mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

シルクロードの旅(5)幻の湖・平山湖

2018-05-21 15:35:15 | 日記
 
 張棭の街から車で1時間半ほどの平山湖大峡谷へ向かう。道路がまだ建設中とあって、作業中。舗装していないところや、片側だけ出来ていて、右や左へ車線を変えながら走る。着いたところも目下建設中。広い広い、ガラガラの駐車場の突き当りに高さ6メートルほどの凸凹で赤茶色の大岩が立ちふさがる。じつはこれが模造品。まるで撮影所のセットのようだ。その正面に「大峡谷」「平山湖地質公園」と大書してある。ガイドが私たちのパスポートをもっていって手続きをする。有料だが、「70歳以上は無料」とある。子どもや軍人、障碍者も無料だ。
 
 そこからバスに乗り、何と山奥へ17kmも入る。時刻は14時。バスが上るにつれ、山肌は赤くなる。乾燥地に生える草(ラクダソウというらしい)がポツリポツリとあり、階段状に人が踏んだ後のような筋がついている。あとで分かったが、野生山羊の足跡らしい。上の方へ行くと、岩山が長年の風化で脇を横筋状に削り取られ、まるで大きさの違う平たい板を積み重ねたように階段状に聳え立つ。その脇をくねくねと縫って歩く木道と階段が設えられ、広い「観望台」がところどころに設けられている。Oさんがゴンドワナ大陸時代の古い大地だからと話す。もちろん地震もない。それにしても雨によって浸食を受けたのではなく、風によって風化が進んだとすると、やわらかい土が少しずつ風に吹き飛ばされ、残った硬い岩がまるで積み上げた塔のように残っている。しかも未だに下の方の柔らかい部分が剥がれ落ち、大きな岩があったところにぽっかりと下向きの穴が開いたようになっている。ところどころに「小心落石」とあるのは、「落石注意」ということのようだ。最近崩れて近寄れないようにしているところもあった。
 
 着いたところは標高で2280m。大峡谷の一番高いところに近い。「PingShan lake grand canyon seenic spot」と案内表示板の英文は記している。テントのマークもあるから、キャンプもできるのであろう。「越野塞東道」と名づけられたハイキング道が一番遠くまで回り込むルートのようだ。まずこの岩山の先端へすすんで、その向こうの平原を観望する。けなげに黄色い小さな花をつけた草が生えている。棘があるのは、乾燥地帯の植物の特徴のようだ。向こうの尾根に何やら白いものが動いている。双眼鏡を出してみると、山羊だ。立派な長い毛を備え髭を伸ばした雄の外に、少し小さいのが3頭いて、崖の端に足をかけてまばらに生えている細い草を食んでいる。こんな厳しい岩山を住処にしているが、彼らにとっては、かえって他の動物に脅かされないで暮らしていける極楽なのかもしれない。適応しているのだ。
 
 私たちは聳えたつ岩山の間を縫う「大峡谷」の谷間に降り、ぐるりと回り込む道へとすすむ。3.5kmの距離。4時間ほどのルートと話していた56歳のガイドが私たちの古稀を過ぎる年齢を気遣って、先頭を歩きながら「大丈夫ですか」と声をかける。大丈夫どころか、こんな簡単な散歩だとは思わなかった。標高差(たぶん)250mほどを降り、谷間に降りる。岩山の間は山の道だが、すすむごとに景観が変わる。カメラのシャッターをぱちぱちと押す。途中でルートが二つに分かれている。一つはショートカットの道、岩山をよじ登るように梯子が掛けられている、という。もう一つはぐるりと経めぐるから景色がいい、と。まあ、ここまで来て近道をすることはないから、遠回りのルートを選んだが、でも、近道の厳しいところを覗いて行こうと、狭い狭い岩の間に踏み込む。とうとう荷物がつっかえてキビシイネというところから引き返した。ナキウサギの死骸を見た。まだ形をとどめているのは、死後間もないからか、乾燥地帯なのでそうなっているのかはわからない。私は一昨年、モンゴルの南ゴビの岩山でナキウサギをみたから即座にそうだと思ったが、厳密には断定できない。
 
 結局4時間かかるというところを2時間ほどでのんびりと歩き、バス乗り場に着いた。観望台のあるバス乗り場は、降りたところから少し離れていたが、そこでも大きな岩のセットをいままさに作成中。セメントだろうか、岩に模した塊にとり付け、足場を組んで色を塗っている。まるでUSJのようで、中国人の自然観は、案外アメリカ人のそれと近いのかもしれない。ガイドはひざを痛めたようだ。歩き方がぎくしゃくしている。聞くと彼は体重93kg、見かけはそうでもないが、腹がでっぷりと出ている。気の毒に彼はその後、上り下りがあるところに来ると、何時にここに集合と声をかけて待っているようになった。
 
