エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

人類の系譜、日本人のルーツー5 タミル人の巻続編

2012-09-15 | 民族学、考古学!?
NET検索していると、またタミル人と日本人の関係を支持する情報に出会いました。
この岡本さんの推論は素晴らしいと思います。
私は今までの投稿でも述べましたが、石器時代や縄文時代にも人類の拡散は広範囲に及びインドから日本への移動も十分可能性があったと思います。
添付した画像にあるようにタミル人はモンゴロイドで現在のインド人の多数派アーリア系に人とは明らかに人種が異なります。
ただし長頭(アイヌと共通)で長身(アイヌ、縄文人ともに小さい)と言う特徴があり、直接的に縄文人の祖先と言うのは無理があります。

北モンゴロイドが数千年の時間で南米の最南端まで移動できた事実を良く理解すべきと思います。
ただ私はアメリカ大陸のネイティブアメリカンの言語体系を知りません、一度調べ、投稿します。


人類の起源 から引用

58644 日本語の起源とタミル人渡来説2
  岡本誠 ( 50 兵庫 経営管理 ) 03/07/14 AM02 

 文法構造上は、ツングース語やモンゴル語、トルコ語などのアルタイ語とも共通だが、単語の対応が示せない。インドから中国南部にかけての諸言語の一つチベット・ビルマ語群も、日本語と語順がほぼ一致するが単語の対応を明確に証明することはできない。また満州語、蒙古語、台湾の高砂族の言語、マレイ語、オーストロアジアの言語、レプチャ語、アイヌ語、さらに最も日本語に近いと考えられる朝鮮語との対比においてさえ、タミル語に見られる日本語との鮮明な対応は見出せない。

 縄文時代の日本語は、オーストロネシア語の一つで簡単な子音組織をもち、四母音で常に母音終わりの言葉であったと考えられる。そこに古代タミル語が入ってきて、アワ(粟)、カネ(金属)、ハタ(機織、織った布)などを持ち込むと共に、それ以降の日本語の文法と単語の基礎を作った。その際、捲舌音やrとlの区別があるなど音韻体系の異なるタミル語をそのまま受け入れることはできず、縄文時代の音韻体系によって新来のタミル語を受け入れたであろう。

 古墳時代に至って、朝鮮半島を経たアルタイ系の文明と言語(高句麗語のごときもの)が、支配層と共にそれまでの弥生文化の上にかぶさった。アルタイ語は語順が大体日本語と一致しており、単語のはじめにr音が立たないなど共通の特徴を持っている。数少ないものの単語の流入が見られる。例えば蒙古語のnru-gは親戚を、ツングース語のurは息子を、朝鮮語のulは親族を意味し、日本に入ってudi(朝鮮語のlは日本語のdと対応する例がいくつもある)、つまりウヂ(氏)となり、アルタイ語族の文化が日本の社会組織の基礎を形作る上で力を及ぼした。日本神話のうち国家体制の基礎を語る部分については、アルタイ系あるいは朝鮮系に類似するものが多く、朝鮮半島に居住した種族の国家体制を基本的に継承したことを示している。(因みにタミル語と日本語との対応については、国家組織に関係するような単語は見出されない。)

 以上、言語学的事実からタミル語との同系説を紹介しましたが、物や精神世界での対応関係も指摘されています(詳細は別途)。共認機能の中枢である言語に決定的な影響を与えるには、無文字時代であることを考えても、タミル人(またはタミル語と文化を肉体化した渡来人)が日本にやってきたことは間違いないと思われます。

 その証拠が長崎県壱岐の島の地名にあり、それはタミル語のpul-am(村・区域)に対応するfur-e(フレ)で、東触(ヒガシフレ)、西触(ニシフレ)などフレという地名が100例ある。これは青森県などにおけるナイ、ベツがアイヌ人の居住の証拠とされるのと同じ考え方ができよう。

 また日本の方言の中にアッチャ(父)、アヤ(父)、タンダ(父)、アーヤ(母)、アッチャ(母)、アッパ(母)、アンマ(母)、アンマー(母)、アンニャ(兄)、アンネ(姉)などの家族名称が青森県、沖縄県をはじめとする各地にある。これら全てに対してタミル語にはぴったりと対応する単語がある。

 この説の難点は、7000キロも隔たった途中にタミル語と関係する言語がないことですが(仲介地が見出せずいきなり日本語と朝鮮語に対応が見られる)、文化的には南インドの文化がインドネシア、マレーシア、ジャワ、スマトラ、セレベス、ボルネオ、フィリピン、台湾に及んでいることが、最近の研究で明らかになっている(参照58201)。この謎が解ければ、タミル人渡来説はかなり有力だと思われます。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