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登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

中日新聞、私のアングルに再度入選の巻

2014-12-31 | 風景&山岳写真
毎月最終水曜日、中日新聞に私のアングルが掲載されます。
ほぼ毎月投稿しているので、朝新聞を開くのが楽しみです。
今日幸運にも掲載されました、今年2回目、大変嬉しい日になりました。
また今年から写真誌フォトコンにも投稿していますが、予選通過3回のみ、来年はなんとかしたいと作戦を考えている所です。
審査員も変わったので、この人の好みを研究することが必要です。

平谷高原スキー場の巻

2014-12-30 | 日記
帰省した息子の家族とスキーを楽しみました。
昨年は旭高原でソリでしたが、孫は今年の1-2月関東方面でスキーをしたそうで、かなり上達していました。
昔、息子や娘を連れて、国道158沿いのスキー場に通いましたが孫はまだ始めたばかり、近場で十分楽しめました。

ペルー旅行記ー9 リマ空港の巻

2014-12-14 | 日記
12月1日はクスコから空路、リマ空港に、ここで数時間の待ち時間がある。
オプシヨナルとして日本食ディナー+おみやげ買いのもツアーが用意されていたが、参加せずに自由にすることにしていた。
丁度胃腸を壊していたので、参加しないでよかった。
事前に空港近くにリマアウトレットセンターが有ることが分かっていたので、添乗員に案内していただいた。
本来航空機の遅れでキャンセルされた、リマの市内観光をしたかったが、個人でタクシー乗車は危険と案内され、実現出来なかった。
ここを零時過ぎに立ち、約6時間でヒューストン乗継後13時間もかけ成田に大変疲れて帰りました。
今回のツアーでは参加者19名、構成は比較的高齢の夫婦7組、男性1名、兄弟2組(姉妹と兄弟)でした。
兄弟(姉妹)で参加の若者もご夫婦で参加の皆さん、気持ち良い方々で、楽しい旅になりました。
名古屋地区だけでなく、北海道から参加の人も居ました。
またこのツアーでは殆ど食事付でしたが、どこのレストランも美味しく、食にこだわるスペイン人気質を感じた。
ホテルではコカの葉っぱが置いてあり、コカ茶を飲みましたが、これらは国外に持ち出しできません。
コカは麻薬と同列に扱われるからです。
これでペルー旅行記を終わります。

ペルー旅行記ー8 クスコ朝の巻

2014-12-14 | 日記
この旅現地最終日、クスコの朝です。
出発は10時30分でしたので、旧市街まで足を延ばしました。
私は旅行に出ると、そこで日本製品がどんな位置づけになっているかチェックしています。
まずペルーの自動車市場は小型車中心、地理的には近い米国の車は殆ど見かけません。
また欧州の高級車も空港で少し見かけただけ、日本車と韓国の車が中心です。、
たぶんシェアーは韓国の車の方が多く、日本車ではトヨタ、スズキのシェアーが多く感じました。
サイズはカローラやヤリス、ラブ4までランクルや小型トラックは見かけませんでした。
また電気製品の液晶テレビは韓国製品の独断場、SONYとパナソニックは隅に避けられています。
また蛍光ランプではフィリップスの製品の値段が一番高く、次にパナソニック、最後は中国のノーブランドの順でした。
しかしすべて中国製です。


ペルー旅行記ー7 マチュピチュからクスコの巻

2014-12-14 | 日記
今回の旅の楽しみの1つに民族音楽、フォルクローレを聞くことが有りました。
そこでクスコ泊の時ディナーショーを予約しました。
このショーは演目が多く演奏以外に、ダンスなど楽しめましたが、私は道中のレストランで聞いた生演奏の方が聞き入りました。

ペルー旅行記ー6 マチュピチュの巻

2014-12-13 | 旅行
途中インカレールの中で食事を済ませ、昼過ぎ専用バスで公園に入った。
天気は雲は有るが晴れ、幸運でした。
ガイドの解説を聞きながら、遺跡に登る、標高差は100m位でそれほど苦痛ではない。
ここの観光は3時間くらい、帰路は分かり易いので自由に歩くこともできる。
ガイドの梅本さんは風邪で体調不良、最後の展望台に行く段階で、体力に自信のない一部の方と待機していることになり、我々20人中15名ほどで展望台に登る。
そこで期待していたラマ数頭に出会い、写真のモデルができた。



