城に昇て成道を唱ふ。今此地蔵菩薩は無数億劫を經歴して一切有情界を済ふに厭怠せず、大悲闡提の願力を以て成正覚の期なし。實に大道心の薩埵なり。無佛世界とは凢そ冥境は罪悪の人の依處、三途は八難の界趣なり。佛の出世あるべからず。大悲闡提の薩埵若しくは彼に往きて説法度人し玉ふと云ふ佛の出世は獨り南州にあり。東西北の三州は唯菩薩の説法利生あり。復南閻浮提に於いて佛の出世其の時あり。所謂増劫の時は有情の福力勝が故に五欲自在にして厭離を求むることなし。此の故に佛の出世なし。劫末には濁悪至極にして有情の福徳缺耗する。此の故に佛の出世なし。唯減劫の中、一切有情の福徳ある時に苦楽相交り厭欣の心起こりやすきを以て佛即ち機を鑑みて出世し給ふと云ふ。されば十輪経に曰、此善男子已に無量無数大劫五濁悪時無佛世界に於いて有情を成佛せんと云々(大乘大集地藏十輪經序品第一「爾時世尊。告無垢生天帝釋曰。汝等當知。有菩薩摩訶薩名曰地藏。已於無量無數大劫。五濁惡時無佛世界成熟有情。今與八十百千那庾多頻跋羅菩薩倶爲欲來此禮敬親近供養我故。觀大集會生隨喜故。并諸眷屬作聲聞像將來至此。以神通力現是變化。」)。復次に分身して衆生を度利し玉ふ相を明さば本願経に曰、我久遠劫より来た佛の接引を蒙り、不可思議の神力を獲て大智慧を得せしむ。我が分つ所の身は百千万億恒河沙世界に遍満す。百千万億の身を化し一身毎に百千万億の人を度す。三宝を歸敬して永く生死を離れ涅槃樂に至らしめん云々(地藏菩薩本願經分身集會品第二「我從久遠劫來蒙佛接引。使獲不可思議神力具大智慧。我所分身遍滿百千萬億恒河沙世界。毎一世界化百千萬億身。毎一身度百千萬億人。令歸敬三寶永離生死至涅槃樂但於佛法中所爲善事。一毛一渧一沙一塵。或毫髮許。我漸度脱使獲大利。唯願世尊不以後世惡業衆生爲慮。如是三白佛言。唯願世尊不以後世惡業衆生爲慮」)。且らく六種の生に於いて其の類に随って身を分けて現じ衆生を教化し玉ふ。蓋し身躰は其の名に應ずれば名に六種の不同あり。畢竟は隋類各得益の善巧方便なり。今略して六種の地蔵を明さんと欲するに異説ありて一定せず。先ず一に占察地蔵左手に瓔珞を持し、右手に錫杖を曳きて地獄道を救ふ。二に無畏地蔵は左手に如意珠を持し右手に施願印を作す。餓鬼道の能化なり。三に観察地蔵は合掌して畜生道を救ふ。四に勝輪地蔵は左の手に旗を掛け右の手に施無畏の印を作して修羅道を化す。五に空勝地蔵は左の手に香盧を擎げ右の手に施願印を作して人道を導く。六に不休息地蔵は左手に如意珠を持し、右手に錫杖を握って天道を化すと云々。又地蔵とは菩薩の惣号なり。其の別名は地蔵達多菩薩地蔵寶珠菩薩地蔵寶印菩薩地蔵持地菩薩地蔵日月菩薩地蔵除蓋障菩薩、是六種の地蔵、次第の如く六道を度救し玉ふと。或は又寶處、宝珠、持地、宝印、堅固、堅固意の六を名く。其の外種々の異説あれども別に所要なきことなれば且く一二の名を知らしむるのみなり。されども亦た十王經の中に列し玉ふ六種の地蔵の名義を明かして薩埵の抜苦の端を知らしむべし。
(仏像図鑑によると三つの系統があるということです。
一、地蔵菩薩発心因縁十王経による「予天賀、放光王、金剛願、金剛宝地、金剛悲、持地」菩薩。二、持地、陀羅尼、宝性、法性、鶏亀、法印菩薩。三、護讃、弁尼、破勝、延命、不休息、讃龍地蔵、というものです。さらに胎蔵曼荼羅地蔵院には宝手菩薩、宝処菩薩、持地菩薩、宝印菩薩、宝手菩薩、堅固意菩薩、がおられます。)
