続日本記・霊亀元年(715)十月七日「(元正天皇)詔して曰はく、国家の隆泰は、要ず、民を冨ましむるに在り。民を冨ましむる本は、務、貨食に従ふ。故に、男は耕耘に勤め、女は機織(はたおり)を脩(おさ)め、家に衣食の饒(にぎわい)有りて、人に廉耻の心生ぜば、刑錯の化、爰に興り、太平の風致るべし。凡そ厥の吏民、豈勗(つと)めざらめや。今、諸国の百姓、産術を尽さず、唯、水沢の種に趣きて、陸田の利を知らず。或 . . . 本文を読む
「金剛佛子叡尊感身学正記」(文永六年己巳1269六十九歳十月)「七日名草郡神宮寺(注1)御領十九郡の内を殺生禁断す。御読経所・神宮寺及び散在する諸堂三十餘所堂内は飲酒亂舞・寺中の酷酒酒宴停止の状、之を奉ず」(注1)名草郡神宮寺とは和歌山市内にある日前・国懸の両大神宮の神宮寺 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の13/13
十三、 雪佛利益の事
清和天皇の御宇貞観十七年(875年)二月中旬に大雪降りけるが白川の邊岡崎と申す所に童子ども集り居て雪を愛して居たりける中に十人ばかり力を合わせ雪を轉がし佛の形につくりて地蔵菩薩と申して花瓶香炉に至るまで雪を以て作りて供養をなす。其の中に十二三ばかりの小児を供養の導師として役者どもをもひおもひに勤めけり。小児の導師は高 . . . 本文を読む