mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

第25回 36会 aAg Seminar ご報告(1)われらが身の拠って来る所以に思いをはせる

2017-03-27 16:38:30 | 日記
 
 先日(3/2)、第25回 36会 aAg Seminarが行われた。その「ご案内」は、以下のように呼び掛けている。
 
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★ seminar「ご案内」の呼びかけ
 
 さあ、いよいよわがSeminarも5年目に入ります。これがSeminar最終年になるかどうかは、皆さんの健康状態に拠ります。ぜひとも元気で、延長戦を迎えたいものと願っております。
 
 5年目、第25回Seminarのトップバッターは、「中部36会」のOさん。「36会」の命名者の一人でもあります。昨年の第18回Seminarで「趣味の香魚の話」と題してアユのお話をたっぷりと聴かせていただきました。その興に乗って、9月には長良川の鵜飼い見学をコーディネイトしていただき、篝火をたいた舟の鵜匠が鵜を操ってアユを獲る幻想的な風景に身を置くことができました。そのときの勢いで、ぜひまた中部36会を催してくれと声が上がり、再びOさんに登壇いただくことになったわけです。
 
 お題は「お伊勢さんの神秘入門」。「お伊勢参り」は、江戸のころからの庶民の特権的遊興でありました。いや信心ですよと、kmkさんあたりから言われそうですが、男も女も、丁稚も女房も、「お伊勢参り」と称するだけでお店も旦那もお休みをくれ、行く先々でもてなされたといいますから、旅行業も観光案内も、もちろん宿泊所もお食事処も万端、整っていたのでしょう。
 
 そう考えてみると、前回Seminarの続きになりますが、江戸のころのヒト、モノ、カネの流通もなかなかのものであったと思えます。今の旅行と異なり、なにしろ全行程を自らの脚で歩くわけですから、「お伊勢参り一筆書き」の気配。はたして安全に歩けたのかしらと、雲助とかゴマのハエとかにまで思いを致して、ドキドキしてしまいますね。
 
 それほどにして、一生に一度は行きたいという「お伊勢さん」とは、どんなものなのか。それを繙いてくれるのが、今回のOさんの「お伊勢さんの神秘」です。不思議大好きな人たちにとっては、見逃せない「お題」。ご参集ください。
 
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 そして行われたSeminarの翌日、次のような「お伊勢参りへのお誘い」が届けられた。
 
★ 「お伊勢参り」へのお誘い
 
 昨日(3/25)、第25回Seminarが無事終わりました。名古屋から足を運んでくれた講師・Oさんが「伊勢神宮について」A4版8ページにわたる詳細な「解説」をしたのちに、来る11月に、一泊の「お伊勢参り」を計画してくれました。その概要をお知らせします。
 
 第一日目のお昼頃に近鉄・松坂駅西口に集合して、このあとの全日程を15人乗りのマイクロバスで移動します。「高校生レストラン」で有名になった三重県立相可高校で昼食をとり、「瀧原宮(たきはらのみや)」「瀧原並宮(たきはらならびのみや)」を参拝します。この瀧原宮は本宮から遠く離れた宮殿として古来から崇敬を集め、「域内は神杉が茂る自然林の素晴らしい景観」。「伊勢参拝の方々でも滅多にこれを見ることがないのは、まことにもったいない」とOさんの力説・推奨する処です。
 
 このあと宇治山田に向かい「外宮」を参拝します。「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と西行が詠んだ神域をしずかに、そしてゆっくりと堪能、参拝。ガイドしてくれるのは、Oさんの知人で神宮ガイドの検定試験合格者であるIさん。男性はネクタイを締めることというドレスコードがあります。
 
 外宮参拝の後、「内宮」に近いところにある「神宮会館」に宿泊。荷を置いて、内宮の参道「おはらい町」やその一角にある「おかげ横丁」などの散策をして、伊勢の旅の魅力を味わってもらおうと考えているとか。「おかげ横丁」などは翌日の内宮参拝後に回してもよいようです。
 
 そして二日目。「内宮」の早朝参拝をガイドしてくださいます。まさに神宮ガイド検定合格者ならではの「特別の計らい」に浴することになります。他に、内宮別宮である「月読宮(つきよみのみや)」参拝を組み込んで午前中いっぱいを過ごします。
 
 Oさんは、お昼を「手こね寿司」と呼ばれる、伊勢ならではの漁師料理を味わってもらって、お昼過ぎに近鉄・松坂駅で解散という運びを考えていると話しています。まさに、「お伊勢参り」をピンからキリまで堪能する企画です。
 
 日程を早々に決めるのは、神宮会館に宿泊する「予約」ためです。企画の詳細は、後日、「ご案内」を差し上げますが、江戸のころから「一生に一度は……」といわれる「お伊勢参り」にふるってご参加くださいますよう、お誘い申し上げます。下記事務局に、ご一報ください。
 
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 このようにSeminarの「お伊勢さんの不思議」ははじまりました。Seminar終了間際にH.ハマダ君がいみじくも口にしたように、じつは私たちはこの世に74年以上も生きてきているのに、「お伊勢さん」のことを何も知らないことがわかりました。
 
 知らないというよりも、神道や神社にまつわりことに蓋をしてきたのです。「大東亜戦争」を遂行した「総括・反省」を日本政府も軍部もまったくしてきていません。しかしアメリカに占領され、憲法を押し付けられ、それが(それ以前の国家体制よりも良い時代を迎えるという)それなりに「国民」にとっては幸いな運びであったがために、私たち子どもは、その大きな体制変換を「大人たちの反省」として受け入れてきたのでありました。その「反省」の中に、GHQによる「軍国主義の排斥」の一環として神宮崇拝どころか、神道への探求心さえも排除してしまう気持ちが働いていたのだと、今になって思います。
 
 ではいま、H.ハマダ君が言うように「知らないで過ごした」ことを悔やむかというと、そうでもないのです。相変わらず明治天皇体制の信奉者たちは(たとえば、日本会議の人たちがそうですが)、「敗戦」を認めていません。ありとあらゆる「敗戦」によって生じた国家体制の変換や社会的事象を、アメリカによる押しつけと呼ばわって、無かったことと考えようとしているかのようです。つまりこれは、国家体制を支配する責任ある地位にいる(と考える)人たちが、先の戦争への「反省」をしていないことに由来するのです。これでは、まったく力のない私たち庶民は、国家とは別に私たち自身の「私的総括」をするしかありません。
 
 神道も、「お伊勢さん」も、はたまた日本国内に8万カ所以上もあると言われる神社も、考えてみると、先の戦争どころか、明治天皇制国家体制以前から、私たちの暮らしに根付いて育んできた「信仰」のひとつです。私たち庶民の「私的総括」には、それを繰り込まなければなりません。そういう意味では、Oさんの「お伊勢さんの不思議」は、その入口に立つことと言っていいかもしれません。
 
 「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」という神域に身を浸して、しずかに、われらが身の拠って来る所以に思いをはせることを、11月までの半年をかけてやってみたいと思っています。(つづく)