・第一に預天賀地蔵は左に如意珠を持し右手には説法印なり。諸天人衆を利すると説て天道能化の相を示すなり。預はあずかると訓じ菩薩の大慈の神力不思議なれば諸人の慶賀にあずかるとの心なり。如意珠とは天上の勝寶なり。無量の寶を雨ふらし能く其の求るところを満足せしむる。亦摩尼寶は即ち如意珠なり。天台の曰、摩尼とは如意也と(佛説觀無量壽佛經疏・天台智者大師説 「第五結觀。摩尼者。如意珠也。八功徳者。輕清冷軟美不臭。飮時調適飮已無患。清是色入。不臭香入。輕冷軟是觸入。美是味入。調適無患是法入」)。是即ち一切有情をして福徳庄厳せしめ自在円満の相を標すなり。十輪経に曰、地蔵菩薩一切有情を利益安楽せしめ、諸有情の所願をして満足せしめ玉ふこと如意珠の如し、亦伏蔵の如し云々(大乘大集地藏十輪經序品第一「地藏菩薩利益安樂一切有情。令諸有情所願滿足。如如意寶亦如伏藏。如是大士。爲欲成熟諸有情故。久修堅固大願大悲勇猛精進過諸菩薩。是故汝等應當供養」)。右手説法印とは空(親指)火(中指)両指を相捻じ三指は散立す。謂く空火は次の如く願智の二波羅蜜なり。相捻するを以て説法自在を標す。是天上化度の菩薩の相なり。
・第二、放光地蔵は左手に錫杖を持し右手は與願の印なり。雨をふらし五穀を成らしむと説きて人道能化の相を明かすなり。先ず光を放つとは光明は智慧より生ず。地蔵菩薩は唯大悲の甚深なるのみならず智慧福徳も廣大なり。悲智円満の薩埵なるを以ての故に其の利生の時にのぞむでは放光明自在の徳を顕し玉ふ。唐の益州法聚寺の像、光明を照出し玉ふこと法苑珠林に記せり。下に略出せり(法苑珠林卷第十四「唐益州郭下法聚寺畫地藏菩薩。却坐繩床垂脚。高八九寸。本像是張僧繇畫。至麟徳二年七月。當寺僧圖得一本。放光乍出乍沒。如似金環。大同本光。如是展轉圖寫出者類皆放光。當年八月勅追一本入宮供養。現今京城内外道俗畫者供養。並皆放光。信知佛力不可測量」)。錫杖を持し玉ふこと要覧に曰、梵には隙棄羅と云ひ此には錫杖と云ふ。いふこころは振る時に錫の聲を作すが故、十誦律には聲杖と名け、錫杖經には智杖、亦徳杖と云ふ、智行功徳を標彰との義なり。(釋氏要覽卷中「錫杖 梵云隙棄羅。此云錫杖。由振時作錫聲故○十誦云聲杖○錫杖經云。佛告比丘。汝等應受持錫杖。所以者何。過去未來現在諸佛皆執故。又名智杖。又名徳杖。彰顯智行功徳本故。聖人之表幟賢土之明記道法之幢」)原(たずぬ)るに佛の在世の時比丘は乞食して活命す。佛弟子の比丘、乞食して長者の家に入る。能く知る者は食を捧げて供養す。知らざる家は遂に毀謗をなしてあざけるほどに、比丘即ち佛に白しければ佛の言はく、聲を作て驚せしめよと。比丘即ち呵々朗々の聲を作すに喧を以て弥々毀り詈るが故に復拳を以て門を扣きて乞ふ、家人等あやしみて門を破るやと。比丘又對へず。猶々そしりを受く。佛の言く、錫杖を作りて鳴らしめよと制法を教へ是を作らしむ。揺動して振聲を作を以て驚覚せしむ。四股十二環は釈迦佛の所制なり。二股六環は過去迦葉如来の所制なり。凢そ錫杖を持するに多事あり。此の杖に依れば煩悩を除いて三界を出ると云々(釋氏要覽卷中「迦葉白佛。何名錫杖。佛言錫者輕也。倚依是杖。除煩惱出三界故。錫明也。得智明故。錫醒也。醒悟苦空三界結使故。錫疏也。謂持者與五欲疎斷故。若二股六環。是迦葉佛製。若四股十二環。是釋迦佛製 」)。又悪虫毒獣を摧伏して菩提心を発す等具に錫杖經の文を見るべし。(以下九条錫杖經
