佐江衆一『野望の屍』(新潮社、2021年)を読む。この作家には、老母の死に様を描いた『黃落』で出逢った。私より8歳年上。この年代の作家を読むとき私はいつも、生年を確かめる。敗戦の時いくつであったかで、世界の受け止め方がぐっと違ってくると、わが兄とわが身の違いを思い浮かべながら、もうそれだけで敬意を表したくなる。それくらい身に刻まれた敗戦と戦後の状況の残した痕跡の復元が、格段に違ってくる。
この作品を図書館の書架で手に取ったのは、ちょうどロシアのウクライナ侵攻が起こっていたとき。今のロシアはかつての日本だと思っていたから、それと重ねて読むとどう読めるかと関心を持った。ところが、佐江の記述は、まさしく「野望」の行方を描いている。ファシスト党のムッソリーニ、ヒトラーとナチス、日本帝国主義の「野望」を同時展開するように、世界を見て取り、その「屍」を書き記す。「野望」は言うまでもなく統治者のものであり、「屍」はその敗北の形であるが、目下私が目にしているウクライナの戦争とは趣が異なる。
TV画像で目にする戦争は、ミサイル攻撃で破壊された町であり、横たわるぼかしを入れた屍体であり、避難しようとする人の群れであり、何処へ行けばいいのと途方に暮れる老人であったりする。あるいはまた、ロシア兵に射殺される目撃談だったり、ベラルーシから「戦果」を故郷の輸送しようと委託するロシア兵の状況説明記事である。これが戦争の「屍」なのだ。
ところが統治者の言説は、それはウクライナが制作したフェイクだと広言する日本駐在ロシア大使であったり、「特別軍事行動」を説明するロシア政府関係者であったり、「武器を、武器を、武器を下さい」と訴えるウクライナの副首相だったりする。つまり、口先から妄想を吐き出している。屍ではない。屍は傍らに置かれ、ヒトは前線の兵士として脅え、殺し、略奪し、強姦する、荒みきったヒトの姿である。
佐江もそれを無視しているわけではない。だが、東京大空襲や飢えと病で死んでいく民や兵の姿は、「戦史」の流れの中の必然として行間に挿入されている風情に、みえる。佐江にとっては(私も日中戦争から太平洋戦争の敗戦までをたどったり本を読んだりしたが)、心裡のわが身を振り返るためにいつかは通らなければならなかった「にほん」の戦争を、総括してみようとしたのだと思う。そしてこれが、起点となって、老母を看取ったような視線をあらためてそこへ向けると、市井の民のとっての「せんそう」が浮かび上がる、と思う。
小説の末尾に(編集部)の註が挟まれている。そこには「本書は、史実を元にした書き下ろし小説である。」と前振りして、次のように続けている。
《著者は二〇二〇年七月に本作を脱稿し、直後から闘病生活に入った。病床でもゲラ校正の取り組んだが、刊行を見ることなく十月二十九日に逝去。享年八十六。ここに謹んでご冥福をお祈り致します。》
佐江としては、やっとここまで身の裡を整頓したよという心持ちであったろうし、その先を考えると、無念であったろう。でも、こうやって、歩一歩、77年前の戦争を我がこととして身に刻み直すってことをしていかねばならないと、姿勢を正して考えている。
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