第四日目。空は薄い雲のある快晴。東眼下にある雲海の雲平線(?)がやってくる朝陽で赤く縁取りしたように色づいている。東に富士山がぽっかりと頭をのぞかせている。野口五郎岳の上には15日の残月が白く輝くように見える。
朝食はおにぎり二つ。昨夜渡されている。つまり、いつでも出発できる、と思っていた。ところが、「ご希望の方には5時から味噌汁とお茶を出します」という。そりゃあ頂いてから出ましょうということにした。おにぎりも一緒に食べた。5時半スタート。体力は恢復しているように感じた。9時間ほども寝たのが奏功しているのか。
5分ほどで野口五郎岳の山頂に着く。新旧三本の木柱標識が立っている。木柱の向こう左には、槍ヶ岳が姿を見せている。右には、その形の独特な笠ヶ岳が見事に屹立する。
うん? 女の人の話し声が聞こえる。後に人の姿はない。
下に見える野口五郎小屋の前に出発するグループの人たちが集まっている。その話し声が風に乗ってここまで聞こえてくるのだ。あの方たちは、昨日私を追い越していった12人のグループ。烏帽子岳に上ってブナ立尾根を下山するといっていたか。風はつよい。お陰で涼しい。
昨日へばって上っていたルートに合流し、標高2800mほどの稜線を西へと辿る。ところどころ岩の積み重なる小ピークを越える。遠方高いところに水晶小屋がみえる。そのピークへの稜線南東側は大きく崩れ、山肌を剥き出しにしている。北側はハイマツが蔽って、緑色を湛えて黒部湖の方へと長く深い谷をなしている。
ヘリコプターが湯俣沢を遡上するようにけたたましい音を立てて渓間から上ってくる。ワリモ岳と水晶小屋の間の低い稜線を超えて姿を消し、水晶小屋の建つピークの向こうを回り込むのか。しばらくしてバリバリと大きな音を立ててヘリコプターが水晶小屋の北側から現れ、真砂岳との間の低いところを超えて谷間に落ちるように姿を消した。そうか、今日は久々の晴れ間。ヘリは大忙しなのだ。
東沢乗越を過ぎてゴツゴツした岩山を超えて行くとき、南東に槍ヶ岳が形のいい姿を見せ、南西に目を転ずると、笠ヶ岳や黒部五郎岳の立派なカールがどっしりと構えているのが美しい。ああ、北アルプスの一番奥まったところに来ているのだ。
水晶小屋前に荷を置いて、ウィンドブレーカと水だけを持って水晶岳へ向かう。ちょうどヘリが荷を運んでくるというので、登山路は通行禁止。ヘリ待ちの小屋のスタッフがルートを塞いでいる。ヘリがすぐ左横からやってきて、稜線の中央に降りる。次々と小屋のスタッフがリレーして荷を降ろし、終わるやヘリは後方へ向きを変え飛び去るように音を立てて消えていった。
こんなに多くのスタッフがいるんだ。そう思って訊くと、縦走中の大学生がボランティアで助けに入っているそうだ。そうか、そうか。そりゃあイイことだと口にして褒めそやす。
水晶岳には40分ほどで着いた。荷物がないから楽なモノだ。山頂近くの道は岩場になっている。踏み跡もしっかり着いていて、少しも難儀しない。荷物を背負った二人連れがいたので、赤牛岳を越えて読売新道を黒部湖へ下るのかと聞いたら、戻ってくるという。いや、えらい! 荷物を降ろさず背負って歩くというのは、基本だね。若いひとはそうじゃなくてはと、自分のことは棚に上げて、これも褒める。
水晶岳南峰に着いた。人が4,5人も上れば一杯になる。水晶岳は双耳峰だ。北峰も、すぐその先にある。でも、そちらはこちらより低い。それに山頂標識もない。行かなくてもいいかなと思った。と、先を歩いていた荷物持ちのお二人さんが北峰へ行き、記念写真を撮っている。手には何やら「水晶岳北峰」と書いた標識らしきものを持っている。じゃあ行こう。いって、あの標識で写真を撮ってこよう。
