第十四 発心識体章(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916)等より・・15
(菩提心を心のどの部分で起こすかというと,密教の行者は心の最も深い第八阿頼耶識で菩提心を起こすのである)
次に発菩提心の識体を知るべし。顕教の行者は第六識(第一眼識・第二耳識・第三鼻識・第四舌識・第五身識・第六意識・第七末那識・第八阿頼耶識のうちの第六意識)によりて発心修行するものなり。真言の教法は甚深微細なるがゆえに第六識の智解の及ぶところに非ず。必ず第八識微細分別の力に依る。この故に苟も真言の教法に値遇し深細の教理を縁じて発心する者は其の正機と結縁とを問わず皆悉く第八識(阿頼耶識)に依るなり。故に不空三蔵の曰はく「夫れ修行者の初発の信心は以て菩提心即ち大円鏡智紇哩娜野心(ちりだやしん)と表す。(不空の金剛頂瑜伽略述三十七尊心要に「爾時毘盧遮那如來。於須彌盧金剛摩尼寶峯樓閣。至已。金剛界如來。以一切如來加持。於一切如來獅子座。一切面安立。時大菩提心不動如來。大福徳聚寶生如來。三摩地妙法藏觀自在王如來。毘首羯磨成就一切事業不空成就如來。一切如來加持自身。婆伽梵釋迦牟尼如來。一切平等善通達故。一切方平等。觀察四方而坐夫修行者初發信心。以表菩提心。即大圓鏡智紇哩娜野心。」とあり)。また龍猛菩薩の菩提心論には真言行者の菩提心を無時暫忘(金剛頂瑜伽中發阿耨多羅三藐三菩提心論に「諸仏菩薩昔因地にいましてこの心を発しおわって勝儀行願三摩地を戒と為す、乃し成仏に至るまで時として暫くも忘るること無し」とあり)と釈したまへる等、みな是第八識発心の誠証なり。等しく第八識によると雖も正機の発心は深く、結縁の発心は浅し。これその成仏に一生・隔生の不同ある所以なり。但し結縁機浅略の発心(真言行者にはすぐれた機根の「正機」の行者と、劣った機根の「結縁」の行者あり)も彼の顕教第六発心(顕教の行者は第六意識で発心する)の人に望むるときは機根甚だ深くして功徳はるかに勝ること同日の談に非ず。況や正機の発心をや。