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登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

福島原子力発電所事故-9 女川原発は何故被害が少なかったのか?の巻

2011-03-29 | 日記
福島原発の問題が深刻なので、女川原発の記事が少ないのですが、私なりに調べました。
先日会社のOBとゴルフをする機会があり、福島原発の問題が話題に上がりました。
その時共通の認識は確かに想定を越える津波が押し寄せたことが、深刻になった主な要因であるが、原子炉停止後、冷却水を循環させる非常用の手段にフエイルセーフ的考えが、甘かったのではないかと言う指摘です。
1人の機械技術者は停電に備え、循環ポンプを発動機など機械的な力で動作させるべきであると言う意見も出ました。
しかし一番現実的手段は後述する(東北電力が選択した方法)高台に設置し移動できる電源車を準備する方法と思います、福島の場合も事故後これを早く手配し(他の機関から借用してでも)ポンプを駆動すべきのあったと考えています。

以下ネット上で得られた、確からしい情報です。以前述べた通り、非常用発電機が稼動出来たかどうかが鍵になります。

東北電力から詳細な事故報告が出ていないようなので、正確かどうかわかりませんが、津波により、非常用ディーゼル発電機が大量の海水により起動できなかったようです。しかし、水の除去により起動が可能だったとのこと。
なぜ、福島はディーゼル発電機が稼働できず、女川は稼働できたかは、以下の理由と思われます。
福島は、ディーゼル発電機用の燃料であるオイルタンクが全て津波により崩壊しております。一方、女川は、高台にあったことから津波により、オイルタンクが無事であったということにより、ディーゼル発電機が稼働でき、格納器、及び使用済み燃料プールの冷却水の循環ができ、大事に至らなかったということでしょう。 紙一重の幸運だと言えるかと思えます。

以下ネット上NHKニュースよりー福島第一原子力発電所の事故を受けて、東北電力は、宮城県の女川原子力発電所と青森県の東通原子力発電所について、新たに非常用の電源を配備するなどの安全強化策を発表しました。

東北電力は、27日の記者会見で、想定外の災害で深刻な事態に陥った福島第一原発の事故を教訓に、宮城県の女川原発と青森県の東通原発の安全対策を強化することを明らかにしました。それによりますと、▽外部電源と非常用の電源が共に失われるような万が一の事態に備えて、発電機を搭載した電源車を新たに配備する、▽原子炉の冷却機能を維持するためのポンプの故障に備えて予備のモーターを配備する、さらに、▽電源車を使って電源を復旧したり、使用済み燃料のプールに消防車を使って水を注入したりする事態を想定し、定期的な訓練を行うとしています。今回の大震災で女川原発は、1号機から3号機までが自動停止し、東北電力によりますと、定期検査中だった東通原発を含めいずれも安全な状態で停止しているということです。東北電力は「福島の原発事故をわれわれも重大な事態と受け止めており、現在、取りうるだけの対策をまとめた。今後も追加して策を検討し、発電所の安全性をさらに高めていきたい」と話しています。

 東京電力福島第1原発事故で原発への不信が広がる中、宮城県女川町では、東北電力女川原発の敷地内の体育館に被災者約330人が身を寄せている。

 11日の地震発生直後、高台にある女川原発に地元住民約40人が助けを求めて駆け付けた。原発は避難所に指定されていないが「人命優先」と受け入れを決断。女川原発の相沢利之広報課長は「情報が広がり、駆け込み寺のように次々と住民が集まってきた」と話す。

 カキの養殖業を営む阿部金治郎さん(68)も原発に避難した。「めちゃくちゃ揺れた。揺れから20分もたたずに波が押し寄せてきた」と振り返る。

 「小高い神社へ」と懸命に石段を上ったが、波は神社の鳥居をなぎ倒した。雪が吹き付ける中、山に登って高台で一夜を過ごした。

 翌朝、山を下りると集落は崩壊していた。途方に暮れていると「原発で被災者を受け入れている」とのうわさを聞き、がれきや漂流物であふれた道を約1時間歩いて原発にたどり着いたという。