ペルー旅行記ー5 クスコからマチュピチュの巻

2014-12-12 | 旅行
11月30日はこの旅で一番期待のスケジュール、クスコからマチュピチュ往復です。
8時30分ホテル発というので、その前にホテルの周辺を散策しました。
クスコは標高3400m位ですが、今日は途中で標高3800m位の峠を通過します。
オリャンタイタンボ駅まで約2時間のバスの旅です、途中広大な畑が続き、北海道の風景に似ていると言います。
駅に着くと少し待ち時間が有り、この駅には青いペルーレールとクリーム色のインカレールが有るが後者に乗る、中々良い座席で、テーブルも有る。
この鉄道はいわゆる狭軌で老朽化しているのでかなり揺れました、
1時間と少しでマチュピチュ駅に到着、ここの標高は2000m位です。


岡崎市主催、環境フォトコンテストの巻

2014-12-12 | 風景&山岳写真
岡崎市環境保全課の主催、環境フォトコンテストに今年も入選しました。
このコンテストは応募が少ないので好きです!?
ところで環境の良い所だけでなく、まずい所の写真を応募でき、改善を迫ることができるので、行政としてはまだ健全性を保っています。
ただ伊賀川の場合、どこまで改善が進むのか今後の大きな課題です。
私の写真は岡崎市の一部になった本宮山頂上にある、ミツバツツジの大木です。
明日まで市役所西館に展示してありますが、普通紙に印刷してあり、残念でした。

ペルー旅行記ー4 クスコの巻

2014-12-11 | 日記
11月29日はリマ旧市街地を少し観光した後国内便でクスコに向かいました。
クスコはインカ帝国の首都、現在の人口は35万人程度(増え続けている)
インカ帝国の絶頂期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで 有名なインカ道で結ばれていた。
問題は標高3400m、スイスのユングフラウヨッホと同じくらいです。
標高0mから1時間程度でこの標高に到達するので、ホテルには酸素ボンベが設置せてれいる。
観光後、早速家内に高山病の症状が出る、今回血液中の酸素濃度測定する、パルスオキシメーターを持参したので測定すると75位、ホテルにお願いし15分程度酸素吸入を受ける。
私も少し頭痛がしたので測定すると85-90程度、家内はオプシヨナルツアーの夕食+ラテン音楽鑑賞を辞退する。
現地ガイドは梅本さんご夫婦、クスコに住み30年位になるそうです。
このインカ帝国を滅ぼしたのはスペイン人、フランシスコ・ピサロ、僅か150人程度の兵力だったそうです、兵器は1門の大砲と火縄銃、インカの兵力はいわゆる農民兵で、収穫期にピサロ軍の包囲を解き、実家に帰ってしまったそうです。
所でインカの民は、この地勢条件により、身体は低身長化、体型の頑健化という特徴をもって発達した。
平均身長は、男性が1.57m、女性が1.45mであった。
高地に適応するため、彼らは他地域の人々に比べ肺活量が30パーセントほど大きくなり、心拍数も少なく、血液の量も他地域の人々より多い2リットルとなり、ヘモグロビン量も2倍以上となった。
ペルーの民族構成はメスティーソ45%、インディヘナ(先住民)37%、ヨーロッパ系ペルー人15%、アフリカ系ペルー人、中国系ペルー人と日系をはじめとするアジア系ペルー人などその他3%とされており、私の感じでは明らかに平均身長は日本人より小さく、インディヘナと思われる人々の顔立ちもモンゴリアンの特徴を残さない、スペイン系の人のような彫の深い顔立ちです、これは北米のネイティブアメリカンに近いと感じました。
この顔立ちの変化に私は以前から興味を抱いていますが、まだ仮説もできていません。