 それはそうとして私が不思議でならないのは、「平山湖」と銘打っていながら湖がどこにも見当たらない。ガイドに聞いても、「いやここは平山湖ですよ」というばかり。同行していた一人が「平山湖」をgoogle地図でチェックしたら、張棭の近くではあるが、まるで違う方向にポイントが落とされたという。そう言えば私も、似たような思いをした。google-mapには「表示させない」とでもいうように、周辺の地図はおろか、鉄道も表示に出てこない。「張棭站」を検索すると、一本の国道が右から左へ走る中央にポイントマークが落ちるが、それ以外の表示はまったくと言っていいほど無記入だ。ガイドが「googleは不公正な表示をして政府から罰を受け、締め出された。これまで二度、中国での展開を願い出たが却下されたままだ」と、説明する。私が「それは違うよ。googleへの政府介入を認める条件を呑まなかったために、政府が締め出したと(私は)きいているよ。今でもgoogleはその姿勢を曲げていないってことじゃないの」と話して、彼は驚いていた。中国のスマホでは、地図は中国のサービスサイトが提供して、遜色なく作動しているそうだ。そうだ、平山湖の話しだ。どうもこの地域全体の呼称であるようだ。私は「幻の湖ロプノール」のことを想いうかべて、昔あった平山湖がどこかへ引っ越していってしまったんじゃないかと思ったりして、愉快がっていた。
 
 ふたたびバスに乗り、64km先の張棭の街に引き返す。張棭の街は人口80万人というが、市全体では350万人という。高層ビルも新幹線も、街の近くを流れる、水をたっぷりとたたえた黒水河も、建設途上の勢いを孕ませている。勃興期のブルジョワジーのような気配が、1960年代の日本を思い出させて、少しわが身と重なるように感じた。(つづく。が、明日は七面山に一泊で出かける。久々の山。お会いするのは明々後日になりますかね。)

シルクロードの旅(4)恵みの雨、雪景色

2018-05-21 09:08:10 | 日記
 
 翌朝(5/10)、6時起床、7時の朝食を済ませ、7時半には蘭州のホテルを出発する。蘭州駅8時20分発のウルムチ行新幹線「車廂号」に乗る。これは2600km先まで行くが、私たちは約600km先の張棭で降りる。切符に名前が記載されており、ホームへ入るのに飛行機に乗るのと同じようなパスポートの提示と荷物のチェックがあった。中国人は一人一人に発行されるIDカードを持っている。日本の新幹線に較べると車幅が少し狭い。昨年、大連から瀋陽へ乗ったときは、座っていた客が(指定席券を持った)ほかの客が来ると席を立ち、また別の空いた席に座るという何だか自由席風の振る舞いをする人がたくさん見られたが、今回はそういうことはなかった。土地柄なのか、完全に指定席ばかりなのか、わからない。まるで飛行機のキャビンアテンダントのようなやわらかい制服を着て首にスカーフを巻いた乗務員が回ってきて検札し、下車時刻を一枚一枚に書き入れて、そして下車時刻が近くなると、やってきて声をかける。なんとも丁寧。座席はほぼ満席。ところがEさんが後ろの方の車両を見に行くと、ガラガラの車両もあったとのこと。車輛を一つひとつ満席にしていく切符の売り方をしているようだ。
 
 中国の人たちは、人前でも、話し相手との間に見ず知らずの人たちが何人いても、大声で言葉を交わし合う。私の頭越しに言葉がピョンピョン跳ねる。うるさい。喧嘩を売っているようにも聞こえる。ところが博物館や観光地など、他のところで耳にする案内の中国語は、かならずしもうるさくない。やわらかく、落ち着いた響きを湛えている。なんだろう、この違いは。団体の添乗員らしい人が大声で叫んでいる。まるでいうことを聞かない中学生を怒鳴りつけているみたいだった。私たちも、1950年代はそうだったかなあと、60年程前を振り返る。
 