北峰は、もっと狭い。手持ちの標識を持つと、西側には、いくつものカールを抱え込んだ薬師岳の大きな山体が、どっしりと控え、その手前下方の森の中に高天原の小屋の赤い屋根が見える。薬師岳の北には立山が大きな長い山頂部を北へ伸ばし、その手前に五色ヶ原が広い台地状の森を泰然とみせている。十年くらい前に所謂ダイヤモンドコースを歩いたことを思い出す。
水晶小屋に戻り、ちょっとスナックをかじって腹ごなしをして出発した。10時半。今日は急がない。コースタイム男は復活している。それにこの天気。槍ヶ岳に雲が取りついてきた。西の方には雲ノ平が睥睨される隠里のように鎮座している。先を歩いていた青年は、そちらの方へ向かった。
私たちは、ここワリモ分岐で雲ノ平への道と三俣山荘への巻道を分け、ワリモ岳へ向かう。上り。岩を踏む。途中で、へこたれて歩きがのたのたしているテントを担いだカップルを追い越す。女性がすっかり草臥れている。ああ、昨日のワタシだ(2キロくらい荷を分け持ってやればいいのに)と思い(いや、これも父権主義的かと自問し)つつ、先へ進んだ。コースタイムで鷲羽岳に到着。10名くらいの人たちが山頂のあちらこちらにいて、景色を眺め、記念写真を撮り、お喋りをしている。
ひと組の、これから水晶小屋へ向かうパーティの女性が、小粒のトマトをおひとつどうぞと差し出してくれた。
甘い! というと、
そうでしょ、庭でつくったのと、うれしそうに笑った。
鷲羽岳から三俣山荘は一望できる。傾斜はそれなりに急だが、左岸の砕けた道はジグザグに切ってある。滑らないように用心しながら、どんどん下る。何組かの下山者が道を譲ってくれる。
途中に「伊藤新道に入山する登山者の皆様へ」と表題した新しい掲示板が設置してあった。そこへ追加で貼り付けるようにして「第三吊り橋、第五吊り橋 通行禁止」とプラスティック製の注意書きがあった。湯俣山荘で注意していたのと同じだ。
そこから5分もしないで三俣山荘に着いた。ちょうどそのとき、ヘリコプターがハイマツに腹を擦るようにして着陸する。山荘のスタッフが駆け寄って荷を次々と降ろす。登山客や宿泊客が前庭からそれを眺めている。ここは、伊藤新道が再建されたということでTV放映された所為もあってか、たくさんのお客がやってくる。それに応じて、料理もイベントもいろいろと工夫を凝らして、従来の山小屋風情とは違うサービスの提供を心がけているようであった。
夕食までの間、食堂でビールを飲みながらビスケットをつまむ。サイフォンのコーヒーを淹れたり、彩りのあるクリームを提供したり、カウンターもある。ちょっとした山のカフェって感じ。夕食のときも、料理を並べた皿を前に、シェフだかスタッフ代表だかが、鹿肉ジビエの説明をする。朝食では、大きなソーセージはイノシシ肉ですと説明していた。まるで三つ★レストランのような料理の説明があるのは、山小屋では初めてのことだ。
ま、湯俣山荘もそうだった。サービスというのが、泊めてやる風の避難場所提供から、リピート顧客を迎えるリゾート山小屋に変わりつつある。ま、COVID-19のお陰で、詰め込み風の小屋でなくなったのは、ありがたい。予約しなければ泊まれなくなる。宿泊者数は制限される。むろん料金は高くなる。でも、清潔になり、物資を運ぶのもヘリをつかうなどのコストを掛けている。致し方ないように思う。
そうそう、図書館へ本を返して雑誌を見ていたら、次のような詩の一節が目に止まった。蜂飼耳という詩人の「ほらあな」の引用。三俣山荘の夕食、鹿肉やイノシシ肉ジビエの、けものが歌っているように想えた。
討とうとしているわたしを
わたしはなにもしていない
やまはだ やまひだ やまびらき
やまいも やまどり やまのさち
奥の奥へと籠もろうか
山の生活
やめちゃって
やきとりやさんを やりたいな
八十路爺も「山の生活やめちゃっては、いかが?」と囁かれているような気がした。寝る前に両肩の湿布薬を貼り替えてもらった。