の功徳あればなり。與願の印とは謂く、臂を竪て五指を散立す。一切有情の願求を施し與るの義なり。雨をふらすとは大地交感してあれば風雨時に従ふ義なり。三宝に皈依し一心に丹誠を以て祈求せば天地も感ありて甘露を雨ふらし給べしとの経文十輪等に明白なり。霊験を蒙ること下に間(まま)あり見るべし。五穀は異説あり。且く禾(あは)麦粟黍豆なり。稼檣(かしょく農作業)は皆万民の命を重くするところ天下の重宝なり。今是地蔵の利生によりて風雨時にしたがひ五穀成熟して安穏豊饒の快楽を得べし。十輪経の中に説く諸の有情諸の種を以て荒田或いは熟田の中に殖へて、若し勤めて営務し或いは営務せず、如是に一切の事能く至心称名念誦帰依して地蔵菩薩の供養せし者のあらん此の善男子功徳妙定威神力の故に彼の一切の果実等をして豊稔ならしめ、大誓願力の故に諸の有情を成熟するが故に常に普く一切の大地を任持し普く一切の種子を任持し常に普く彼の一切の有情をして意にしたがって受用せしむ。能く大地をして一切草木の根鬚芽茎枝葉花果皆悉く生長せしめ藥穀苗稼茂實し成熟潤澤、香潔軟美ならんとなり。
・第三に金剛幢地蔵は左に金剛幢を持し右手に施無畏印なり。修羅の幡を靡かすを化すと説て是修羅道能化の相なり。金剛幢とは謂く、堅固庄飾の童(はたほこ)なり。修羅瞋慢の幢幡を轉じて大悲金剛の法幢に易る所以なり。幡を摩すとは阿修羅王及び眷属の修羅各々瞋恚強盛にして兵軍を起こし堅甲利器陳列して幡を靡かし屯を張ると云とも、地蔵菩薩柔和軟忍の大悲を以て修羅の瞋れる心を止めて安泰の地に還し、其の藕孔(ぐうこ・小さい)怖畏の苦を救玉ふ。施無畏とは右の掌をひらきて右の膝の上に置玉ふ。
・第四金剛悲地蔵は左手に錫杖を持し、右手に引接の印なり。傍生の諸趣を利すと云々。是畜生道の能化の相なり。引接の印とは九品来迎の佛印、深秘あり云々。傍生諸趣とは畜生の形類一ならず、水陸空行住處も異に身量大小差別あり。悉く前世痴愛に縈はれ慧命を塞ぎ放蕩縦逸にして無道不信なり。故に此の中に堕在せり。然るに今是の地蔵の大悲願力を以て彼の種類に随って當當の身形を受け抜苦與樂せしめ玉ふなり。
・第五金剛宝地蔵は左手に宝珠を持し右手は甘露印なり。餓鬼に施し飽満せしむと説き玉ひて餓鬼道の能化の相なり。宝珠を持すとは一顆の如意寶珠を左手に持し餓鬼困苦の患を救ひ玉ふ。故に金剛宝と云なり。甘露印とは五指を少し屈て掌を啓く、所謂掌の中に天の甘露を生ぜしめて以て鬼類の渇乏を潤澤す。法華の中に、頭上に火燃飢渇熱悩して周章悶走と云此の相なり(妙法蓮華經卷第二譬喩品第三「又諸餓鬼 頭上火燃 飢渇熱惱 周章悶走」)。地蔵の大悲大願を以て鬼道の苦患を救玉給ふなり。
