福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は良忍が鳥羽上皇より融通念仏弘通の許可を得た日です

2024-06-09 | 法話

今日は良忍が鳥羽上皇より融通念仏弘通の許可を得た日です。以下大念仏寺ホームページ等に依ります。
「・・(良忍上人は)『後拾遺往生伝』『三外往生記』等に見え、真摯な念仏行者であり、法華経の修行僧であったことが窺えます。また『一切経を披閲し』とあるのは、大原来迎院に『如来蔵』という書庫を建て、仏教の典籍に親しまれたことを指しています。
良忍上人は大原来迎院に隠棲して念仏修行に明け暮れていた四十六歳の永久五年(1117)五月十五日 阿弥陀様が示現され、速疾往生(現世往生)の為の「弥陀の妙偈」の御文を授与されました。 『一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満(一人が一切の人であり、一切の人が一人である。
   念仏の一行は全ての行であり、全ての行は念仏の一行である。これを他力往生という。十界は一念であり、すべてにいきわたる融通念仏 皆で一億遍唱えることで この世は功徳円満する)』。
良忍上人は天治元年(1124)6月9日 はじめて市中に出て念仏勧進を始められましたが、鳥羽上皇は宮中に公卿百官を招き融通念仏を勧められたということです。」

『三外往生記』「良忍上人は延暦寺東塔常行堂衆也。往年の比、一千日間無動寺に詣じ、麤履の類を著せず。俤輩同法以て奇特と為す。是菩提心を祈る也。其願い成就。永く交衆を絶ち小庵を構て大原に止住し十二時に三昧行を修し年来懈倦せず。兼ねて一切経論を閲し堂舎に仏像を造立し、多年練行す。齢首記盡し難矣。沈痾の間、遷化の後、往生極楽。入棺の時其の軽きこと鴻毛の如し。大原律師覚厳の夢に、上人来たり告げて云、「我、本意に過ぎて上品上生に在り。是れ融通念仏の力也。天承二年二月。」

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今日は足利義満が五壇法を修... | トップ | 今日は増賀上人入定の日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

法話」カテゴリの最新記事