 福島原発の事故は女川原発の避難所で知った。阿部さんは「不安がっても仕方がない。出て行ったら凍え死んでしまうんだから」と話した。

 女川原発では11日の地震で自動停止。1号機タービン建屋から出火、1~3号機の燃料プールの水が床にあふれるなどした。

添付の画像は女川と福島のモニタリングポストの状況です。女川は正常なようですが、福島原発は現在非公開中です。

鳩吹山の巻ーカタクリの群生地として有名です

2011-03-27 | 日記
最近暗いニュースが多い中ですが、4月1日に私の主催でウオーキング会が有り、下見のため、鳩吹山に行って来ました。
今年は、咲き出しが少し遅く、現在見頃、4月1日でも十分間に合うことが分かりました。
また本日は天気も空気の透明度も良く、最高のハイキング日和、駐車場は大変混雑していました。


福島原子力発電所事故-7 放射能の種類の巻

2011-03-26 | 日記
福島原発の事故では、冷却水放流域で深刻な放射能汚染が出ましたが、これは当然のことです。
今回原子炉が水素爆発で大きな損傷を受け、それを冷却するため、大量の海水を放水しましたが、これが周辺に拡散したか、直接圧力容器から漏れ出た汚染された水が配管を通じてタービン建屋に進入したと考えられます。
今回問題になっている主な放射能汚染はヨウ素131とセシウム137で半減期は放射性ヨウ素131の半減期は8日、放射性セシウム137は30年とされるので放射性ヨウ素の汚染は今後大きな展開が無ければ収まります。
両方ともウランが核反応した時に出来る放射性物質ですが、これが漏れ出した分けです。
放射性ヨウ素は幼児の甲状腺に蓄積され、甲状腺ガンや発育障害の報告があり、今回警告が出されました。


福島原子力発電所事故-8 アメリカのスリーマイル島事故の概要の巻

2011-03-25 | 日記
今まで世界で起きた原発事故で一番大きいのは、旧ソ連で起きたチェリノブイリでこれは核反応が暴走した最悪の事故でした。
その次に大きな事故がここに添付した、スリーマイル島事故で、良く今回の福島原発事故と比較されます。
福島はまだ進行中ですので、詳しい比較は出来ませんが、周辺住民に対する被爆線量は1mシーベルト以下であったそうですので、多分福島の方が大きくなりそうです。-6で述べたように、住民が住んでいる原発周辺の汚染量の正式発表はされていませんが、局部的には、かなり大きい被爆があったと推定されます。


福島原子力発電所事故-6 放射能の強さを表す単位の巻

2011-03-25 | 日記
連日福島原発のニュースが報じられていますが、放射能を表す単位に2種類有り、十分な解説が無いので、ここで説明します。
まずベクレムという単位は放射能を出す強さの単位で以前はキューリーがもちいられていました。
またシーベルトは放射能が人体に与える影響を評価する単位です。
そして放射能には以下の種類がありますが、詳しくは巻7で述べます。
放射性同位体は不安定であるため、一定の確率で原子核崩壊を起こし、それにともない放射線が放出される。この性質が放射能である。原子核崩壊は単に崩壊や壊変とも呼ばれ、いくつかの形式がある。これを崩壊モードといい、主な崩壊モードにはアルファ崩壊、ベータ崩壊、ガンマ崩壊がある。それぞれの崩壊では、α粒子、β粒子、γ線が放射線として放出される。

福島原子力発電所事故-5 政府発表データの巻

2011-03-24 | 日記
今日の中日新聞に文部科学省発表のデータが掲載されましたが、原発周辺は余りに大きな値を示すので、割愛されました。
今日起こった現場作業員は100mシーベルト以上の放射能を浴びてしまいましたが、強く放射能に汚染された床の水が靴から注入したようです。
現場の作業管理に問題が有ります。
管理者が現場に居ないのでは無いかという疑問が生じます、先日公表された東京消防局の場合は現場責任者が一番多く放射能が有りそうな所に居て、放射能を逐次監視していました。
私は住んでいる、中部地方はこのデータから心配無さそうです。

福島原子力発電所事故-4 東京の水道水放射能汚染の巻

2011-03-23 | 日記
いよいよ東京に汚染が広がりました、ドイツのシンクタンクが事故発生から現在までの風向きを考慮した放射能汚染拡大図を公開しましたが、一時期東京が汚染地域に入りました。
また水道水に含まれる放射能を公表しているサイトの情報でもこれが反映されています。

生涯現役の巻

2011-03-23 | 日記
私は65歳まで会社で働きましたが、生涯現役と言う言葉が好きです。
そこで趣味の延長ですが、商品開発を進めています。
まだ成果に結び着きませんが、根気良く続ける予定です。
ところで有名人ですので皆さんもご存知と思いますが、しょうち先生の記事を添付します。
一番下は日野先生の記事ですが、彼はしょうち先生を尊敬しているそうです。
何時までもチャレンジする精神を持ち続けたいと思い、この記事を添付しました。