・第六金剛願地蔵は左に閻魔幢を持し、右手は成辨の印なり。地獄に入り苦を救ふ等云々。是地獄道の能化を明かす。閻魔幢とは亦檀陀幢と名く。檀陀は梵語なり。譯して人頭と云。所謂閻魔界に檀陀幢有りて亡人の生前所作の罪相を證す。故に名けて琰魔幢と云ふ。地蔵菩薩是を悲愍して檀陀の口を塞ぎ舌を甜しめて罪相を云はしめずと云ふ。成辨印とは施無畏印の別名なり。地獄に入って・救ふとは本願経の中に二十三種の名等具に説き玉へり。所詮五逆十悪誹法誹僧不孝不忠貪瞋諂曲の者は死して必ず無間及び諸の大地獄に墜ちて無量劫を経歴展轉して出る期なし。地蔵菩薩の大悲誓願の故に百千の身を分け恒沙の形を示して一々の地獄に入って方便し亦自ら代て衆生の苦痛を脱せしめ玉ふ。經の中に代苦、代るべきに代らざれば誓って正覚を取らじ等。されば代わるべき者とは或いは罪の軽きと重きとによりて代わると代わらずとの分別あり。謂く軽罪の者は苦を受るも報も亦微(すこし)きなるが故に菩薩自ら代て苦を受るに足らず、但し重業罪悪の者は地獄に堕在せしめ至極の苦痛を受く。是誠に代りて受るは大慈の至切なるほどに代わるべきに堪たり。此を以て代わるべきに於いて代りて苦を受けしめんと云々。亦諸佛の大慈悲は平等にして無縁の衆生を利するにあり。假令有縁を度して苦に代わり無縁を去て苦に代らずとならば正覚を取らじとなり、亦決定業の有情に於いては代るべからず。是不定業の者は得て代るべしと云々。又宗鏡録の中に釈あり。意を取りて記さば一には大悲の意樂を起さしめ、直に自ら苦に代わる。二には諸の苦行を修して能く一切の有情の為に増上縁となるを名けて代苦とす。三には菩薩自ら惑を留めて生を潤し六趣の中に於いて有苦の身形を受けて能く一切有情の為に正法を説て其の有情をして罪悪を造らざらしめ、彼に三塗四悪趣に沈陥して因を亡し果を喪せしむるを即ち代苦と名く。四には若し一切の有情の中に無間の業を造りて永劫の大苦を受くべき者あるを鑑み玉ふとき、菩薩すなはり無畏方便力を以て必ず彼の罪をつくるべきものを命根を断て自ら此の業に因って地獄に落つとも彼をして獄苦を脱せしむ。是を代苦とす。五には菩薩の大悲初発心よりして常に悪趣の間に住して一切の有情に親近結縁乃至若し凶年飢世の時五穀等の食無く糧絶の折節、菩薩即ち身を變現して大魚となりて救ふ。即ち代苦と名く。六には大願と與苦と俱に同じく真性なり。所謂真に即するの大願を以て潜に真に即するの苦を受を名けて代苦とす。七には菩薩所証の大心は即ち法を以て身とし自他の異相を忘じ衆生の受苦即ち是菩薩の受苦なりと知る。此の七の中に初めの一は意樂なり、次の二は結縁なり。次の一は實に代る。後の二は理観なり。此の七意を以て推して知るべし。復次に重苦に代て苦を受け尒らざれば正覚を取じと誓玉ふ。然るに今現に一切の有情九界に没在せり。苦を受ること究り無し。功能無きにあらずや。曰く、凢そ一切の如来因位のとき菩薩の修行を以て各々願誓を発し玉へり、然も悲智の二門を以てす。大悲の故に未来際を尽くして終に成佛の期あるべからず。これによりて観音地蔵等の如き菩薩闡提ついに成佛の時なし。方に大智を以ての故に諸の菩薩念々速やかに成覺す。又十方界諸有の衆生を度せんと悉く尽さんと欲せしに、自ら須く速に能く廣く化すべし。更に昔尽さんと誓玉ふ誠言にたがふことを怖るべからず。何者(なんとなれば)夫れ衆生本来性如なりと了知するが故に化すれどもしかも化する所なし。故に願成就して常に成覚す。成と化と常に悲智自在にして局ることなし。華厳の中に説く如来初正覚を成ずる時自身の中に於いて一切衆生を見るに已に成佛し竟りて已に涅槃し竟れりと即ち此の心なり(大方廣佛華嚴經卷第八「觀一切法。如幻如夢如電如響如化。菩薩摩訶薩。如是觀者。以少方便。疾得一切諸佛功徳。常樂觀察無二法相。