福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は増賀上人入定の日

2024-06-09 | 法話

扶桑略記に「長保五年(1003)六月九日、辰時、増賀上人、大和国十市郡今橋山多峰南無房に入滅す。年八十七.西方に直向し金剛合掌、居乍ら遷化。仍て棺に入れず。轝(こし)をつくって葬送す。晝は法華経疏を披き終日倦むことなし。夜は弥陀念仏を修す。通宵不眠、之を以て其の一生の行業と為す。少なくして叡山に昇り、学業日に進み、忽ちに菩提を慕ふ。現狂遁去。其の後数十年余、偏に往生を期し、他事に交らず。」
棺に入れず。轝をつくって葬送す。」ですから入定と言ったほうが正確でしょう。

増賀上人は奇行で有名です。
宇治拾遺物語には「
昔、多武嶺(たむのみね)に、増賀上人(そうがしやうにん)とて貴(たふと)き聖(ひじり)おはしけり。きはめて心たけうきびしくおはしけり。ひとへに名利(みやうり)を厭(いと)ひて、頗(すこぶ)る物狂はしくなん、わざと振舞ひ給ひけり。

三条大后(おほきさい)の宮、尼にならせ給はんとて、戒師(かいし)のために召しに遣はされければ、「もとも貴き事なり。増賀こそは実(まこと)になし奉らめ」とて参りけり。弟子ども、「この御使(つかひ)をいかつて、打ち給ひなどやせんずらん」と思ふに、思(おも)ひの外(ほか)に心やすく参り給へば、有りがたき事に思ひ合へり。

かくて宮に参りたる由(よし)申しければ、悦(よろこ)びて召し入れ給ひて、尼になり給ふに、上達部(かんだちめ)、僧ども多く参り集り、内裏(だいり)より御使(つかひ)など参りたるに、この上人は目は恐ろしげなるが、体(てい)も貴げながら、わずらはしげになんおはしける。

さて御前に召し入れて、御几帳(みきちやう)のもとに参りて、出家の作法して、めでたく長き御櫛(みぐし)をかき出(いだ)して、この上人にはさませらる。御簾(みす)の中に女房たち見て、泣く事限りなし。

はさみ果てて出でなんとする時、上人高声(かうしやう)にいふやう、「増賀をしもあながちに召すは何事ぞ。心得られ候(さぶら)はず。もしきたなき物を大(おほ)きなりと聞し召したるか。人のよりは大きに候へども、今は練絹(ねりぎぬ)のやうにくたくたとなりたるものを」といふに、御簾の内近く候ふ女房たち、ほかには公卿(くぎやう)、殿上人(てんじやうびと)、僧たち、これを聞くにあさましく、目口はだかりて覚ゆ。宮の御心地もさらなり。貴(たふと)さもみな失(う)せて、おのおの身より汗あえて、我にもあらぬ心地す。

さて、上人(しやうにん)まかり出でなんとて、袖(そで)かき合せて、「年まかりよりて、風重くなりて、今はただ痢病(りびやう)のみ仕(つかまつ)れば、参るまじく候(さぶら)ひつるを、わざと召し候ひつれば、あひ構へて候ひつる。堪へがたくなりて候へば、急ぎまかり出で候ふなり」とて、出でざまに、西の対の簀子(すのこ)についゐて、尻(しり)をかかげて、はんざふの口より水を出(いだ)すやうにひり散らす。音高くひる事限りなし。御前まで聞ゆ。若き殿上人(てんじやうびと)、笑ひののしる事おびただし。僧たちは、「かかる物狂(ものぐる)ひを召したる事」とそしり申しけり。

かやうに、事にふれて物狂ひにわざと振舞ひけれど、それにつけても貴き覚えはいよいよまさりけり。」

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