福島原子力発電所事故-3 被爆放射線の安全基準の巻

2011-03-21 | 日記
今回の事故に対応し、原発職員は基より、勇敢な消防士、自衛隊隊員の努力で、何とか、最悪の事態を免れている感じです。
ところで現在の所、避難勧告や自宅待機勧告を受けている方以外には深刻な放射能汚染は生じていませんが、放射能被爆は少ないほど安全であると言う考え方も有りますので、皆さんが神経質になるのも当然と思います。そこで最近Yahooオークションで放射能測定器の販売が好調です。
ここに安全基準と福島原発周辺のデータを添付します。

福島原子力発電所事故-2 緊急用炉心冷却装置の巻

2011-03-21 | 日記
原子力発電所が非常停止した後、炉心内部の水を再循環させるポンプが機能すれば、炉心は異常発熱しないと思いますが、これが電源が無いことで、機能せず、緊急炉心冷却装置の動作が必要になったと考えられますがこの動作にも電力が必要です。
その構造図ですが、この点を述べたマスコミの報道は無く(私は聞いていない)多分動作しなかったと思われます。
報道では当初、圧力容器の圧力を開放する弁を動作させる電源がなく、危険を冒し人手で解除すると言いました。いずれにしろ、圧力容器内部の気体はこの図の自動減圧系と言うルートで圧力プールに流れ、また圧力逃がし弁から建屋に進入して、建屋上部の爆発に繋がったと考えられます。


福島原子力発電所事故-1 疑問に答えるの巻

2011-03-20 | 日記
東北関東大震災に対応し、福島原子力発電所で大変な状況が起きていますが、TVや新聞で得られる情報にもどかしさを感じて居る方が多いと思います。
そこでNETを通じ私の疑問に応える情報を収集しました。一番参考になったのは、省エネルギー研究所の情報でした。
まず福島原子力発電所の構造図を添付しますが、これは沸騰水型と呼ばれる方式で、圧力容器で水が蒸発し(沸騰)外部にある蒸気タービンで発電します。しかし殆どの情報は圧力容器の異常圧力を開放する構造を図示していません。続編で図を添付します。
この事故では緊急停止装置は正常に動作し、制御棒により、燃料棒(ウラン)の核反応は停止しました。しかし燃料棒は停止後も発熱を続け(ウラン燃料は臨界と言われる核反応停止後もウランや内部で生成した放射性物質の自然崩壊で発熱を続ける)その熱で圧力容器内部の水が蒸発し、燃料棒が水から出てしまい、空焚き状態になってしまいました。
そして圧力容器の内部圧力が上昇したので、それを緩和する為(圧力容器の爆発を防止)圧力容器内部の気体を外部に出す、操作(又は自動)が行われ、圧力容器の外の原子炉格納容器内に漏れました。
この気体には高温の燃料棒と水が反応し、水素と酸素が生成された気体が混ざっていましたが、これに何かのきっかけで点火し爆発しました。
ここで私が納得できなかったことは、緊急時必要な非常用電源が故障してしまったことです。それも1-5号炉すべて使えないことは大変深刻でした。
これは今後大きな反省点になると思います。

