観自在菩薩冥應集、連體。巻2/6・10/24
十相模坊清水の観音を念じて却って恨むる事。
昔京都の村雲と云處に相模坊と言ふ貧しき山伏あり。常に東山の清水寺に参詣して福を祈る事と年月を重ねたれども終に其の効もなし。又隣家に出雲坊と云山伏ありけるが相模坊彼の出雲を度々清水へさそひけれども、あらいやの清水や、うたての観音やと云て終に参ることもなし。或る時種々に諫めて伴ひ参りければ即ち利生ありて金の丸かせを與へ玉ひて出雲はやがて富人となれり。時に彼の相模坊観音を深く恨み奉りて、我貧しき故にこの寺を信じ月詣でせし事数年に及ぶといへども終に其の効もなく、少しの福も與へ玉はず。此の出雲坊には常に我勧めけれども終に参詣せざりしをやうやうに諫めてたまたま一度参詣せしものには忽ち福を與へ玉ふ事、何なる故とも心得難し。佛にも依怙贔屓のありけるにや、と深く恨み奉りければ其の時観音夢に見させ玉ひて告げ玉はく、汝が前世は清水の勧進聖にて多く財宝を取りながら伽藍を疎略にして我が欲を恣にし奢侈を極めし故に其の報ひにて今貧乏なり。されども過去の恩深き故に月詣をなせるものなり。彼出雲坊は前世に牛にて此の寺造立の時多くの材木を引き運び大に苦労せし故に餘習ありて、あらいやの清水や、うたての観音やと云しも尤もなり。されども昔の縁あるが故にたまたま一度参詣せしまま恩を報ぜんとて即ち福を與へたり。何事も前世より定まれる業力なれば少しも我を恨むべからずと明らかに告げ玉へば、相模坊も疑を晴らして我が身の善果なきことを悲しみ弥よ信心怠らず参詣せしとかや。今世間に渡世の為に奉加勧進する者多し。皆堕極の業なるべし。されば在家の人僧を見ては又奉加をや勧むると恐れずと云事なし。一の物語あり。或る愚蒙の入道山中を過るに狼出でて口を張って喰はんとす。入道恐れて懐中より観音経取り出し見せければ、狼口を閉じて逃げ去りぬ。観音の御利生ありがたや。「悉走無辺方」(普門品「若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方」)は是ならんと語りければ、傍らにこざかしき男あり、聞きて曰く、其れは狼殿の心得違いなり。奉加帳なりと思て逃げられたるらんとて大に笑ひき。虚頭に似たれども誠にさもありぬべし。昔比丘あり林下に座禅するに雀ども集まりて花を咥へ来たりて供養しければ却って禅定の障となるが故に佛に問奉る。佛告げ玉はく、重ねて雀来たらば羽一つ乞ふべしと。比丘教に任せて一羽乞ふに雀抜て与へ明日又羽一つを乞ふに諸雀皆瞋って曰く、汝は無欲清浄なりと思て来たり馴れたるに甚だ欲深し。我等は羽なければ飛ぶ事を得ずとて飛び去って再び来ずといへり。又五分律に云く、過去恒河の邊に仙窟あり。仙人常に座禅す。恒河の龍其の徳を慕て出て仙人を周帀する事七帀、弟子等大に怖畏して羸痩たり。仙人教て曰く、重ねて龍来たらば顎下の如意宝珠を乞へと。弟子即ち珠を乞ふに龍去りて再び来ずと。佛偈を説て曰く、乞ふ者は人愛せず、屡すれば怨憎を致す。龍王乞ふ聲を聞きて一たび去って又還らずと。されば三毒の初めには貪を説き、六度の初めには施を談ず。畜生も施せば能く懐き乞ふ時は去る。狼奉加帳を恐れたるも理なり。近代在在處處に奉加の聲耳に聒しく町町辻辻に開帳の札目に溢れたり。若し清浄の心ならば善からん。多分は貪欲より起これり。願はくは官禄を得て天下の開帳と奉加とを先ず二十年ばかり停止せしめたきものなり。