mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

ご放念ください

2021-01-25 20:08:37 | 日記
 
ものの見方の硬さ

  今週は、人と会って話すことが多かった。21日には大学の同窓生、23日には9カ月ぶりという親しい方、昨日はご近所のストレッチ同好会の方々、そして今日はSeminarがある。私......
 

 忘れていましたが、去年感じた「人付き合いは苦手」意識は、今もそのまんまあるようです。他人と言葉を交わすとき、何について、なぜそうするのかと自問する声が聞こえるのかもしれません。できれば、どうでもいいことは言わないが、ことばを発するときは、そう口にする意識をもって口にするという、なんともメンドクサイ気質なのでしょうか。いわゆる世間話ができない。ちゃらんぽらんに務めようと思うが、ちゃらんぽらんを意識的にやるというのは、なんとも滑稽なことなのかもしれません。

 落語でも聞くように、バカな話をするような「かんけい」をもたなかったなあと、わが文化の貧困を嘆いているのです。でも、いまさらこの歳になって、気質を変えるわけにもいきません。「苦手」は苦手のままで、この世を終えることにしようと、すっかりあきらめています。

 そういう意味でも、私にお付き合いくださった方々には、ほんとうにご迷惑をおかけしました。静かに退出しますから、ご放念ください。 


もう一つのアンの物語

2021-01-25 10:26:18 | 日記

 人の利他的な振る舞いは、自らの内心への「かんけい」を省察することから生まれて来る。そう描いた小説が、真保裕一『赤毛のアンナ』(徳間書店、2019年)。モンゴメリの『赤毛のアン』の変奏曲といってもいいが、カスバート家に引き取られたアンと異なり、引き取られなかった子どもはどうなったろうという、「もう一つのアンの物語」である。
 アンと同様アンナも世間の偏見にもまれて奈落の底のような環境に身をおくことになる。そこで、天真爛漫に自己を貫こうとしたアンは、イギリスという階級文化の違いが生み出す厳しい視線にさらされるが、引き取られたカスバート家の大人が「保護膜」となってアンを護る。2020/12/1に「人手を経た物語と虚飾の重さ」として、子どものころに読んだつもりになっていた「赤毛のアン」はリライトされた物語であったのに対して、原作をドラマ化した物語は、イギリスの階級文化が骨の髄にまでしみとおっていることを感じさせた、と書いた。
 だが真保裕一のアンナは、階級分化の違いという分別を弁えない/平等社会・日本において、「保護膜」を取り払われてどう生きていくか。「家族」という保護膜さえ崩れて、子どもも独りで、社会の「同情」という偏見にも立ち向かわねばならない。文字通り自己の個人責任で、世の中に向き合っていくのは至難の業であることを素材としている。
 真保裕一は、じつは、そこまで酷薄な人ばかりの世の中を描きはしない。アンナの利他的な振る舞いに薫陶を受けた友人や同僚やその知り合いたちがいろいろと手を尽くして、アンナの緊急事態に手を貸してくれる。いかにも真保裕一らしい展開を読むことになる。
 だが私は、ちょっと違った感触を持った。というのも、イギリスの階級文化は、「家族」という保護膜の外に、「階級文化」を「社会的保護膜」としてもっているのではないか。「保護膜としての階級文化」というのは、分別の境目が目に見えていることを指している。となると、「階級」とは言えないが、アメリカの人種も、言語も、出自も、社会の中においては、「目に見える分別」として、心裡においては作用している。良いか悪いかは別として、「目に見える分別」を、どう位置付けてどう扱うかが、例えば今般のアメリカ大統領選の行間で争われていたのではないか。言葉にならない、あるいはしてはならないという規範を、ぶち壊して、あらためて再構成する機会として、1億5千万ほどの人たちが自らに問う機会をもったとは言えまいか。
 日本には、それがない。「単一民族」という幻想が社会的に生きていれば、それはそれで「保護膜」として、逆にそれによって「保護」されない人たちにとっては「差別要因」として作用する。だがそれはすでに「幻想」であるばかりか、誤っていて有害であるとみなされている。あるいはまた、日本国憲法のいう「国民」さえもが、「日本国籍を持った人」という意味で用いられてさえ、不十分だと外国からやってきた人たちと共住しなくてはならない社会が出現している。にもかかわらず、観念の中の「幻想」は否定されたにしても身体に沁みこんだ「感覚」は依然として「単一の共同性」を求めている。つまり、目に見えないことを「分別」せよということの困難さが、「赤毛のアンナ」には漂う。
 もちろん「階級的偏見がない/平等社会だ」という「社会感覚」が活きてくる場合もないわけではないであろう。アメリカのように、一度は意識的に乗り越える機会をもたないと、「保護膜抜きにして」個人責任で生きていく酷薄さを、日本の社会は乗り越えられないのではないか。真保裕一も、そこまで描き切ることができなかったように、私は読み取った。
 ハッピーエンドに終わるよりも、むしろ苦渋に満ちて「孤独」に生きるアンナの結末こそが、現実を描くのにふさわしかったのではないか。そんなことを思った。


