mukan's blog

つれづれなるままに ひぐらしPCにむかいて

なぜ山歩きをするのか?

2014-05-26 14:05:39 | 日記

★ Nature calls me.  モンクあっか!

 今年の3月に退職した、昔からの山仲間がいる。60歳、私より11も若い。と言っても、ここ20年ばかりは顔を合わす機会がなかった。会ってまず、その風貌に驚いた。

 いっしょに山を歩いていた20年前の彼(背は160cm台の前半)は、小太り、後で聞くと体重は70kgもあったという。その彼が、すっきりした姿で、先日、私の山の会の山行に同行した。体重は55kg。絞りに絞っていて、精悍に見える。

 17年前に父親の死に向き合ってから、体重に気を遣うようになり、ゆっくりと減らしていった。6年前に弟の死に遭遇して一念発起、トレーニングを始めた。週3回のジム通いと、ときどきの山歩きを再開した。

 退職したとはいえ、まだ週に2日半くらい足を運ばねばならないお努めが残っている。だが彼は、嬉々としてこれからのことを考え、すでに踏み出している、という。

 さっそく1,2人用のテントを買った。金曜日の午後に車で出発、登山口近くで幕営したり車の中で寝たりして、土曜日早朝から登り始める。山中で1泊して日曜日に下山。気が向いたらもう1泊して、月曜日に下山。車に戻り、温泉に入って帰宅することを開始した。

 まさに気随気まま。仕事から解放されることを彼は「責任がなくなるってのは、いいもんですね」と顔をほころばせる。むろんまだ年金の上澄み部分は支給されていない。だが、これまでの貯金や退職金を考えれば、この程度の出費は何とかなる。2人の子どもはすでに独立している。奥さんはまだ仕事をつづけているから、余計に、我がことだけを気遣って暮らしていける。願ったり叶ったりの環境である。

 その彼が、先日の山行に同行して、
 「山に入ると、どんどん目的地に向かって歩くことしか考えなかった。花や森の木々や鳥をみたりその声をききわけたりするなんて、そういう歩き方もあるんですね。」
 と、私の歩き方に学びたいという。

 いや、お恥ずかしい。私もまた、退職後にそういう歩き方を身に着け始めたばかり。その分別・吸収も、あまりいい生徒ではない。そこに身を置いて、いつしか身に備わったものをそれとして受け容れる程度の、ナチュラル派、ナルヨウニナル、ケセラセラの類である。意思的に学ぼうとしたこともない。そもそもそういう「努力」というのが自分には合わないと思ってきた。まあ、門前の小僧程度の一知半解を、思うともなくモットーにしているから、褒められるとこそばゆい。

 彼は大学の山岳部で、山歩きをおぼえた。東京農大の山岳部でしごき事件があったのは1960年代の半ばころか。彼がまだ中学生の頃であったろうが、その後も大学山岳部というのは、しごきの印象が強かったのではなかったか。私の書架にある日本山岳会の『登山技術』(2巻、白水社)も1961年発行になっている。やっと大まかな領域が描かれ、全体像が提示されはしたが、まだまだ用具も技術も日進月歩の様相を呈していた。水の補給の仕方なども、いまとは全く違って、いわば「根性もの」の登り方をしていたのであった。

 いまは違う。衣料も用具もぐんとよくなった。携帯する食料も、軽く、うまく、調理しやすい。何よりコース・ガイドがしっかりつくられている。地理院地図は相変わらずだが、ガイドブックは痒い所に手が届くほど、詳細につづられている。つまり、昔の大学山岳部で歩いていたものからすると、隔世の感がある。良くなったのだ。そうして迎えた定年退職後の山歩きであってみれば、一気に開放的に遊べるぞという気分に浸れる。

 そういう彼を祝福し、あと何年歩けるか、どこをどう歩くか、などなど自分なりの物語りにしなければならない。お前は、では何をテーマにして山を歩いているのかと問われると、はてテーマなんぞあったっけかなと、戸惑いを覚える。私は、70歳を超えたときに、毎週のように山を歩くことしか考えなかった。たまたま、植物や鳥に詳しい人が近くにいて、あれこれ教えてくれることがあって、門前の小僧をやってきたにすぎない。

 そうか、そろそろ私も、どういう物語を紡いでいるのか、答えなければならないのかもしれない。いやなに、nature calls me ってだけでも、悪くはない。ウン? 文句あっか。(5/25)

★ 「じねんぼうず」の自慢話なのだ

 昨日「モンクあっか!」などと、おどけて啖呵を切ったことを、後で悔やんでいる。もっと丁寧に説明しないと、山岳に復帰してきた友人に触れて私の思いの中に起ちあがったイメージを伝えることはできていない、と感じたからだ。

