エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

アンナプルナベースキャンプまでのトレッキングの巻-3 2日目

2011-10-31 | 海外遠征
2日目はダンプスからジヌーまで歩きました。当初の計画はランドルンまででしたが、ガイドから19日泊るヒマラヤホテル(地名)のロッジが込んでいるので17日はジーヌまで行きたいと要請が有りOKしました。ダンプスは標高1650mでゴールのジヌーが1780m、標高差130mと思ったら大間違い、かなりUP&DOWNが有ります。特にニューブリッジで沢に降り、ジヌーへの約400mの登りで小雨が降りだし、昨日の夕立のような大雨に成らないか心配し、急いで登ったので疲れました。
結果的には、雨具を出さないで済みましたが、往復約1時間の温泉に行く元気は有りませんでした。

アンナプルナベースキャンプまでのトレッキング報告の巻-2 1日目

2011-10-30 | 海外遠征
カトマンズには10月15日21時くらいに着き、ヒマラヤンスマイル社長、KPさんの出迎えを受けました、約5年ぶりです。
翌日急遽参加したNさんの体調が悪く、不参加になり、非常に残念でしたが、タマちゃんと2人で行く事になりました。
トレッキング1日はポカラまで航空機で行き、そこでガイドのダワさんと合流しました。
私は知らなかったのですがフェディから1日目の宿泊地ダンプスまで車で入ることが出来るようになったそうですが、我々は歩くことにしました。
最初の急登で子供が歌を歌い「通せんぼ」し寄付なのか、こずかい銭を要求されました。まだ小銭が無かったのでガイドにお願いし通りました。
途中は綺麗な田園風景、歩いてよかったと思いました。
またダンプスではこの山域で一番目立つマチャプチャレが凄い迫力で見ることが出来ます。
ポカラで見る姿とははかなり差があります、長いお休みが取れない方もここまでの旅なら、1週間で十分です。
そして夕方凄い夕立が有り、雷も鳴り響きましたが、翌日は晴れ、朝から写真撮影が出来ました。

アンナプルナベースキャンプまでのトレッキング報告の巻-1

2011-10-29 | 海外遠征
昨日23時過ぎに帰宅しました、これから毎日報告書を投稿しますが、第一報です。
予定していた3人の内、Nさんの体調が優れず、カトマンズから非参加になり、2人で行く事になりましたが、その他は全て計画通り、順調に行きました。
今回NET販売でeチケットを購入し安く往復できましたが、中国南方航空の対応に問題を感じました。
それは手荷物が最終目的地まで行かず、広州で一度受け取り、再度チックインをするシステムになっていることです。
事前にそのように指示されているのにタマちゃんの手荷物は広州ででて来なく、大変心配しているのに、係員は多分カトマンズまで行ったという回答だったそうです。結果としてカトマンズまで行っていましたが、それが可能なら最初からそうアナウンスすべきです。
そして帰りは理由を告げられず、直行で名古屋まで届きました。
客室乗務員のCS(顧客満足度)はかなり悪いものでしたが他の航空会社と比べ、安いので、しかたが無いのかも知れません、そして航空機の新しさと操縦技術は安心できるものでした。

トレッキングのことでは、マチャプチャレBCでは雪になりましたが、殆どの日、視界に恵まれ、綺麗な写真が撮れました。
しかし芸術性の有る写真になったのかは、疑問があります。今回比較的綺麗に撮れた写真を掲載します。
今回も人間を観察しながらの旅でしたが、その大凡の構成は以下の通りでした。
欧州人が約50%、特にイタリア、スペイン、フランスが多い、これは昨年チニジアに旅行した時も感じました。
その次の多いのが韓国人で20%くらい、中国人が10%くらい、ロシア人5%くらい、日本人は2-3%くらいでした。
ウオン安でも多くの韓国人が来ていました、年齢構成は若者から50歳くらいまで、勢いの有る国のパワーを感じました。
また日本人の多くは私のようにリタイヤした人が多く、若者が少なく、日本の若者の活力に不安を感じました。

