エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

人類の系譜、日本人のルーツー7 ヴェルム氷期の巻

2012-12-28 | 民族学、考古学!?
相変わらず日本人のルーツを考えています、色んな本やネット上に情報が有りますが、確定的な説は無いので、私のような素人でも勝手なことを言える環境があります。
矛盾点の指摘や反論は大いに歓迎しますが紳士的な言動でお願いいたします。
今回私が考える原点にしたのは、ヴェルム氷期と呼ばれる18000年前位にピークだった氷河期の日本周辺地形です。
これによると間宮海峡を挟みシベリアと樺太は繋がり、樺太と北海道、東北は陸続きでした。
また朝鮮半島と九州もほぼ陸続きで、細い水道を挟んで対峙していたかもしれませんが当時の丸木船で航海できたと思います。
ここで日本で発見されている最も古い時期の遺跡を記述し、このヴェルム氷期との関連を考えてみます。

1)山下町洞人 以下ヴィキペディアから引用 ◎は私の考え
沖縄県那覇市山下町第一洞穴で、1968年に発見された。約3万2000年前とされる6〜7歳の子供の大腿骨と脛骨で、国内では最古級の人骨である。最近の検討によると、初期現代型新人の特徴に一致するという。

◎添付の地図に有るように、沖縄は大陸と陸続きになったことはないが氷期には大陸とかなり近づいた、極少人数の人々が海流に乗り漂着したと考えられ、それが日本人のルーツとなったとは、考えにくい。

2)石垣島・白保竿根田原洞窟の人骨
2010年2月4日、沖縄県教育委員会は、沖縄県石垣市白保(石垣島)の新石垣空港建設敷地内にある白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ)から発見された人骨について、琉球大学や東京大学などと研究を進めた結果、そのうち1点(約8cm×約11cmの20〜30代前半の男性の頭頂骨)が放射性炭素年代測定で約2万年前のものと分かったと発表した。また「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」の分析では、発見された人骨片のうちの右頭頂骨片に対して、20416±113年前(BP)という推定年代値を得た。これは放射性炭素によって直接ヒト化石の年代を推定した値としては国内最古のものであった

◎上記山下洞人と同様極少人数の人々が海流に乗り漂着したと考えられ、日本人のルーツとは考えにくい

3)港川人
1967年〜1969年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)の港川採石場の石灰岩フィッシャーで実業家・大山盛保によって人骨(上腕骨・尺骨・骨・大腿骨2点・脛骨2点・距骨・第1中足骨)の断片が発見された。上部港川人骨と呼ばれている。年代はおよそ1.2万年前と考えられている。

1970年に沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)港川採石場で数体の人骨化石が実業家・大山盛保によって発見された。人骨は少なくとも5体を数え、男性2体を含むという。約1.8万年前とされる。縄文時代が約1.3万年前から始まるとされていることから、更新世末及び後期旧石器時代末にあたる。顔は四角く、目は窪み、鼻はやや広く、立体的で頑丈であることなど現代日本人とは全く違っていて、縄文人と似ているところが目立つ。頭蓋では、骨が厚く、前頭骨が小さく、脳頭蓋の下部が幅広いなど独自の特徴でかなり原始的である。また、男性の推定身長は153〜155センチメートルで、上半身は華奢であり、かなり小柄である。

平成21年度日本学術振興会による共同研究では、後期更新世の沖縄港川人はアジア大陸の南方起源である可能性が高いが、北海道〜九州地方の縄文時代人とは、下顎形態に、多数の相違点が見出だされ、両者の間の系譜的連続性を認める従来の仮説は見直される必要があるという主張もなされている

◎1)-2)同様、沖縄は大陸と陸続きになったことは無い、また発見された人骨の特徴も日本本土で発見された人骨と異なることから、彼らが、日本人のルーツで有るとは考えにくい。
以前このブログで記述した東南アジア各地に残る少数部族、例えばスマトラのクブ族、フィリピンのアエタ族、アンダマン諸島のジャワ族のどれかと関連が有ることも考えられるが大陸から直接移動出来なかったので少数の人々が丸木舟などで流れ着いた程度と考えられる。

4)前・中期旧石器の遺跡
笠懸野岩宿文化資料館
日本は酸性の土壌が多いため、骨などが残りにくく前中期の遺跡は発見が難しい。しかし、数は少ないものの、近年の考古学研究の発展により、金取遺跡(9~8万年前]から中期旧石器が、砂原遺跡(約12万年前)では前期旧石器などの遺物が発見されている。

日本では縄文時代より前の時代を先土器時代、または無土器時代と呼んでおり、土器の時代を遡る時代の遺跡や遺物が長い間発見されず、土器以前に日本列島に人類は居住していなかったと考えられていた。ところが、1949年(昭和24年)に、相沢忠洋が、群馬県みどり市笠懸町岩宿で関東ローム層中から旧石器を発見した。日本の旧石器時代の調査・研究は、ここから始まった。現在までに、日本列島全域で4000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の後期旧石器時代に残されたものである。

4)-1 金取遺跡(かねどりいせき)は、岩手県遠野市宮守町に所在し、中期旧石器時代に属する日本列島の遺跡である。
なお2003年7月に報じられたところとして、8-9万年前と見られる地層から石器が出土し、日本国内最古との見方も出たが、2009年9月に出雲市の砂原遺跡で12万年前のものと見られる石器が出土、こちらが日本最古ではないかと報じられている。