省エネルギー研究所の情報を抜粋転記します。

特定非営利活動法人 省エネルギー総合研究所
"私は3月12日に日本で起こっているいくつかのトラブル──日本の原子炉の安全性──に関して心の平穏を与えるために、この文章を書いている。率直に言って状況は深刻だが、コントロール下にある。
そしてこの文章は長い。しかし、この文章を読むことによってこの惑星に一緒に住むあらゆるジャーナリストよりも原子力発電所について詳しくなるだろう。
今までそしてこれからも深刻な放射能物質の漏洩は決して起こらない。
深刻なという意味は長距離フライトや自然放射能レベルが高い特定の地域で栽培された麦で作られたビールを飲むときに受けることになる放射能レベルという意味だ。
私は地震後のこの事故に関する全てのニュースに目を通した。
正確で誤りのないレポートはただの一つも無かった。
日本の危機報道における弱点でもある。
誤りが含まれるので、私は偏った反原発記事を参照しない──これはこの頃非常によくあることだ。
誤りの中には、物理学や自然法則に関するあからさまな誤り、原子炉が建築され運用される方法に関する基礎的・基本的理解の明らかな不足による事実の重大な誤認も含まれる。
私は各パラグラフに誤りが含まれるCNNの3ページのレポートを読んだことがある。
なにが起こっているかを見る前にまずいくつかの基礎を説明しよう。
福島原子力発電所の構造
福島原子力発電所は沸騰水型原子炉(BWR)と呼ばれる。
沸騰水型原子炉は圧力釜に似ている。
核燃料は水を温め、水が沸騰し蒸気を作り、蒸気がタービンを回し、電気を作る。蒸気は冷却され、水に戻され、水は再度核燃料により加熱される。
圧力釜はだいたい250℃で動作する。
核燃料は酸化ウランである。
酸化ウランは約3000℃の高い融点を持つセラミックだ。
燃料はペレット(レゴブロックサイズの小さなシリンダを想像すると良い)に成形される。
これらのペレットは2200℃の融点を持つジルコニウムで作られた長いチューブの中に挿入され、固く密閉される。
こうして組み立てられたものが燃料棒(fuel rod)と呼ばれる。燃料棒はまとめられ燃料集合体にされる。
多くの燃料集合体が原子炉の中に配置される。全ての燃料集合体をまとめて炉心(the core)となる。
ジルコニウムのケースが第一の格納容器だ。これは放射能燃料を外界から遮断する。
炉心は圧力容器(pressure vessels)の中に配置される。これは先に述べた圧力釜だ。
圧力容器は第二の格納容器である。
これは釜の頑丈な部分の一つであり、数百℃の炉心が安全に格納されるように設計されている。
これはいくつかの点で冷却を回復させるシナリオに関連する。
原子炉の全体のハードウェア──圧力容器と全てのパイプ、ポンプ、冷却(水)蓄積は、第三の格納容器に格納されている。
第三の格納容器は分厚い鋼鉄で完全に密閉されている。
第三の格納容器はただひとつの目的のために設計され製造されている。
完全な炉心溶融を無期限に封じ込めるためだ。
この目的のために、大きく厚いコンクリート製のたらいが圧力容器(第二の格納容器)の下に成形され、第三の格納容器の中は全て黒鉛で満たされる。
これがいわゆるコアキャッチャ(core catcher)だ。
もし炉心が溶融し圧力容器が爆発(最終的には融ける)したとしても、コアキャッチャが溶け出した燃料や他のすべてのものを捕える。
このように核燃料が散開することで冷却されるのだ。

