9月3日、ダーウィンからカカドゥへ移動の日のことは、すでに書いた。ドライバーが当初予定のピーターに代わり、荷物積み込みの手違いがあって、カカドゥへの到着が夜遅くになったことは、すでに述べた。体調を崩したNさんにとっては、この遅延はほんとうにつらかったのではないかと、皆心配したものであった。ところが翌日の出発は5時35分。連泊するから大きな荷物は持たなくてよかったのだが、4時半には起きて準備することになった。Nさんは一日宿で静養した。
出発が早かったのは、この日、サウス・アリゲータ・リバーのイエロー・ウォーターをクルーズすることが予定されていたからである。カカドゥの現地ガイドとしてエスタさんが、宿から随伴している。ダーウィンに住んでいて、アランに頼まれたので駆けつけた。50歳くらいだろうか、日焼けした細身の筋肉質、日帰りというから、往復500km。朝2時ころにダーウィンを出たのであろう。鳥のこともカカドゥのことも知り尽くしている話しぶりだ。
クルーズ船の出航時間は6時45分、船着き場にはすでに3隻の船が出航状態にあり、私たちが乗れば最後の1隻も出航することになった。平底に日よけの屋根がついた船。1隻に50人くらい、全員前向きに座り、女性の船長の注意(船から手を出さないでください。ワニが飛びついてくることがあります)を聞き、鳥や獣をみながら、ゆっくりと船は出航する。葦の生える静かな広い湖面を(上流だか下流だかわからないが)右へ左へ寄り道しながら、前進する。朝日が昇ってくる。その陽ざしをいっぱいに浴びるように、大きな頭の白いシロハラウミワシが舞い、枯れ木の先端に止まる。水面に鼻先と目を出したワニがぽかりと浮いている。船はそれに近づく。ここのワニはクロッコと呼ばれている。個々ばらばらに棲んでいる攻撃性の高いクロコダイルのことだ。集団で暮らす比較的穏やかなアリゲータではないが、ヨーロッパ人が間違えて川の名にそうつけてしまった、そうだ。
木々の間を小鳥が群れ飛ぶ。ウが羽を広げて暖をとっている。ペリカンが二羽ならんで、水面をにらむ。何種ものカモがその後ろに控えて水に頭を突っ込んで何かをついばんでいる。岸の上も湿原になってずいぶん遠方まで広がる。水鳥がたくさん群れている。それを双眼鏡で見分けながら、探鳥家たちは同定をしている。遠方の草地で馬が何頭か草を食んでいる。その先の木立の間で、ツルが2羽向き合って、羽を広げ、頭を天に向け、口をあけながら踊っている。遠方過ぎて声は聞こえない。左の方へ目を移すと、頭の黒く大きなコウノトリ、セイタカコウがいる。ノザーン・テリトリー(NT)の象徴鳥。蓮の花が水面から頭を出している。いろんなサギが水際に足をつけて立っている。シロガシラサギとかカオジロサギという名前は、やはり後で知った。
青い頭とからだ、お腹の色はオレンジのカワセミが近くの木の枝に来てひょいと止まった。双眼鏡もいらない。しばらく見とれていて、ふと、そうだ、カメラと思う。ちょっと下を向いて睨むような気配を湛えた(後で聞いて分かった)ルリミツユビカワセミが収まっていた。岸辺にはワニが大きな口を開けて日向ぼっこをしている。アナウンスがあって見やると、日本のそれの4倍ほども大きな黒い野豚が湿原を歩いている。野生のブタだそうだ。見渡す限り川と川岸の湿原が広がっている。この水位が雨季になると7メートル上がるという。つまり、カカドゥの大部分が水没するから、雨季の観光はヘリコプターでやるというのだ。私がもっていた高度計をみると標高5メートル。後で知ったが、アラフラ海までの距離は120㎞。満潮のときには逆流が起こるという。宿の水が塩っぽいと思ったのも無理はない。クルーズが終わってから、その発着場にあるレストランで朝食。ブッフェ式で、生野菜や果物がある。でも雨季にこのレストランはどうなるのだろうと、思ったが聞きそびれてしまった。
