mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

雨がすがすがしい一日

2021-01-13 16:54:57 | 日記

 昨日(1/13)は、天気が崩れ雪になるかもという予報。久々のお湿りと楽しみにしていた。
 山は雪という。14日水曜日の山は、天気予報は晴だが中止にした。積雪量が多くても困るほどのことはあるまい。歩くのに心配はないが、次に狙っている山も地理院地図にはルートがない。標高が記載されてはいるが、山名もない。でもどうせGPS頼りであるくにしても、わざわざ踏み跡がわからなくなる雪の日にすることもあるまいと、日和ったわけ。にもかかわらず、こちらの棲む平地も、午前中雨にならない。三谷幸喜の映画『記憶にございません』を観る。三谷らしいシャレの利いた作品。午前中がそれでつぶれた。
 お昼を済ませ、散歩に出ようとしたところ、図書館に返してなかった本があることに気づいた。昨日は、連休明けだから図書館は休み。ならば立ち寄って「返却ボックス」に返してからどこかへ向かおうと、散歩に出る。外へ出てみたら、ぽつりぽつりと雨が落ちている。傘をさすとぽとぽとと音が大きい。アラレだ。なるほど気温は、3~4℃の感じ。ひさびさのお湿り。いいじゃないか。住宅街の人影が極端に少ない。車の通りもほとんどない。歩くのが心地よい。
 一昨日は川口のグリーンセンターまで歩いてみた。むかし、浦和の白幡に住んでいたころの日曜日には、よく車で子どもを連れて行った。そこが、今のわが家から4㌔ほどの所にあることは知っていたが、行ったことはない。いつも手前の見沼田んぼや芝川で用が足りてしまったから、行きつけなかった。地図を見て、4㌔の最短で目的地に行く。帰りに遠回りでも、森や畑のある散歩らしいところを辿ろうと考えていた。往きは、片側二車線の道路に沿い、外郭環状道路という高速道を横切る賑やかな通り。そういう散歩は、距離が短くても草臥れる。帰りは芝川沿いの道を歩いた。それに比して今日の、人気のない雨の住宅街は落ち着く。
 図書館は、しかし開館していた。祝祭日の後の代替休日は水曜日となっていた。そうか、中央図書館は月曜日、プラザイーストの図書館は水曜日か。こちらも、人が少なく静か。返却図書の棚にあった石田衣良の短編小説が目に留まり、椅子に座って読む。彼のセックスに対する向き合い方は、少年のように無垢で、それ自体にまっすぐに向かっている。読んでいて思うのだが、少年のころ、どうしてセックスを汚らわしいものと思っていたのだろう。そして今、この齢になってもまだ、女の裸などをみるとぎ~んと脳幹に響くのは、どうしてなのだろう。エロスが生きるエネルギーというのは実感としてよくわかる。今ごろそんなことを考えているのは、エロス性にきちんと向き合ってこなかったからだろうか。そんなことを考えていて、散歩中という時間を思い出して図書館を出た。
 吉祥寺を抜け、お墓の脇を通り、北へ向かう。大宮台地の花木の栽培農家や畑があったせいで、点々と屋敷林が残されている。車の賑やかな大通りを横切り、目に入る森を渡るように歩く。いずれ見沼用水路西縁に出くわすという見当でふらりふらりと森を眺めながら歩く。小学校の校庭にも公園にも、子どもの姿はない。成人の日だったと思い出す。振袖の若者も姿をみせない。彼らは、人気のない所へは用がないのだ。忘れられたサッカーボールがベンチに乗せられて、持ち主を待っている。
 見沼用水の西縁にぶつかる。脇の車道をたどり、氷川女体神社へ向かう。元旦にそこまで行ったが、初詣の人の列に並ぶのがイヤで、お参りもしないで帰ってきた。いや、今日だって、お参りをしようという殊勝な気持ちになったわけではない。どこまで行ったという記憶にとどめるための「参拝」ってわけだ。人の気配がない。社務所の方で「お札を・・・」と人の声がする。拝殿とその後ろの本殿とをつなぐ「三社づくり」という女体神社。拝殿の正面には「武蔵一之宮」と扁額が掛けられている。なんでも徳川家綱の命で建替えられたのがいまに残り、埼玉県の文化財に指定されているそうだ。築三百年ちかい。裏へまわって本殿を覗く。屋根の上の鰹木が4本、千木の尖端は水平に切られていて、伊勢神宮の内宮と同じ様式だとわかる。
 かかし公園に降りる。やはり人影はない。雨は気配をみせず降り続く。傘をさすほどでないというのか、用水路沿いを歩いてくる人がいる。西縁の水面には雨の落ちる跡がぽつぽつとかたちをみせて消える。帰り道の4㌔ほどの用水路沿いで、出会った人は4人。いつしか雨は上がっていた。
 駅そばの交差点の角にできた小さなパン屋さん。店員が呼び込みをしている。看板は食パン。立ち寄って一斤を手に入れる。6枚にカットしてくれというと、申し訳なさそうに「すみません、できないんです」という。変な感じがした。
 図書館を入れて3時間の散歩。雨がすがすがしいと感じた一日であった。