原子炉の基礎
ウラン燃料は核分裂によって熱を発生する。
重いウラン原子はより軽い原子に分裂する。
核分裂によって熱と共に中性子(原子を構成する一つの粒子)を生成する。中性子が他のウラン原子に衝突すると、ウラン原子は分裂し、さらなる中性子等を生成する。
これが核分裂連鎖反応と呼ばれる。
多くの燃料棒を他と隣接するように単純にまとめると、急速に過熱が進み、約45分後に燃料棒の溶解に至る。
ここで原子炉の中の核燃料は「決して」核爆弾のタイプの核爆発を起こすことは無いということに言及しておく価値があるだろう。
核爆弾を作ることは実際とても難しい(イランに訊いて下さい!)チェルノブイリでは、過度の圧力上昇によって爆発が生じ、水素爆発と全ての格納容器の破裂、融解した原子炉材料が環境中に放出された(ダーティボムだ)。
何故同じことが日本で起きないかは次に述べる。
核分裂連鎖反応をコントロールするために、原子炉のオペレータはいわゆる制御棒(control rods)を利用する。
制御棒は中性子を吸収し、即座に連鎖反応を止める。
原子炉はこのように作られているため、オペレーションが正常に行われている場合には、全ての制御棒が外される。
炉心が熱を生成するのと同じ速度で、冷却水が熱を取り除くのだ(そして熱を蒸気と電気に変える)。
正常運用時には250℃程度と十分な余裕がある。
制御棒を挿入し核分裂連鎖反応を停止させた後も、炉心は熱を放出し続ける部分に課題がある。
ウランは連鎖反応を止めているが、多くの中間生成物である放射能元素がウランの分裂過程で発生する。
特にセシウムとヨウ素同位体がメインとなるが、これらの放射性元素は最終的により軽い原子に分裂して、放射性物質では無くなる。
これらの元素は崩壊の間熱を発生し続ける。熱がウランから再生成されることはないため(制御棒挿入後はウランの崩壊はストップしている)、熱はだんだん下がって行き、全ての中間放射性元素が使い果たされるまで、数日かけて冷えていく。
この残留熱が現在の頭痛の種だ。
一つ目の種類の放射性元素は燃料棒のウランとウランが崩壊するときの中間放射性元素であって、共に燃料棒の中にある(セシウムとヨウ素)。
二つ目の種類の放射性元素が燃料棒の外で生成される。
最も大きな違いは、これらの放射性元素はごく短い半減期を有し、急速に崩壊し非放射性元素に分裂するということだ。
おおよそ秒単位の話だ。
そのため、もしこれらの放射性元素が環境中に出たとしても、そう、たしかに放射性元素は放出されたが、しかし、それは全く危険ではない。
あなたが“R-A-D-I-O-N-U-C-L-I-D-E”と書いている間に、それらは非放射性元素に分裂し危険ではなくなるのだ。
それらの放射性元素はN-16、窒素(空気)の放射性同位体(型)だ。
あとはキセノンのような希ガスだ。
しかしそれらは何処から来るのか? ウランが分裂するとき、中性子を生成する(前述のとおり)。
ほとんどの中性子は他のウラン原子に衝突し、核分裂連鎖反応を継続させるが、一部は燃料棒を離れ、水分子に衝突する。
そこで、非放射性元素が中性子を捕まえ、放射性元素に変わる。
上述のように、それは速やかに(秒単位で)中性子を放出し、元の美しい自己を取り戻す。
二つ目の種類の放射線は、後で環境中に放出された放射性元素について話すときに非常に重要になる。
福島で何が起きたのか
"ここで主な事実をまとめたい。日本を襲った地震は原子力発電所の設計値よりも5倍も強い(リヒタースケールは対数的に働くため、発電所の設計値である8.2と実際の8.9の間は5倍である。0.7ではない)。
日本のエンジニアリングに対して最初に賞賛すべきところで、全てが持ちこたえた。
8.9の地震が襲ったとき、原子炉は全て自動停止プロセスに入った。
地震発生から数秒後には制御棒が炉心に挿入され、ウランの核分裂連鎖反応は停止した。
今や、冷却システムが残留熱を取り除かねばならない。残留熱負荷は通常の運用条件の熱負荷のおおよそ3%だ。
地震は原子炉のゲイブ電力供給を破壊した。
これは原子力発電所の最も深刻なアクシデントの一つで、発電所の停電はバックアップシステムを設計する上で最も注意される部分だ。
電力は冷却ポンプを稼動させるのに必要だ。
発電所が停止されているため、自分で必要な電力を供給することはもはやできない。
1時間は物事はうまく進んだ。
複数の緊急ディーゼル発電機のうちの1つが必要な電力を供給するために作動させられた。その後、津波が襲った。
発電所設計時に想定されていた津波よりもより大きいものだ(上記のとおり5倍だ)。
津波は全てのバックアップのディーゼル発電機を破壊してしまった。"
"ディーゼル発電機が故障した際、原子炉のオペレータは非常用バッテリパワーに切り替えた。
バッテリはバックアップのバックアップの一つとして設計され、8時間にわたって炉心を冷却する電力を供給する。
そしてそれはなされた。
8時間以内に別の電力源を発見し、発電所につながなくてはならない。
電力網は地震によってダウンしていた。ディーゼル発電機は津波によって破壊された。
そこで可動式のディーゼル発電機が投入された。
物事が悪い方向に進み始めた。外部発電機は発電機に接続することが出来なかった(プラグが合わなかった)。
そこでバッテリが枯渇した後は残留熱を取り除くことができなくなった。"
"ストーブの上にある我々の圧力釜を想像してみよう。熱は低いが電源は入っている。オペレータは、あらゆる冷却システムの能力を使って可能なかぎり熱を除去しようとする。しかし圧力が上昇し始める。現在の1stプライオリティは、第二の格納容器である圧力釜と同様に、第一の格納容器の完全性を確保することだ(燃料棒の温度を2200℃以下に保つ)。圧力釜(第二の格納容器)の完全性を確保するためには、圧力を時々逃がしてやる必要が有る。非常時に圧力を逃がす能力は極めて重要なので、原子炉は11もの圧力逃しバルブを有している。オペレータは圧力をコントロールするために時々蒸気を放出し始めた。この時点で温度はおよそ550℃となった。
これが放射能漏れに関するレポートが入ってきたときに起こっていたことだ。
私は蒸気放出が理論的に環境への放射性元素の放出と同様であること、なぜそうなのか、それが危険ではないことを説明してきた。
放射性窒素は希ガスと同様に人の健康に害を与えない。
蒸気放出のどこかの段階で爆発が発生した。
爆発は第三の格納容器(最終防衛ライン)の外の原子炉建屋で起こった。
原子炉建屋は放射能を封じ込めるのに何の機能も果たしていないことを思い起こして欲しい。
まだ何が起こったかは明らかではないが、次が考えられるシナリオである。
オペレータは蒸気放出を圧力容器から直接環境中にするのではなく、第三の格納容器と原子炉建屋の間の空間に行おうとした(蒸気中の放射性元素が安定するための時間をより確保するため)。
問題はこの時点で炉心が高温に達していたことで、水分子が水素と酸素に分離し、爆発性混合物になっていたことだ。
そしてそれが爆発し、第三の格納容器の外側、原子炉建屋にダメージを与えたのだ。