 じつはこの日、天気が良くなかった。気になるほどではないが、パラパラと雨が落ちる。ガイドが前日、降水量は年間330mmといっていたから、「干天の慈雨」に見舞われているのだろうか。となると「雨男」というのは誉め言葉じゃないか。新幹線の窓にかかる雨粒はけっこう大粒、驟雨という気配。「渭城朝雨浥輕塵」ってこういうことかと、高校のころ覚えた漢詩を思い起こしながら窓の外をみる。北側は、畑かただの草地がわからないが坦々と同じような平地。畑は灌漑が行き届き、作物が青々としている。ガイドの話ではすぐ近くを流れる黄河の水を使っているという。ところどころ緑の林がつづき、かと思うとビニールをかけた畑や水溜りが見える。少し遠くに山並みが連なる。その向こうはゴビ砂漠だそうだ。その北側の山から線路を挟んで3キロほど南に、祁連山脈が迫る。ところどころの平地に工場地帯という風情の街がぽつぽつと出現する。高層ビルも立ち並ぶ大きな街、モスクと思われる丸い屋根に尖塔を備えた建物が三つあった。開発途上の感が強い。出発して1時間半ほどのちに西𡧃站という駅に止まる。たくさんの人が下車し、たくさんの人が乗車してくる。人の往来は盛んなようだ。
 
 山肌は相変わらず赤茶けた禿山だ。長いトンネルに入る。そしてトンネルと抜けたとき、車内からワアという歓声が上がる。一面真っ白の雪国であった。出発して2時間余、門源站という駅に止まる。Oさんが標高は3000mを超えたよという。気圧が660hpcになっている。ひょっとすると4000mに近いかもしれない、と。そういえば、蘭州の標高は1500mほどだと誰かが言っていた。それにしても、雪とはなあと「乾燥地帯」の高山帯に思いをはせる。雪原にいるヤクの黒い群れが目につく。またトンネルに入りそれを抜けた11時10分、雪はすっかり消えている。アカシアの樹林がつづき、周りの畑は広く青々としている。南遠方に雪をまとった祁連山脈がくっきりと見える。
 
 張棭西站に11時35分に着いた。3時間余。あとでガイドの説明を聞いて知ったのだが、蘭州から甘粛省ばかりを走って張棭に至る路線と別に、一度南の青海省へ入って張棭に至る路線があり、今日は後者を走った。通過する最高標点も3100mを超え、雪を観たのだ、と。下車して新幹線をカメラに収めていたが、いま観ると車体に「新疆華源号」と書いてある。「車廂号」とどこで入れ替わったのだろう。いまだにわからない。
 
 張棭市は大きな町だ。シルクロードのいくつかの中心都市のひとつ。高層ビルが林立し、片側三車線の車道が車で埋まっている。道路も建物も建設途中の気配は、これまでと変わらない。

 歩道に敷物を敷き工具を置いて靴なおしをしている人がいる。女性客がパンプスを脱いで渡し、直すのを見ている。こんな風景に身を置いたことがあるという思いが蘇る。その脇に、軽トラの荷台を箱にしたような(昔の)ミゼット様のおんぼろ三輪車が止まっている。車体をみるとこれが電気自動車だ。まさかこれも政府が半額補助しているのか。その後街中でこのタイプの車をたくさん見かけた。ガイドは50ccだと話していたが、電気自動車で50ccはないだろう。
 
 その前のレストランでお昼をとる。TVが「李克強出席日本首相挙行的歓迎儀式」と(簡体字の)字幕を付けて、(日本の)迎賓館の模様を報じている。そう言えば、その前の日のTVで金正恩と習近平がどこか海の見える街で散歩しながら会見していることも報じていた。世界は勝手に動いている。「爆竹麺」を食べる。うどんの麺が細かく砕けているから爆竹だそうだ。箸でつかみにくく食べにくい。ニンニクの酢漬け、豚肉のチャーシューと三つ葉などの和えもの、ハスとピーマンを軽く炒めたもの、さやえんどうとイワタケの煮ものなど、わりとさっぱり系のおかずが別々の皿に盛り合わせて出てくる。ガイドはそれらを爆竹麺にのせてかき混ぜて食べているが、なんとも妙な感じがする。「爆竹面の汁」と言って出されたものは、色は薄く黄色っぽいが、塩味も何もないただのお湯。あれは「爆竹面」を湯掻いた、いわばそば湯のようなものだろうと話をした。日本食は、一つひとつの素材の味を味わうという調理法だ。それに対して中華料理は、全部混ぜ合わせて醍醐味を味わうとでも言おうか。と思った。こうして腹ごしらえをして、午後の「平山湖大峡谷」へ向かった。(つづく)