お湿りに地面が喜んでいる

2021-01-24 11:20:31 | 日記

 昨日から今日にかけて、関東地方は雨。気温もさほど下がらず、雪にもならなかった。垣根のイヌツゲも青さを取り戻したようにつやつやとしている。何より乾いた地面が黒っぽく湿り、落ち着きをもったように感じる。
 昨日(1/23)は2時間余、住宅地を逍遥した。逍遥というとカラマツの林を散歩するような気分にみえるでしょうが、アテもなく1時間ほどの遠方まで行き、1時間ほどをかけて戻ってくるだけのこと。ただ、ぼんやり方向を胸中に思い描くだけにして、目に見える森や林を辿りながらすすむ。ときにはその森の周りをぐるりと経めぐり、神社があると境内に上がって拝殿に向かう。傘をさして境内への石段を上がっていると傍らの森からキーッキーッという鳥の声が聞こえる。ヒヨドリにしては音程が低い。へっ、こんなところにカケスがいるのかと思うが、わからない。
 いつも自分がどのあたりにいるかの見当をつけているつもりであるが、古い住宅街の道をたどっていると全く逆の方向へ向かっていたことに、のちに気づくこともある。晴れていればお日様の位置によって方角がわかるが、雨とあってはとんと見当がつかない。加えて、大字や字を知らないから、電信柱や住戸の住居表示をみても、わからない。聴いたことがある字だなと思っても、じゃあ南の方へ向かえば自宅に近づけるとは思うが、どっちが南だかわからない。たぶんこちらへ曲がればいいんじゃないかと右へ左へとすすむと、全く逆に向かって歩いていたということになる。
 そういう迷子になっている気分を、逍遥と呼んだ。それが面白い。スマホを開いて「今どこにいるか教えて」とgoogle-mapに問えば現在地点はわかる。「家へ帰る道を教えて」と言えば、ルートを表示してもらえる。しかしそれをしないのが、いかにも年寄りの「迷子」らしく「(安全を担保して)自立」している。
 中学校や小学校に出くわすと、大体の地点がわかる。1時間でずいぶん歩くものだ。近頃はスマホの歩数計が歩数と距離と時間を測定してくれる。昨日は、12km、2時間半、18500歩ほどを歩いた。時速5km弱か。たいした速さではない。こうして数値化されて記録されると、なんとなくそれに合わせて日々歩こうという気になるのは、気性だろうか。
 自分の体がそのようにうごいているのは、いやだなあと思う。都会のタイルを張った歩道を歩いているときに、ふと気づくとタイルとタイルの境目の線を踏まないように歩幅を調整している。なんだか歩道の設計者の注文に操作されている気分になって、いやなのだ。古い住宅地にはそのような歩道はない。気性に導かれた衝動と人為的な他人の設計に操作されているような気分に対する抵抗とが交錯して、私の逍遥をかたちづくっている。
 地面もそうだが、樹木も久々の雨に落ち着いた気配を湛え、醸し出す。神社がこんなに多いのだ。屋敷の敷地の中の森に囲まれた鳥居や祠もある。あるいは、昔の集会場の傍らの区画にちょっと大きめの祠があり、「**山」と文字が暗くて読めとれない扁額を掛けた鳥居が立つ。この地区の守り神なのだろうか。
 雨のせいでか、幹線道路の車が渋滞している。そこを避けて裏道へ、裏側へと入り込む。樹木や植栽をしている広い畑があるかと思えば、広大な地区一帯が整地され、屈曲をもった立派な街路が設えられ新築の戸建て住宅が立ち並ぶ地に出たりする。耕作地から住宅地へ、農村部から新興住宅街へ変貌を遂げる世代の移り変わりが未だにつづいている。その姿が見事に反映されているのだと思いながら、何処へ向かうのかもわからず、ふらふらと歩き続ける。だんだん歩いていたくなる土地が減ってきていると思いながら。


