mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

こんなのでイイのかしら

2023-07-17 06:41:19 | 日記
 いや、とんでもなく暑い日であった。熱中症アラートが出ていると埼玉県からスマホに警戒警報が届いていた。カミサンは、でも月例の植物観察があるからと、弁当を持って高尾山方面へ出かけた。
 図書館で借りている本の返却日が過ぎている。予約図書が到着しているとメールもあった。日ざしの強いのを避ける鍔付きのモンゴル帽子を被って出かける。約2㌔。図書館までに通る道は静かな住宅街。日影がない。それでも街路樹の小さな木陰に身を寄せるようにして歩く。
 汗を掻くのは気持ちがいい。まだ午前9時半。30℃は超えていようが、じりじりと肌を焼くような日ざしではない。それでも20分も歩くと身体全体が外気に温められているような気分になる。図書館のあるイーストプラザの自動ドアを入ると冷気がさあ~っと身を包んで、ホッと一息つく。
 バレーの発表会でもあるのだろうか、衣装を着替えた子どもたちと母親らが上階のロビーを急ぐのが吹き抜けに見える。そうか日曜日か、と図書館に着いて思う。子ども連れの人が多い。スーパーでつかっているような買い物籠に本を一杯入れ、子らがカウンターに持ち上げ置こうとしている。貸し出し担当の職員が内側から外へ駆けだしてきて、それを支え手助けしている。財布から図書館カードでも取り出しているのか母親は後から来て、気にしていない。
 「今日返却された本」の棚に椎名誠の世界の旅のエッセイ集が載っていた。手に取って、手近のベンチに腰掛けて目を通す。身体が空調に馴染んで落ち着くまで本でも読んでいよう。椎名誠は子どものころから胸中に溢れる「好奇心」を口にしては大人たちが応えられないことに面白さを見つけ、それを繰り出しているうちにクセになって、何にでも首を突っ込んでみるようになった。それが昂じてアマゾンへ行ったりしたということを書いている。タイトルが何であったか、いま気づいたが覚えていない。散乱するような好奇心と思った。
 腰を上げて雑誌コーナーの『山と渓谷8月号』を手に取る。「北アルプスの山小屋特集」。小屋の営業よりも登山道の整備などに力を尽くしている様子がレポートされている。併せて小屋の紹介。ベンチに戻って目を通しはじめる。
 24日から笠ヶ岳へ行ってみようと宿を予約している。その山小屋の様子が載っているかな。あった、あった。鏡平小屋と笠ヶ岳小屋。外の小屋の料金も記載している。2食付き14000円、素泊まり8000円なんだ、どこも。テント場は2000円、水などの料金も記してある。昔と食事内容も違うだろうなと思いつつも、はて三大急登の一つと言われる笠新道を下れるだろうか。膝を痛めはしないか。足が攣って歩けなくなるのではないかと、筋力的な衰えが気になる。
 先日、登山口・新穂高の「2週間天気」を覗いたら、24日から27日まで連日の雨と曇り。降水確率は80%とあった。態々雨のときに行くこともないでしょうとカミサンは呟く。でもなあ、花をみるでも為し、景色を楽しみにしているわけでもない。ただわが身の体力チェックのために、未踏の日本百名山を目指すだけ。雨でもいいんじゃないかと身の裡で自問自答していた。気になったので帰宅してから、予報を覗いてみた。変わっている。24日は「雨曇り、70%」だが、25日から27日までは「晴、降水確率20%」と俄然よくなっている。これなら行ける。となると、明日から出かける奥日光で足慣らしをしておかなくちゃならない。
 そんなことを考えているうちに11時になった。身体もしっかり収まっている。これから帰るまでにまた暖まってしまうけど、こうやって切れ切れに熱中症危険と触れるくらいなら、何とか過ごせそうだ。と起ち上がったとき、今日返却するつもりで持ってきた本を、まだ返していないことに気づいた。返すよりも何よりも、冷房にひんやりとする心地よさにとらわれていたのだ。本を5冊返し、予約本2冊を受けとってまた2㌔ほどを歩いて帰ってきた。
 やはり家の中の方が外気より涼しい。寒暖計をみると30℃。窓を閉め、扇風機をかける。さいたま市は39℃とお昼前の天気予報は警戒を呼びかけている。お昼を済ませ、TVをみているうちにソファで寝入ってしまった。気が付くと汗をびっしょり掻いている。冷房をつける。28℃の設定で、どんどん涼しくなるって感触が身ので馴れを表している。
 夕方帰宅したカミサンは楽しかったと(暑さをものともしない)集まった有志の草花談義が気持ちのリフレッシュだと、ワイン片手に喜んでいる。私は、今度出版する山歩き記録の校正をリビングでやっている。
 5時を過ぎたので作業を止めて大相撲のTVをつける。朝乃山が休場だ。昨日の豊昇竜戦で上腕二頭筋が断裂したらしい。気の毒に。彼らは、自分の重さと激しい動きの両面から攻められて怪我が絶えない。
 夕食後、ソファに座ってTVをみていたカミサンが、ふと、口にする。
「こんなのでイイのかしら」
「何が?」
「何って。な~んにも考えないで、植物みて歩いて、帰ってきてこうしてTVを愉しんで・・・」
「なに、目的的な何かを持っていないってこと?」
「いえ、そうじゃないけど。何の心配もせず、こうして過ごして・・・」
「いいんじゃない? どう生きるかって考えるのは若い人たち。わたしら年寄りはどう生きたかって問うのが関の山よ」
「そうだよね。若いころは子育てと仕事で頑張ったんだから、そのご褒美って思えば・・・ね」
 よほど、植物観察の充足感に満たされ、その往還に目にする仕事現役の方々の姿を思い出して、自分の充足感に罪悪感を抱いたのかもしれない。八十になって何を後ろめたく思うのか。でもそういう心の、う~んと裡側の感触は、魂みたいなもの。言葉にならないけど、何か大切なことを感じているのかもしれない。


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