エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

私が注目した自動車技術、新型デミオの巻

2011-06-14 | 仕事遍歴
以前自動車部品メーカーに勤務していた関係で、車の技術動向には大変興味があります。
2011年6月発売のマツダ、デミオはハイブリドのホンダフィット並みの燃費を達成しました。
添付した画像の中にエンジン性能曲線を記載しましたが、3000回転以上でトルクが落ちない特徴があります。
これは素晴らしいことで、今後他のメーカーにも大きな影響を与えると思います。
基本的には圧縮比を1:14に上げ、直噴エンジンにより実現したようですが、
三菱が直墳エンジンのGDIから撤退した中で、我々ユーザーから見ると、この技術にリスクを感じます。
もう少し様子見の方が多いのではないでしょうか?


私の仕事遍歴ー7 地中熱利用エアコンの巻

2011-05-12 | 仕事遍歴
私の仕事遍歴ー6に引継ぎその後の話を思いだしながら、記載します。
A社の技術開発研究所(所謂技術部)には技術企画室と言う部署が有りましたが(現在も有ります)そこに在籍中、研究所としてのビジョンを作成する為、自動車の将来像を作成する業務を担当したことが有ります。
A社は主にメカを中心とした、自動車部品を生産していましたが、今後システムの電子化が進み、テリトリーとしている分野が脅かされるという危機感を持つに至りました。
そこで、自社が製造販売している製品分野を中心に、いかにシステム化を図るかということを真剣に考えました。
そしてA社の中では圧倒的な少数派で有った、我々電子技術者の努力もあり、A社は比較的上手く電子化の波に乗り、システム商品を増やすことが出来たと考えています。
また私はー6で述べたようにGEの企業戦略研究プロジェクトの事務局を担当し、GEのエアコンを調査した中でヒートポンプが少エネに貢献することに気がつき、それを発展させた新しいエアコンシステムを考案しました。
皆さんもお気づきの通り、冬場暖房にエアコンを使うと、よく霜取りが動作し、その間、暖房が利きません。
私は地中の温度が1年を通し、一定で有る事に着目し、エアコンの熱交換器を地中に埋めるアイディアを思い付きました。
このようにすると、ヒートポンプの効率が著しく向上し、もちろん霜取り不要になります。
しかしいかに安く熱交換器を地中に埋めるかが大きな課題になりました。
そして私はDIY先進国である、米国から、簡易井戸掘削装置を輸入し、実際に、井戸を掘り、実験しました。
添付したPATは冷房用の水を地下に下ろし循環させる物ですが、他に先述のヒートポンプエアコンの冷媒を地下で熱交換する案も考えました。
しかし残念なことに、私の力不足で、A社では事業化できませんでした、そしてその後このアイディアは米国で事業化され、現在日本でも販売されています。

私の仕事遍歴ー5 転職の巻 

2011-02-22 | 仕事遍歴
駐在員から帰国すると、M社は規模の縮小により再建することになり、私も身の振り方を考えていました。その中で1年先輩のK氏から比較的近くのA社のキャリア採用に応募し入社したと言う情報を得、私も募集に応じました。そしてA社は新商品開発を大々的に行うプロジェクト要員を募集していたのですが、私はA社の技術開発研究所に居た電子系のメンバーがその部署に異動した、空き要員に採用され、自動車部品の開発を担当しました。
私が配属された課は研究所唯一の電気技術者の集まりで、機械系部品を設計、製造、販売しいたA社では異色の存在でした。
そこで最初に手がけた仕事はその頃米国のEaton社と技術提携して開発した、機械、電気式のクルーズコントロール装置の検査装置、開発でした。
このEaton社のシステムの基本構造を図示しましたが、素晴らしい技術でメカ技術を中心にして、エンジンスロットルを制御し、アクセルを踏まないで、一定車速で走行できるシステムです。狭い日本では余り普及していませんが、米国では多くの車に装着されています。
この図では図示できませんでしたが、スロットル開度をメカ機構でフィードバックしハンチング(制御が発散し振動すること)を防止する仕組みまで入り、東名高速道路の牧の原SAに登る坂でも車速の低下は1km/h程度に抑えられていました。
そして次に私が取り組んだのはこの装置の電子化でした。Eatonのシステムの欠点はスピード(車速)情報を得るのにスピードメータケーブルをこの装置まで引き込む必要性があったことです。
そこで車速信号を電子センサーに置き換え、Eaton式と同じ様に動力源としてはエンジン負圧を使う方式を考えました。
ただしその方式にはBendix社のPATが有り、これをいかにクリアーするかが課題でした。
当時開発していたアクチュエータの写真です。その後私は石油ショックに対応した緊急プロジェクトに動員されましたが、後継者により商品化され、大きな売り上げに貢献しました。
写真の左上はA社がEaton社と最初に提携して商品化した、流体継手式ファンカップリングです。現在でもFR車のエンジン冷却ファンとして使われています。このカップリングの意味ですがエンジン回転数が上昇するとエンジンの出力軸とファンの軸を滑らせ、無駄な動力を減少させる物でその後温度制御を加えることで、さらに省エネ効果を増した装置も商品化されました。