世界の少数民族ー8 フィリピンの狩猟採取民族、アエタ族の巻

2011-10-14 | 民族学、考古学!?
マレーシアの狩猟採取民族を取り上げる予定ですたが、まだ十分の情報が集まらず、フィリピン、ルソン島のアエタ族を取り上げることにしました。
彼らは、首都マニラに有る、ルソン島の住人ですが、比較的最近大噴火したピナトツボ火山の西側一帯に住んでおり、噴火の被害者だそうです。
私が写真を見る限り、ネグーリートとしては、比較的黄色人的で、現地の住民との混血が進んでいるように思いました。
または他のネグリートとは数万年まえに分岐したのですから、それからこの方向に進化したのかも知れません。

明日から約2週間、ネパールに行きます、この間、ブログはお休みします。
帰国しだい、投稿を再開します。

OSAC10月、月例山行ー餓鬼岳の巻

2011-10-11 | 岡崎シニア山岳会
10月の月例山行はSYさんの計画で白沢⇒餓鬼岳⇒東沢岳⇒中房温泉と縦走しました。
小屋は予想以上の混雑でしたが、天気に恵まれ、また縦走にしたことで、十分展望を楽しむことが出来ました。
そして餓鬼岳から剣ズリ⇒東沢岳の間には恐竜の背中のような岩場が続き、スリル満点でしたが少し予定より時間が掛かりました。
そして面白いことに餓鬼岳は中高年が殆どでしたが、燕岳から下山した人は若者が多いことに気が着きました。
この良いコースを考えて頂、CLを努めて頂いた、SYさんに感謝します。

福島原子力発電所事故ー23 ガンマーフィールドから見た放射能安全性レベルの巻

2011-10-03 | 日記
皆さんガンマーフィールドを知っていますか?植物に放射線を当て、突然変異を起こさせ、その中から、優位な種を探す施設です。
私は予てより、どのくらいの線量を照射するのか興味があり、今回調べてみました。
添付した通りで、原発作業員の上限と比較し、大きな差異がありません。
計算違いでないのなら、危険な作業と言わざる得ません。

ネパールは多民族の巻

2011-10-02 | 海外遠征
10月から約2週間ネパールでトレッキングしますが、ネパールの民族を調べてみました。
添付した通り多民族国家で、幾つもの民族が重なり合っていることが多く、地図に住んでいる民族を書き込むことは難しいようです。
また現在数百人しか居ない狩猟採取民族が居ることが分かったので記事を投稿しました。
前回ネパールに行った時、エベレスト街道は安全ですが、今度行くアンナプルナ方面は多くの民族が入乱れて住んでおり、標高が低い、樹林帯を歩く時、盗賊に注意が必要と聞きました。
しかし今回歩く道はアンナプルナ方面では交通量の多い所でガイド、ポーター同伴ですので安心です。

世界の少数民族-8 ネパールのラウテ族の巻

2011-10-02 | 民族学、考古学!?
今度訪問するネパールの民族を調べていたところ、当地にも狩猟採取民族がいることが分かり調べました。
添付した画像で分かるようにアジアの少数民族所謂ネグリートではないと考えられます。
他の種族に追われ、森に逃げ込み、生活を始めた部族ではないかと私は考えました。


川本さんブログから引用
この旅で、ラウテに聴きたいことがありました。ヒマラヤの麓にあたるインド、ネパール、ブータンの山岳地帯には、マカク、ラングール、ロリスといった霊長類がいます。ラウテの暮らす地域にはアカゲザル、アッサムモンキー、 グレイラングール(ハヌマンラングール)、の3種類がいます。どの種類のサルを、どこで捕えているか、どんな捕まえ方をするのか、といった狩猟のことを知りたかったのです。それから、なぜサルしか狩猟しないのか、どうやって生計をたてているのか、どんな共同生活をしているのか、といった暮らし方のことも聴きたかったのです。

 研究の興味からいうと、ヒマラヤの山岳地帯に分布しているサルたちの成立の歴史や生態のことは、よくわかっていません。分類や現在の分布ですら不明なことが多く、2005年に、インド東北部のアルナーチャルプラデシュでマカクの新種 アルナーチャルマカク(学名でMacaca munzala)が報告されました。21世紀にもなってアジアのサルに新種が見つかったという報告には驚きました。いま注目しているのは、アカゲザルとアッサムモンキーがどのように棲み分けているかという問題です。どちらもニホンザルと同類でマカクというサルです。マカクの祖先たちがヒマラヤへいつ、どのように広がったかは、マカク全体の進化を考えるのに大事な問題です。ヒマラヤ地域のサルたちの分布や成立過程がわかれば、アフガニスタンから日本まで広がるマカクがどのように進化し、多様な種に変化していったかを理解する情報になります。