ちゃんと観光地も案内してくれる。ノーラングルへ行ってアボリジニの岩絵をみて回る。エスタさんが説明してくれる。でも鳥が出ると、気持ちがそっちの方へ行ってしまって、岩絵はそっちのけ。そういう意味では、観光旅行に来ているのではない、と誰もが思っているのかもしれない。Bowoll Visitor Centerで、カカドゥ国立公園全体の説明とアボリジニの受け継いできたものを概略つかむこととなるが、暑さに草臥れて気持ちは水物に行ってしまっている。Jabiruというカカドゥの中心町にいって、大きな池の脇に陣取ってお昼にする。四阿が芝地にしつらえられていて、旅の人たちはここでランチにするようだ。運転手のピーターさんがつくってくれる。葉物野菜、トマト、チーズ、ハム、バターなどをパンにはさんでかぶりつく。しばらく前に案内した日本人のバード・ウォッチャーは、かぶりつかないで、ナイフで細かく切り分けて食べていたけど、こうやって食べるんだよとアランさんがお手本を見せるようにかぶりつく。いかにもうまそうだが、私は、あんなに大きく口を開けたら入れ歯が落ちてしまう。
彩のきれいなゴシキセイガイインコ、マグパイ・ラーク、キバタン、ヨコフリやハチドリが飛び回り、その中に「ニュー・バード」も交じる。鳥を観る分には飽きが来ない。アランが茂みを指さす。覗いてみると、マグパイ・ラークのつくった巣がある。和名のツチスドリの由来に、納得する。丁寧に作って、入口に白いものを集めている。ペットボトルの白い蓋がいくつもある。通りかかった地元の人が教えてくれたのだが、電線に蝙蝠がぶら下がっている。感電死したのだそうだ。そんなこんなを食事をする合間に観て聴いて話して、たちまち1時間半ほどが経ってしまう。おおらかな旅のランチ・タイム。
午後、Ubirrへ向かう。ウビルと読む。カカドゥの東の端に近く標高100mくらいの小高い岩山になっている。登ってみると、東側が、地平線が水平に見えるほど大きく広がっている。この東が、カーペンタリア湾までアーネムランド。四国と北海道を合わせたくらいの広さを持つ、アボリジニの占有地区だそうだ。このカカドゥ(の近隣)でもそうだが、埋蔵鉱産物がみつかって、開発とアボリジニの占有地域ということで、あれこれ確執が続いているという。中には、1970年代に見つかって、そこだけ国立公園から切り離されウランの採掘をしている地区もあるという。
ウビルの山の上に上がってみると、遠方に煙が上がっている。森が燃えているのだ。これは飛行機でダーウィンに降りる前にもいくつかの立つ煙を見かけた。また、ダーウィンで通りかかった土地には、下半分がまっ黒に焼けた森をいくつも見かけた。あれは焼けてから30年、これは10年という話も、運転しているピーターから聞いた。後には、バスの中から、今まさに焼けている炎とくすぶる木々もみた。雷が落ちる(ダーウィンでは年間1000回雷雨があるという――どういう数え方をすると、この数になるのだろう)ので、燃えやすいユーカリ系の木々がすぐに燃えてしまうともいう。あるいは、アボリジニが延焼を防ぐために自ら森を燃やして、自分たちの居住区を守っている、ともいう。雷が落ちて裂け目の入った木の幹も、たくさん見かけた。
カカドゥのアボリジニたちは、どうやって暮らしているのだろうか。ヨーロッパ人がやってくる前までは、狩猟と採集で暮らしていたと記していた(『恐るべき空白』アラン・ムーア著)。着るものも持たず、鉄器も持たず、罠やブーメランをつかって魚や鳥や獣をとり、木の実を採取して磨り潰し、粉にして使っていたと、「探検隊」の残したノートにあった。その彼らが、それから200年、雨季にはどうやって過ごしているのだろうか。乾季にも、visiter centerの職員たちはほとんど白色系の人たちであった。ロッジなどの世話をしている人も肌の色から推察すると、混血か。純粋なアボリジニとは思えなかった。そうでなくても、乾季の観光客が来るときはロッジやリゾートの仕事があろうが、それがなくなる雨期に彼らは、どうやって生活を成り立たせているのであろうか。広大な領域を占有することになって(国立公園の利用料の一部はアボリジニの収入になるそうだが)、かつての狩猟採集生活ができるのか。そんなことを気にしながら、旅をつづけたのであった。(つづく)