 そのとき「nature calls me.」ということばを、「自然に帰る」というような意味合いで使った。初めてこの言葉を覚えたのは高校生のとき。リーディングの授業でイギリス人作家(だったと思うが)の短編を読んでいて、用を足したい時にこのように言う、と記憶した。

 それを50年ほどのちに、パプアニューギニアの山を登っていたときに、ちょっと催したので、現地のガイドに「nature calls me.」と断って、傍らのがれ場を下って大きな岩の陰で用を足したことがあった。戻ってみると、現地ガイドと荷物持ちのサブガイドが、何がcallしていたんだと尋ねる。ウン? こういうふうに使うんじゃないの? と聞いたら、彼らは「知らなかった」と大笑いした。
 以来私は、nature calls me.というのを、文字通り、natureがcallするという意味で、わが身からいえば「自然に帰る」という意味合いで、使ってもいいんだと勝手に了解している。ほんとうのところがどうなのかは、確かめていない。

 山岳復帰の友人は、ひたすら歩くだけの自分の山歩きの仕方に、鳥や植物を愉しむ、いわば自然観察を取り入れたいとお世辞を言ったわけだが、それに対する昨日の私の書き留め方は、なんとも歯切れが悪かった。何を言いたいのかわからない。そう悔やんだわけ。

 考えてみると、私も若いころはひたすら歩くことだけに夢中であった。それは、ピークを踏むこと、険しいルートを凌ぐこと、一般ルートを歩くときには、コースタイムよりどれくらい短縮できたか、通常7日かかるところを4日で歩けるかなど、体力や気力が重い荷物に耐えてどこまでぎりぎり挑めるか、というものであったといまにして思う。そうして歩いている、ある瞬間に、ポンと無想状態に陥って2時間や3時間があったという間に経っている経験をすることがあって、私はそれを「瞑想」と呼んで、愉しむようになった。

 これはたぶん、山と一体になっていた状態、自然に帰っているのだと思う。こういう時、私の感覚からは、まず時間が無くなっている。空間に遊んでいて、手元足元は鮮明に岩角や亀裂や鎖や崩れそうな砂地やガレ場など出逢ったことを、一つ一つくっきりと覚えている。しかし、歩いているときどきに、頭に去来したであろうよしなしごとも、たぶんたくさんあったであろうに、「雑念」すら感じてないほど些末なことのように忘れている。

 若いころ、といっても40歳を超えるころまでは、なかなかそういう境地に入れなかった。単独行をしていても、日ごろのうっぷんが湧き出てきて、歩くことに集中できないような状態だったことを、思い出す。それが50歳近くなると、わりと容易にそういう境地に入り込むことができるようになった。単独行ではなく、ほかの人々と一緒に登山しているのに、はやばやと独りで歩いているような気分になってしまって、悦に入っていたことも何度かある。

 これは思うに、体力や気力の限界点が下がってきたからではないか。身体がどのような状態に置かれたら、「瞑想状態」に入りやすいかはわからないが、身体がぎりぎりの限界点に近づくちょっと手前で無念無想になるような気がする。若いうちはなかなか限界点に到達しない。限界点の手前で(ちょっと休んだりすると)回復点が起ちあがり、なかなか無念無想のところにまで自分を追い込めない。
 限界点の前に「雑念」が湧き起り、あと何時間くらいかかるとか、あとどれくらい歩けばいいんだとか、こんなルートへ連れてきやがってキショウメとか。内省的(というよりも自閉的)に、歩いている自分の歩数を数えはじめたり、目的地までの距離を考えて家から駅までより近いじゃんか、とイメージしたりする。つまり、どこかへ物語りの完結点(わが心の落ち着く先)を求めて思念がさまようのだ。

 それは自分の輪郭にたどり着く以前の「(自分の対峙する)世界」に我が心もちの立脚点が置かれていることでもある。

 年をとるのが悪くないと(私が)いうのは、こういうときだ。世の中のありとあらゆることと、自分とのかかわりがほのかに浮かんで、基本的に自省的になる。このルートも、コースタイムも、険しい道のりも、ことごとく自分が選び取って歩いていること、いやならば引き返せえばいい。引き返すには遠くへ来すぎたというのであれば、ビバークすればいい。その上体力がついていかないから、そもそも無理をしない。プランニングにおいても、歩行時間を少なくとり、おおよそコースタイムで歩ける自分の力量を越える設定をしなくなった。すると、すぐにわが身の自ずからなる在り様「じねん:自然」と歩くペースがの符節が合う。それが「自然と一体化する」ように感じられているのではなかろうか。

 ま、回りくどいことを言っているが、そんなことに、夜中に目が覚めてふと、こだわりを覚え、ここに書きつける。書きつけたことでこだわりは身から離れ、執着のない世界が私の周りに満ち満ちる。

 ふ、ふ、ふ。修行坊主の自慢話のように聞こえるであろう。でも違うのだ。「じねんぼうず」の自慢話なのだ。