「(日本が)支那から文字その他を取り入れたときも印度から仏教を取り入れたときも、今西洋から物質文明を取り入れたときも、いとも易々とそれをやっている。まるで掌を指すようである。どうしてこういうことができるのかというと、それはいわば全てを既に知っていて、ただ名前を知らなかっただけのことである。・・日本が有形の文化を取り入れることができたのは、無形の文化をもっていたからである。いともたやすくそれができたのは、この無形の文化が非常に高いからである。この無形の文化を私は日本的情緒といっているのである。
私は数学を研究してきたのであるが、フランスへきてやるべき問題を探り当てたとき、それをじっと眺めてこう思った。これは実にむつかしい問題である。しかしこれが私に解けないようなら、フランス人に解けるはずがない。・・・日本の無形の文化は非常に高いから、そこから見ると、欧米の有形の文化は『高い山から谷底見れば瓜や茄子の花ざかり』というあの俚謡のように見えてしまうからである・・」(「数学する人生・岡潔」)