斯有是處。初發心時便成正覺」)。自利の成佛、利他の度生、二利の大願満足するがゆへなり。且く上来の文義は理によりて解す。若し事相を論ぜば地蔵菩薩何ぞ事理不二の法を了達氏玉はざらんや。然るに甚妙不思議佛知見に於ては一切無情非情みな佛にあらずと云ことなしと云へども相差別の上には亦歴々として九界分別して苦也樂也迷悟なきにあらず。是のゆへに地蔵菩薩無量無数劫を経て常に有情を度して正覚を取らず一切諸佛の盡衆生の願皆此に集れり。蓋し諸佛菩薩の大悲救世の貯積ところの地蔵と名くと知るべし。得益無量神通妙用の事、十輪経、本願経等に廣く説き玉へり。釈迦牟尼如来既に佉羅帝耶山光味仙人所住處にして天帝釈に告げて説法し玉ふに南方界よりして瑞雲に乗りて地蔵菩薩来詣あり。八十百千那由多頻婆羅の菩薩と俱なりき。如来先ず地蔵菩薩を知て即ち利生大悲の因縁を説き玉ふ。大乗大集地蔵十輪経是なり(大乘大集地藏十輪經序品第一「爾時世尊。告無垢生天帝釋曰。汝等當知。有菩薩摩訶薩名曰地藏。已於無量無數大劫。五濁惡時無佛世界成熟有情。今與八十百千那庾多頻跋羅菩薩倶爲欲來此禮敬親近供養我故。觀大集會生隨喜故。并諸眷屬作聲聞像將來至此。以神通力現是變化。是地藏菩薩摩訶薩。有無量無數不可思議殊勝功徳之所莊嚴」)。復次に如来昔忉利天に昇りて母摩耶夫人の為に説法し玉ふ。十方世界無量無邊の諸佛菩薩天龍鬼神悉く来集す。佛即ち文殊師利菩薩に告玉はく、自界他方の菩薩人天龍衆鬼神等其の數無量なり。吾佛眼を以て観ずるに是皆地蔵菩薩久遠劫より以来救済結縁の者にあらずと云ことなし。是に因て地蔵本願経を説て大慈大悲孝養利益の因縁を開宣し玉ふ、これなり。亦十王經延命地蔵經等皆此の菩薩得度せしめ玉ふ神功を説き玉へり。尤も書寫し安置し讀誦すべし、其の感應を得霊験を蒙るに至りては以て記の中を見るべし。
地蔵菩薩霊験記巻第一
一、三井寺別院正法寺の地蔵、上座實叡に夢想を示し玉ふ
(今昔物語巻十七 改綵色地蔵人得夢告語 第十二にもあり)
三井寺上座 實睿 一条院の御宇長元六年1033の比、金堂の中に於いて破壊したる古き地蔵を見奉り阿弥陀の像を造立し奉る。次に明讃上人を以て彼の古地蔵を請取たてまつり御手幷に蓮華座等實睿修理彩色して別院正法寺に安置し奉り訖ぬ。其後實睿が夢に年の齢十歳ばかりの小僧来たりて膝の上に居る。幼き手を挙げて實睿が頸を抱き給ふ。夢中に是の地蔵を念じ奉る小僧の曰、汝知らず乎吾は是れ三井寺の前の上座の妻の尼の造立せる地蔵なり。小僧の後ろに副(そひ)奉りて法師の形にして釿(をの)を持ちたる者あり。實睿夢中に問て曰、御背に副ひたてまつる人は誰人にて御座す。眼目分明ならず面黒く影は白し。小僧の曰、吾を造る佛師なり。小分の結縁によりて我が影に随て住せしむるのみ云々。又北方を見るに百千の地蔵の像在て皆南方に向て坐し給ふ。如是に拝し奉る夢速やかに覚て彼の佛師信を至して修理したてまつる。小分造彩の費納れざるも是の功に仍る者なり。敬福經に曰、飲酒食肉五辛の徒、聖教に依らず經像を造る事數塵沙の如しと雖も其の福甚だ少なし、蓋し言ふに足らずと、誠なるかな(佛祖統紀卷第三十三「金棺敬福經云。飮酒食肉五辛之人。雖造經像勞而少功。主匠無益諸天不祐三小乘病開」)。斯の如く假令麻豆の大さのごとくなりしも誠言真浄にして造立の功を遂ぐべき事なり。