朝食はおにぎり二つ。昨夜渡されている。つまり、いつでも出発できる、と思っていた。ところが、「ご希望の方には5時から味噌汁とお茶を出します」という。そりゃあ頂いてから出ましょうということにした。おにぎりも一緒に食べた。5時半スタート。体力は恢復しているように感じた。9時間ほども寝たのが奏功しているのか。
5分ほどで野口五郎岳の山頂に着く。新旧三本の木柱標識が立っている。木柱の向こう左には、槍ヶ岳が姿を見せている。右には、その形の独特な笠ヶ岳が見事に屹立する。
うん? 女の人の話し声が聞こえる。後に人の姿はない。
下に見える野口五郎小屋の前に出発するグループの人たちが集まっている。その話し声が風に乗ってここまで聞こえてくるのだ。あの方たちは、昨日私を追い越していった12人のグループ。烏帽子岳に上ってブナ立尾根を下山するといっていたか。風はつよい。お陰で涼しい。
昨日へばって上っていたルートに合流し、標高2800mほどの稜線を西へと辿る。ところどころ岩の積み重なる小ピークを越える。遠方高いところに水晶小屋がみえる。そのピークへの稜線南東側は大きく崩れ、山肌を剥き出しにしている。北側はハイマツが蔽って、緑色を湛えて黒部湖の方へと長く深い谷をなしている。
ヘリコプターが湯俣沢を遡上するようにけたたましい音を立てて渓間から上ってくる。ワリモ岳と水晶小屋の間の低い稜線を超えて姿を消し、水晶小屋の建つピークの向こうを回り込むのか。しばらくしてバリバリと大きな音を立ててヘリコプターが水晶小屋の北側から現れ、真砂岳との間の低いところを超えて谷間に落ちるように姿を消した。そうか、今日は久々の晴れ間。ヘリは大忙しなのだ。
東沢乗越を過ぎてゴツゴツした岩山を超えて行くとき、南東に槍ヶ岳が形のいい姿を見せ、南西に目を転ずると、笠ヶ岳や黒部五郎岳の立派なカールがどっしりと構えているのが美しい。ああ、北アルプスの一番奥まったところに来ているのだ。
水晶小屋前に荷を置いて、ウィンドブレーカと水だけを持って水晶岳へ向かう。ちょうどヘリが荷を運んでくるというので、登山路は通行禁止。ヘリ待ちの小屋のスタッフがルートを塞いでいる。ヘリがすぐ左横からやってきて、稜線の中央に降りる。次々と小屋のスタッフがリレーして荷を降ろし、終わるやヘリは後方へ向きを変え飛び去るように音を立てて消えていった。
こんなに多くのスタッフがいるんだ。そう思って訊くと、縦走中の大学生がボランティアで助けに入っているそうだ。そうか、そうか。そりゃあイイことだと口にして褒めそやす。
水晶岳には40分ほどで着いた。荷物がないから楽なモノだ。山頂近くの道は岩場になっている。踏み跡もしっかり着いていて、少しも難儀しない。荷物を背負った二人連れがいたので、赤牛岳を越えて読売新道を黒部湖へ下るのかと聞いたら、戻ってくるという。いや、えらい! 荷物を降ろさず背負って歩くというのは、基本だね。若いひとはそうじゃなくてはと、自分のことは棚に上げて、これも褒める。
水晶岳南峰に着いた。人が4,5人も上れば一杯になる。水晶岳は双耳峰だ。北峰も、すぐその先にある。でも、そちらはこちらより低い。それに山頂標識もない。行かなくてもいいかなと思った。と、先を歩いていた荷物持ちのお二人さんが北峰へ行き、記念写真を撮っている。手には何やら「水晶岳北峰」と書いた標識らしきものを持っている。じゃあ行こう。いって、あの標識で写真を撮ってこよう。
北峰は、もっと狭い。手持ちの標識を持つと、西側には、いくつものカールを抱え込んだ薬師岳の大きな山体が、どっしりと控え、その手前下方の森の中に高天原の小屋の赤い屋根が見える。薬師岳の北には立山が大きな長い山頂部を北へ伸ばし、その手前に五色ヶ原が広い台地状の森を泰然とみせている。十年くらい前に所謂ダイヤモンドコースを歩いたことを思い出す。