 ヒマラヤ山岳地帯にいるマカクの分布は不思議です。和田一雄先生によると、ネパールではアカゲザルとアッサムモンキーの分布が重なっています(Wada 2005)。しかしブータンではインド国境付近の低地を除けばアッサムモンキーしかいないようです(Kawamoto et al. 2006)。アカゲザルとアッサムモンキーが区別できているか、2種の分布の違いを知っているか、サルを狩るラウテに聴いてみたかったのです。

 宿営地を訪ねたところ、幸いにもラウテの人たちから答が聴けました。写真を見せると、3種類のサルを正確に区別していました。アカゲザルは『ラト バンダル(赤いサル)』、アッサムモンキーは『カロ バンダル(黒いサル)』と呼び分けていました。グレーラングールは『グナ バンダル』と呼んで、区別していました。3種類のサルのいずれも捕えていて、調理法を尋ねたところ、毛は焼き、皮つきで塩と唐辛子で煮て食べるとのことでした。


 黒いサルは高い土地に、赤いサルは低い土地に多いが、分布が一部で重なっているという話でした。この話から、ネパールの山岳地帯では、2種類のマカクが同所的に分布し、ブータンの分布とは違うことが想像できました。また、黒いサル、つまりアッサムモンキーが高地にいるという話から、ブータンの分布と似た性格があることもわかりました。これからもっと調べないといけないことですが、私はアッサムモンキーの方が古くからヒマラヤ山岳地域にいたと考えています。ラウテの話は、この仮説を考える助けになりました。

 キソルさんと稲村先生はラウテの暮らしや歴史に興味をもっています。ラウテは狩猟生活だけで自活しているわけではありません。宿営地を訪ねると、木工作業をしているのがわかりました。ラウテは木地師なのです。製品は鉢や箱などで、これらを農村で穀類と交換していました。つまり、かれらは狩猟だけに頼って自給生活をするのではなく、農産物を得ながら移動生活を送っているようです。従って、農村との交易がなければ生活は成り立たず、ラウテが狩猟民だといっても、その起源は古いとは限らないだろうと想像しました。だとすると、いつ、どんな人たちが、今のような生活をするようになったのか、その起源は農民だったのか、カースト制度との関係はどうだったのか、土地所有や従属の縛りから離れた現在の生活をどうやって作ったのか、といった疑問が湧いてきます。キソルさんと稲村先生の研究から、答えが明らかになるように願っています。


 私たちが訪ねたとき、グループはふたつに分派して、別々の宿営地で狩猟をしていました。こうした分派は季節的に起こすそうで、やがてまたひとつに合体するという話でした。グループのリーダーや構成メンバーが変化するようですが、その実態はまだよくわかっていません。

 ラウテをとりまく環境は変化しているようです。かれらに会いにゆく途中で農民から苦情を聴きました。ラウテが森で勝手に木を切って木工製品を作っていることへの不満でした。かれらに土地所有の認識はないようです。また、宿営地まで案内してくれたNPO団体の職員からは、子供たちが勉強できるよう定住生活を働きかけていると聴きました。

 2つの宿営地で話が聴けたのは収穫でした。しかし、かれらは私たちに好意的ではなく、その生活を知るのは簡単でありません。訪ねたとき、前日に赤いサルを20匹捕まえたと聴きましたが、見せてはもらえませんでした。狩猟は男たちの仕事だそうですが、その方法を教えてもらえませんでした。野生動物を食物資源として利用しているわけですから、捕り尽くすことはないと思い、一度に捕える頭数を聴いてみると、最大で一度に60匹捕まえたことがあるとの話でした。これは、一群を丸捕りする数です。小さいサルは食べないようにするが、獲物が少なければ小さくても食べると聴きました。かれらが巡る山々にサルがどれほどいるかわからないので、これからも狩猟が続けられるか、疑問に思いました。

2009.8.2. 文責 川本 芳




人類の系譜、新人の巻

2011-10-01 | 民族学、考古学!?
いよいよ新人の時代ですが、この時期になると、人類はユーラシア大陸からアメリカ大陸にまた当時陸地だったスンダランドからオセアニアに進出しました。
ここに記載したクロマニオン人だけがその後の人類のルーツではありませんが、欧州人の祖先の可能性は高いと思います。