私の仕事遍歴ー4 Lear Jet社のステレオ装置

2011-02-17 | 仕事遍歴
Lear Jet社は8トラックとMuntzの4トラックの2倍の時間再生できる装置を開発しました。そしてこのカートリッジにはゴムのピンチローラが内蔵されていました。
この装置も大ヒットしましたが、Lear Jet社がカートリッジの寸法交差を公開せず、また各社が入り乱れて、寸法公差の甘いカートリッジを販売したので、品質的に大きな問題を抱えました。
そしてその直後、オランダのフィリップスがカセット式のステレオを開発し、カセットの金型を公開した為、これが世界標準になりました。
M社も既にこの時期カセット式カーステレオ、家庭用ステレオを市場に投入しました。
そして私はTcsonから新たな顧客で有る、Automotive radio等ボストンやバンクーバーに出張で出かけました。
しかしこの頃社長が急死され、その後の経営陣の対応に問題が有ったのか、会社が急に傾き、急遽帰国することになりました。
既にこの時期、輸出用のステレオは過当競争に入り、ダンピングしないと売れない時期に突入していたと思います。

私の仕事遍歴ー3 LAの後、急にアリゾナ州のTucsonに有るLear Jetに転勤

2011-02-17 | 仕事遍歴
Lear Jet社は名前の通りビジネス機のメーカーですが、Muntzに対抗して8トラックのカートリッジとステレオ装置開発した会社です。
そこにM社から家庭用のステレオ装置を輸出しましたが、設計に問題が有り、その処理に出かけました。
ここにも約1年駐在しましたが、ここでは駐在員私1名、時々シカゴ事務所からテレックスが入るだけでした。
その会社では品質管理部署(QC)に配属されました、そしてそこで大変気持ちの良い同僚ジョン、バリーと友人になり、休みにはそこのご家族とライフル射撃の練習に連れて行っていただくなど楽しいお付き合いが出来ました。
そしてTcsonでも語学の勉強にため、夜アリゾナ大学の語学教室に通いました。

私の仕事遍歴ー2 最初に駐在したMuntzの紹介

2011-02-17 | 仕事遍歴
Muntz社はエンドレステープを使った4トラックカートリッジを開発した会社で、これを車載用にしカーステレオとして大成功しました。彼らは装置だけでなく音楽ソース(カートリッジ)の販売にも力を入れました。
M社はこの会社と提携し装置をOEM提供することで躍進しました。写真は最近ネットで得たMuntz社の情報で、ここに登場する初期の4トラックカーステレオは私が勤務していた、M社製です。
4トラックカートリッジはエンドレステープになっており、ヘッドを上下に移動することで、再生時間を長くした物です。

私の仕事遍歴ー1 最初の仕事、全て時効になった話ですが、会社に迷惑が掛からない範囲で記述します

2011-02-14 | 仕事遍歴
私は当時無線に興味が有り、自宅から電波を出していました。そこで地元で就職を希望し、オーディオ技術が好きでしたので、当時ベンチャー企業として、車載用オーディオ機器を設計、製造、販売していた、M社に勤めました。そして、会社の組織について無知だったこともあり、希望とは異なる生産技術部門に配属されましたが、約2年後駐在員を希望しLAに渡りました。その頃の写真です、LAではVan Nays に有ったMUNTZ社に約1年勤務しました。
仕事で英語を話す機会が少ないので、夜LA地区の高校を開放した、アダルトスクールに通い英会話を学びました、生徒の約90%は所謂メキシカンを中心とする中央、南アメリカ系でアジア系が10%くらいでした。また欧州からの人はあまり見かけませんでした。
話が戻りますが、当時M社では4トラックのカートリッジ式カーステレオを中心に、その後、後述する、米国のリアージェット社が開発した8トラック式を逸早く導入し市場に投入しました。それが飛ぶように売れ、工場規模を急拡大していました。そしてM社はテープ式ステレオのキー部品である、ヘッドも内製し技術力の有る会社でした。