ペルー旅行記ー3 リマ市内の巻

2014-12-11 | 日記
11月29日リマからクスコに向かう日ですが、一昨日航空機の遅れで、出来なかったリマ観光を1時間程度行うことになり、空港に行く途中アルマス広場に立ち寄りました。
バスから降りたのは僅か、は20分程度でした。
多くのペルーの都市にはあるアルマス広場です「アルマス広場はスペイン語でプラサ・デ・アルマスと言います。
プラサは広場、アルマス(ARMAS)は「兵器」の意味、直訳すると「武器の広場」、なんとなく物騒な響きになってしまいます。
それもそのはず、かつて植民地時代、「武器の広場」は暴動や敵の攻撃に備えて兵士が警備していたため、有事の際は市民の避難所となったからです。
この広場を中心に旧市街を形成しています。

ペルー旅行記ー2 ナスカの巻

2014-12-09 | 旅行
11月28日はリマからパンアメリカンハイウエーを使いバスでイカに向かいました。
途中アジアという地名の所で日本人が経営する土産物店に寄り休憩しましたが、店にはゲートがあり、観光客を来た時だけ開く構造、治安の悪さを感じました。
治安についてはリマでも、暗い路地には入らないとか現地ガイドから注意が有りました。
色んな人種や、部族、境遇の異なる人々の入り混じった社会では犯罪が起きやすいと考えられます。
ただ以前からメキシコで起きているように、麻薬組織と警察が癒着しているという噂はここには有りません。
市街地では男女2名の警察官がアベックで巡回し、観光客と並んで撮影に応じるくらい、親近感を覚えます。
イカの空港では10人乗りのセスナ、我々は20人ですので2機に分乗し、空から地上絵を鑑賞しました。
有名なパターンの所では旋回し右左両方の窓から見ることができました。
私が不思議に感じたのはナスカ文明が紀元前から始まり西暦700年位まで長く続いたこと、たぶんこの間、地上絵を描き続けた謎です。
一人の指導者や巫女の気まぐれではなく、人々の価値観を持続できた宗教があったことは違いないと思いました。
名前の付いた有名な一筆書き以外に滑走路のような巨大な絵や、線が無数に有り、その目的について非常に不思議に感じました。

2014年OSAC12月 月例山行&忘年会の巻

2014-12-07 | 岡崎シニア山岳会
6日ー7日はOSACの月例山行、今月は忘年会を兼ねています。
当初の計画は、中央アルプスの烏帽子岳に登る予定でしたが、かなりの積雪が降ったので、これを中止し、登山は翌日の寧比曽岳だけにしました。
そこで出発を13時とし途中足助で買い出し、会場のT社保養所に向かいました。
最近忘年会に使わせていただいていますが、環境は最高です。
今回参加は10名に減りましたので1棟キャンセルし、2棟を使い、宴会会場はその1棟を使いました。
最初にシェフのネパール遠征報告から、そして私のペールー旅行報告、その次に最近作成した、自己紹介カードを使い順次スピーチと宴会は進行しました。
閉めは宴会部長の考えたビンゴ大会、最初にビンゴした人が商品を1名勝ちというルール、まず幸運にも私が上がりました。
続いてTさん、Sさんと3回戦で終了、2次会はMさん持参のカラオケで・・・深夜まで楽しみました。
翌朝は7時起床、寧比曽岳に登りました。
1)7時起床
2)9時発
3)10時大多賀峠登山口、10分発
4)10時50分 休憩
5)11時10分 頂上、途中の休憩を含めコースタイムの1時間で登頂、もう少し遅いペースでOK。
6)12時20分 発
7)13時 頃 登山口
8)14時 頃 岡崎
計画して頂いたTさん、会場を予約していただいたAさん、シェフのYさんに感謝します。
参加した皆さん楽しい行事、ありがとうございました。

ペルー旅行記ー1 成田からリマの巻

2014-12-06 | 旅行
これからペール旅行記を連載します、念願だった南米の旅、予算と日程の調整で8日間の旅でした。
できればチチカカ湖やイグアスノ滝にも足を伸ばしたかったのですが、結果的には、終盤体調を崩したのでこれが限界でした。
また色々ハプニングが起き、添乗員のOさん対応に大変でした。
最初は乗継ができず、ヒユーストンに1泊、パナマ経由に、到着が1日遅れ初日のリマ観光はキャンセルになりました。
そしてリマで参加20名の内15人分の旅行鞄が行方不明になりました、幸い我々のは有りました。