◎この12万年前と言うことは大変説明し難い情報で、添付しが画像で見て分かるように間氷期(氷河期の前)でした。また以前のブログに記載したようにホモサピエンスがアフリカを出たのが10-15万年前と言われる中で、説明が難しいが、一つの仮説として、ホモサピエンス以外にアフリカからユーラシア大陸に移動した種でその後絶滅した種が多く有りました。有名な北京原人やジャワ原人などですが、そのような原人の1種が日本まで到達した可能性が有ります。

4)-2 浜北人
浜北人は、静岡県浜北市(現・浜松市浜北区)根堅(ねがた)の石灰石採石場で、1960〜1962年に発見された頭骨片と四肢骨片(鎖骨・上腕骨・骨・脛骨)の人骨化石である。上・下2つの地層から出土した。それぞれの層から出た獣骨の年代を加速器質量分析(AMS)法による炭素年代測定での結果は、上層が約1.4万年前、下層出土の脛骨が約1.8万年前を示した。

◎この遺跡はヴェルム氷期で陸続きになった大陸から移住した人々の可能性が高い

4)-3 北海道の遺跡

 十勝支庁上士幌町嶋木遺跡(旧石器時代の遺跡は、十勝でおよそ100ヵ所見つかっている) 恵庭岳が約1万8千年前に噴火したとき飛んできた火山灰よりも下の地層から見つかっている上士幌町嶋木遺跡は約1万9千年前と考えられている。石刃などの打製石器が発見されている。

 十勝支庁帯広市、新帯広空港建設で発見された遺跡 黒曜石はこの地方では十勝石といわれ、 石刃、尖頭器、石錐、細石刃などの打製石器が発見されている。地層から約2万3千年前と考えられている。

 十勝支庁帯広市、暁(あかつき)遺跡 およそ1万6千年前、暁遺跡周辺では、旧石器時代人が細石刃をはじめとする、いろいろな石器を作っていた作業場だったようだ。
 網走支庁(旧女満別町)大空町豊里石刃鏃遺跡 大陸とのつながりといえば、豊里遺跡から昭和32年に発見された石刃鏃(せきじんぞく)が日本考古学会でも画期的な発見だった。これまでユーラシア大陸北部で広く認められていた石刃鏃は、日本列島では発見されていなかったが、女満別ではじめて発見され、これによって大陸と日本列島の石刃鏃文化が繋がった
 
◎これらは明らかにヴェルム氷期時代の遺跡で、シベリアで開花した石刃鏃文化

石刃鏃文化とは「石刃に簡単な加工を加えて鏃とした石刃鏃を特徴とする文化。中石器時代から新石器時代初期にかけてユーラシア大陸北部に広く認められる。日本列島では,北海道東・北部に限って存在し,縄文時代早期浦幌式土器,女満別式土器などを伴う。アジア大陸側では,シベリア,中国東北,モンゴルの各地に存在し,数多くの遺跡が報告されている」

を継承していることから、陸続きだった、樺太経由で入った可能性が高い、現在バイカル湖付近に暮らす、ブリアート人と日本人のDNAの共通性が高いことから、私はこの時代に多くの人が大陸から渡り、日本人の大きなルーツになっていると考えている。

5)長野県の遺跡(例)

 立が鼻遺跡と呼ばれるキルサイト(狩猟した大型哺乳動物の)の遺跡である。発掘調査の時期は3年に一回3月に行われ、発電所の取水による湖水面の低下のため湖岸が沖合に後退する時期に合わせて、世界的にも珍しい「大衆発掘」という形態で行われている
 1962年の70名が参加した第1次発掘では、ナウマンゾウとヤベオオツノジカの化石発掘により、3~5万年前の最後の氷河時代のものであることが確認された。1964年の第3次発掘では、旧石器の剥片が発見され、ナウマンゾウと人類の関係が問題となった。1973年の第5次発掘では、参加者が千人を超えた。ナウマンゾウの切歯とオオツノジカの掌状角をはじめ、ナイフ形石器、骨製基部加工剥片(ナイフ形骨器)などが発見され、ナウマンゾウと旧石器時代の人類が共存していたことが証明された。
 
◎ナウマンゾウの骨と一緒に遺跡が出たことは明らかにゾウを追って人々が大陸から移動したと考えられる。私はこれが主な日本人のルーツと考えています。

◎以上まとめると出雲市の砂原遺跡で12万年前の石器が発見されたという情報が有るが、今までの考古学では上手く説明できない、ただ上で述べたようにホモサピエンス以外の原人の子孫かも知れない。
また沖縄で発見された、山下町洞人等も大変古いが、沖縄は大陸と陸続きでなかったので、多くの人々が流入したとは考え難く、日本人の主なルーツ(混血したことは考えられる)になったとは考え難いく、私は樺太経由で入ったモンゴリアンが日本人の主なルーツと考えています。朝鮮海峡は狭いか無かった時期も有ったと思いますが、極端に寒いシベリアに適応した、部族が、マンモスなどを追い、最も近いルートである、樺太経由で流入したと考えた方が分かり易い。その後朝鮮から人々が多く流入したのは僅か数千年まえのことです。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