水晶小屋に戻り、ちょっとスナックをかじって腹ごなしをして出発した。10時半。今日は急がない。コースタイム男は復活している。それにこの天気。槍ヶ岳に雲が取りついてきた。西の方には雲ノ平が睥睨される隠里のように鎮座している。先を歩いていた青年は、そちらの方へ向かった。
私たちは、ここワリモ分岐で雲ノ平への道と三俣山荘への巻道を分け、ワリモ岳へ向かう。上り。岩を踏む。途中で、へこたれて歩きがのたのたしているテントを担いだカップルを追い越す。女性がすっかり草臥れている。ああ、昨日のワタシだ(2キロくらい荷を分け持ってやればいいのに)と思い(いや、これも父権主義的かと自問し)つつ、先へ進んだ。コースタイムで鷲羽岳に到着。10名くらいの人たちが山頂のあちらこちらにいて、景色を眺め、記念写真を撮り、お喋りをしている。
ひと組の、これから水晶小屋へ向かうパーティの女性が、小粒のトマトをおひとつどうぞと差し出してくれた。
甘い! というと、
そうでしょ、庭でつくったのと、うれしそうに笑った。
鷲羽岳から三俣山荘は一望できる。傾斜はそれなりに急だが、左岸の砕けた道はジグザグに切ってある。滑らないように用心しながら、どんどん下る。何組かの下山者が道を譲ってくれる。
途中に「伊藤新道に入山する登山者の皆様へ」と表題した新しい掲示板が設置してあった。そこへ追加で貼り付けるようにして「第三吊り橋、第五吊り橋 通行禁止」とプラスティック製の注意書きがあった。湯俣山荘で注意していたのと同じだ。
そこから5分もしないで三俣山荘に着いた。ちょうどそのとき、ヘリコプターがハイマツに腹を擦るようにして着陸する。山荘のスタッフが駆け寄って荷を次々と降ろす。登山客や宿泊客が前庭からそれを眺めている。ここは、伊藤新道が再建されたということでTV放映された所為もあってか、たくさんのお客がやってくる。それに応じて、料理もイベントもいろいろと工夫を凝らして、従来の山小屋風情とは違うサービスの提供を心がけているようであった。
夕食までの間、食堂でビールを飲みながらビスケットをつまむ。サイフォンのコーヒーを淹れたり、彩りのあるクリームを提供したり、カウンターもある。ちょっとした山のカフェって感じ。夕食のときも、料理を並べた皿を前に、シェフだかスタッフ代表だかが、鹿肉ジビエの説明をする。朝食では、大きなソーセージはイノシシ肉ですと説明していた。まるで三つ★レストランのような料理の説明があるのは、山小屋では初めてのことだ。
ま、湯俣山荘もそうだった。サービスというのが、泊めてやる風の避難場所提供から、リピート顧客を迎えるリゾート山小屋に変わりつつある。ま、COVID-19のお陰で、詰め込み風の小屋でなくなったのは、ありがたい。予約しなければ泊まれなくなる。宿泊者数は制限される。むろん料金は高くなる。でも、清潔になり、物資を運ぶのもヘリをつかうなどのコストを掛けている。致し方ないように思う。
そうそう、図書館へ本を返して雑誌を見ていたら、次のような詩の一節が目に止まった。蜂飼耳という詩人の「ほらあな」の引用。三俣山荘の夕食、鹿肉やイノシシ肉ジビエの、けものが歌っているように想えた。
討とうとしているわたしを
わたしはなにもしていない
やまはだ やまひだ やまびらき
やまいも やまどり やまのさち
奥の奥へと籠もろうか
山の生活
やめちゃって
やきとりやさんを やりたいな
八十路爺も「山の生活やめちゃっては、いかが?」と囁かれているような気がした。寝る前に両肩の湿布薬を貼り替えてもらった。
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