無症状の異常

2021-01-23 09:06:02 | 日記

 ときどき自分の身体状況を記録する意味で書きつけている。いずれ振り返って、わが身の劣化や衰退をとらえ返すこともあろうと思うからだ。
 もう何年も血圧の薬を飲んでいる。じつは自分ではそれほど高いと思わなかった。血圧計で検査することもそれを記録することも熱心ではなかったが、薬の効果があるのかどうかチェックするには記録しておかねばならないと言われて、「高血圧管理手帳」に毎日のそれを書きつけるようにしてきた。医師に見せるのは年に1回あるかないか。今年になって一つの気になる変化があった。ときどき脈拍が異常に少ない。「異常に」と素人が言っていいのかどうかわからないが、ふだんは47~53くらい。ところが1/9から1/12のあいだに、40,36,36,35と4回も40以下であった。でも、2回計るうちの1回は47とか49だったし、異常を感じる気配はなかったから、放っておいた。
 薬を処方してもらうとき、医師に「手帳」をみせ、何かモンダイがあるか相談した。尿検査、血液検査のほかに、レントゲンを撮り、心電図をとって診てくれた。この医師は循環器系の専門医だそうだ。だそうだというのは、何年か前、別の病院で健康診断をしてもらって心臓の精密検査をする必要が見つかったとき「かかりつけ医」を訊ねられ、このクリニックを名を出すと「ああ、T先生は循環器の専門医だから」と診てくれていた医師が反応したから、名を知られた方なんだと改めて見直したことがあった。
 心電図をみると、不整脈。ピコ、ピコと規則的に跳ねる線グラフが、何回かに1回、跳ねないで省かれている。「ふらっとすることはないか」と医師は訊き、「ここがね、2・5秒あるとフラッとなるんですよ」と、跳ねない部分を指して静かにいう。
「山を歩いているようなときに、そうなることってありますか」
「ああ、ありますね。じゃあ、ホルターをやってみましょう」
 ということになって、24時間計測のホルターをつけている。運動をしてもいい、お酒を飲んでもいい。いつものように過ごして、「行動記録カード」をつける。
 たまたま昨日は金曜日。週1の1時間半の運動タイムもある。マットにうつぶせになるとみぞおち当たりの「計測器」がつぶれそうで、いつものように運動できない所もあったが、ふだんを同じように過ごした。
 きょうこのあと、クリニックに行き、ホルターを外してもらい、医師の診断を受ける。と言っても、感じる異常があるわけではないから、痛むようなら来てくださいと告げられる程度になるのだろうとみている。
 新型コロナウィルスもそうだが、無症状の感染者ということもある。見えないところにステルス病が発生し、それが露わになるのは、彼岸に渡る直前ってこともないわけではあるまい。まもなく平均寿命になる齢ともなれば、それで痛みがなければ、案外一番いい彼岸への渡り方になるかもしれない。ちょっとワクワクしながらクリニックへ足を運ぶことになる。


まずは、無事でよかった。

2021-01-22 06:50:30 | 日記

 去年の秋、「どうしているか、乞う連絡」という記事を掲載したことを、憶えている方もあるかもしれません。タイに住む私の古くからの友人・Yさんの消息が途絶え、加えて私のスマホが壊れて、それまでのデータが失われてしまったために、Yさんに呼び掛けるかたちで記事にしたものでした。その後もわからずじまいでしたので、彼の地で彼岸に逝ってしまったかと思っていました。
 そのYさんからair-meilが来たのです。国際郵便です。いや、良かった。生きていたんだと嬉しくなりました。8カ月ぶりの消息です。
 ノートを切りとった便箋に、わずか150文字ほど。5行ほどに分けて、たどたどしくではありますが、まごうかたなくYさんの筆跡。
 ガンになったこと、完治しないこと、完治しない病気になることが辛いこと、もう会えないことが記され、お訣れの言葉が添えられていました。
 共通の友人であるY105さんにYさんの消息を訪ねたことで、私が心配していることが伝わったのでしょう。ということは、ブログを読むどころか、スマホのメールをみることも叶わぬほど苦しい状態が続いていたのだろうと推察しています。
 逆にいうと、やっとY105さんとのやりとりを交わす状態、気分にもなり、150文字ほどであっても国際郵便を出すくらいの元気を取り戻しているということではないでしょうか。そう考えて、喜んでいるわけです。
 文面には、「健康に留意して山行を続けてください」と私に対する気遣いもありますから、自分のことだけで精一杯という状態から抜け出し始めている気配が感じられます。ただ、もう会えないということが胸に迫って永訣の言葉になったのだろうと思いました。
 末尾の「令和3年1月  ***拝」という署名が元号であることにも、祖国に対する彼の思いが溢れているように感じ、思わず涙するようでした。
 さっそく手紙を書いて投函しました。郵便局の方には「コロナのせいで先方への到着が遅れるかもしれませんが、ご了承ください」といわれました。「平生ならいつごろに?」と訊きましたが、分かりませんという返事でした。彼の目に届くよう着くことを願って投函した次第です。
                                            *
 手紙を書いていてふと思ったのですが、プリントアウトされた紙の上の文字をみていると、PCのモニター画面を見ているのとは、感触が違います。手紙は、読み返せます。もちろんスマホの画面も読み返せるのですが、文字が流れて急いで次へ移っていくように感じられて、意味を読み取ることだけに限定されてしまうような感触です。ですが手紙の感触には、空間があります。便箋の広さが、いわば絵画の額縁です。区切りとられていることによって、その中が一つの世界として独立して意識されるのですね。
 こうも言えましょうか。額縁のように限定することによって、そこに書き落とされたことが「それ自体」として浮かび上がる。モニター画面では「せかい」と地続きになって、輪郭がおぼろになり、「それ自体」のたしかさがぼやけてきてしまう、と。とすると、額縁によって限定された手紙というのは、文章の記す世界を分節化して限定して「せかい」を際立たせるのではないか。
 パソコンで打った文面をプリントアウトして封入したのですが、考えてみると筆跡というのは「それ自体」の端的な要素ですね。私は文字が下手だからPCで打っているのですが、手紙は手書きにするのがいいかもしれません。