新燃岳噴火前映像の巻ー2008年5月末撮影

2011-03-13 | 日記
まず今回発生した東北関東大震災で被災された方にお見舞い申し上げます。
最近、地震や火山噴火など地球内部の活動が活発になっているふしが有ります。
先日私は福地山で震度4の地震を体験しましたが、今回自宅では全く感じませんでした。
同じ岡崎市でも地盤の違いで震度はかなり異なるようです。
ところで、08年5月にえびね高原から新燃岳を経由して高千穂峰に縦走した時の写真です。
新燃岳の火口湖を含め当分このような素晴らしい景色を見ることが出来ません。

私の仕事遍歴ー6 石油ショックの巻

2011-03-07 | 日記
私がA社に入社して約2年後第一次石油ショックが発生、急遽それに対応した特別プロジェクトが発足し、技術開発研究所(所謂技術部)内の技術企画室に、技術部だけでなく各工場の生産技術からもメンバーが集結しました。
その頃は近くに住んでいる方と同乗で通勤するなど、かなり、異常事態でした。
そして最初はかなりパニックな判断をし、出来るだけ石油から出来ている、樹脂部品を廃止しようと言う意見も有りましたが、徐々に、冷静になり、結局はVE(バリューエンジニアリング)やVA(バリューアナリシス)を行うことに成りました。
各設計部署や仕入先と相談し、設計の見直しや工法の改善提案を行い、その試作部品の評価を実施し、OKなら顧客に提案し設計変更を承認して頂く活動でした。
こんな活動も約1年続くと、日本経済も冷静になり、プロジェクトは解散し、工場から来た方は元の部署に戻りましたが、私は技術企画室に残り、新たな活動を開始しました。
当時A社は自動車部品以外に、家庭機器の製造販売もしており、その現状分析とビジョンを作る企画でした。
私は家庭用ミシンを担当し、当時製造していた、安城工場に常駐し、調査、企画を行いました。
その頃、米国のS社がコンピュータミシンと称し、電子化されたミシンを市場に投入し、それが、業界で大きなインパクトになっていました。
そしてA社は米国や欧州のディストレビューター(自社ブランドを持つ現地販売会社)に対するOEM生産が中心でした。
自動車部品もOEMでしたので、A社にはマーケッティングに関するノウハウが大変貧弱で、そこに大きな問題を抱えていました。
私はこの分野を初めて勉強しましたが、得意先から提供される、仕様に従い、設計するだけでなく、自ら市場調査行い、ユーザーが求める商品を企画する考え方の重要性を経営者に説いて回りました。
そしてマーケットセグメンテーション(幾つかに分類される、それぞれの顧客が求める商品を明確にする)という考え方をミシンにも応用する提案をしました。
しかし大手の広告代理店に市場調査を依頼すると高額になるため、私は、自分でユーザーの要求を調べるアンケートを作成しこの結果を分析することにしました。
丁度その頃、T社のグループ企業で、GE社の企業戦略を研究する、プロジェクトがあり、私はその事務局を担当していました。
当時GE社(エジソンの発明を事業家することでスタートした、巨大総合電気メーカー)ではポートフォリオ戦略と称し、自社が展開していた、事業の見直しをし、業績を向上させたことで、有名でした。
そしてその頃、GEは大形コンピュータ製造販売から撤退し、大型コンピュータを通信回線を通して賃貸しするマークⅢと言う新事業を展開していました。
私は米国に有るGEの大型コンピュータシステムを使い、高額な多変量解析ソフトを購入しないでもアンケートを解析することに成功し、ユーザーが求める、家庭用ミシンのコンセプトを明確にし、A社の電子ミシンに反映しました。