mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

庶民の、ねじけた「願望」の表出

2018-09-11 20:23:36 | 日記
 
流言飛語の真実性(1)事実は実存に介在されて現実世界をつくる

  ウイリアム・バウンドストーン『クラウド時代の思考術』(青土社、2017年)に、いくつかの面白い(アメリカでの行動経済学者と経営学者の)調査結果が報告されていた。 (......
 

 読んでみて、あらためて庶民感覚の「妥当性」を思った。つまり、庶民が感じとっている「世界」は、統計的な「事実」ではなく、自らが「そう」実感している「実存」の感覚に裏打ちされている。それが、鳥瞰的な視点からみる社会的「公平性」の根拠となっている。それを「流言飛語」と学者・科学者は言うが、統計的な「事実」が、「あらまほしきわが社会」としては、見たくない事実なのかもしれない。そう考えると、「誤解」とか「誤認」というよりも、庶民の「希望」の在処(ありか)を示す指標のように思える。

 いま自民党の安倍政権が支持されるのも、「かくあらまほしきかたちの政権」だからかもしれない。それが「よい」というのではなく、かくも安定的につづいてほしいという「希望」を象徴する政権であってほしいという「願い」をあらわしているにすぎない、と。

 妙な「願望」の表し方だが、所詮「外野」にいて形勢を見計らって適応していくしかない(形だけの主権者である)庶民の立場としては、そういうねじけた表現の仕方にしか、「現実感覚」をもてない。そんな感じが、する。一年経って、ふと、そう思う。