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登山 写真撮影等多趣味ですが最近は3/W位の卓球と風景写真特に山岳写真撮影に励んでいます。

世界の少数民族-11 標高3000mの大涼山 山脈に暮らす「イ族」の巻

2017-11-08 | 民族学、考古学!?
先日中国大涼山脈に住むイ族の生活と歴史をNHKが放映しました。
大変興味が有り、場所等調べました。
GoogleMapでは等高線が出ないので、その険しさが良く分かりませんが、標高3000m位の台地上の高原に村が点在しているようです。
そして最近まで砦や武器を用い、村に外部の人が入らないようにし、独自の文化を継承して来ました。
最近の子供は麓の学校(寄宿舎に入る)に行っていますが、親の世代は中国語が話せないのです。
またイ族全体としてはここだけでなく800万人の人々が比較的広い範囲に拡散しています。
参考
イ族(彝族, 拼音: Yízú)は中国の少数民族の一つ。
2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。
雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており[1]、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられていた。
白イと他民族(主に漢民族)は奴隷として扱われたが、白イは自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。
イ族には多くの自称があるが、ノス(黒イ、四川大涼山など)、二(アシ、サニなど)、ロロホ・ララポ(白イ)の三大系統に大別される。
このうちノス社会は、かつて大涼山が奴隷制社会であったことや、現在でも族長(家支)が一族の強固な結束力としてあることを特徴としている。
なお家支は血統を意味し、始祖から父子連名制によってつながる父系親族集団である(父子連名制)。
言語
シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派ビルマ・ロロ・ナシ語群に属するロロ諸語系の彝語を使用。
ビルマ語と緊密な関係をもつ。
6種類の方言があるまた彝文字(ロロ文字)と呼ばれる表音文字を持つ。


ネイティブアメリカン新ルート説の巻

2016-12-29 | 民族学、考古学!?
また先日TBSで放送された番組を再度見て、ブログ用に、ダイジェスト版を作成しました。
ネイティブアメリカンのルートに新しく日本列島から海沿いにアラスカまで到達したという説が浮上したのです。

10万年前と推測される石器発見の巻

2016-12-27 | 民族学、考古学!?
先日新聞に長野県で10万年くらい前の石器が見つかったという記事が掲載されました。
この種の発見は3年前出雲で12万年前の石器が報告されるなど、最新のDNA解析で調査された人類の移動に関する定説、ホモサピエンスがアフリカを出たのは5.5~9万年前と矛盾しています。
新聞社はこの点にも考慮した記事を書くべきです。

10万年位前とされる石器発見の巻

2016-02-11 | 民族学、考古学!?
先日の中日新聞に長野県で新しい石器が発見が有ったと記事が出ました。
それによると、10万年前と言う説が有り、埋まっていた土の年代測定からの推測でした。
しかしこれには添付した画像にあるように、人類がアフリカから出たのが、10万年前と言う定説と矛盾があり、今後大いに注目されます。
世界中で発掘された、人類が残した多くの痕跡から10万年と言う定説ができた訳で、大変不思議です。
この記事より古く、出雲で発掘された石器はもっと古いとされ、矛盾だらけですが、これが考古学の面白いと所、アマチアも議論に参加できます。

BS-TBSの番組、日本人のルーツを探すの巻

2015-03-11 | 民族学、考古学!?
今日先日BS-TBSで放映された日本人のルーツを探す旅を見ました。
録画したものを見る時、広告を飛ばすことができ便利です。
以前ここにも書きましたがDNA解析ではバイカル湖付近に住んでいるブリアート人が最も近く、中国人や朝鮮人に殆どない遺伝子を共有しています。
彼らは最後の氷河期に樺太経由で日本に入ったとされています。
しかしこの番組を見て初めて知りましたが、今でも間宮海峡は歩いて渡れるのです、7-8km程度なのです。
これはアムール川の淡水が海峡に入り氷易くなっているのです。
またこの番組で初めて知りましたが、彼らはチベット仏教系の宗教を信じているそうです。
彼らがここに定着したのは数万年前で、もちろんその後仏教が入ったわけですが、宗教が人種の流れを同じコースを辿ったと考えると大変興味が湧きます。
彼らの祖先もインド西部、チベット経由でここに侵入したと考えられるからです。

ポリネシアン大移動の巻

2013-12-13 | 民族学、考古学!?
先日ポリネシアンがチリにまで到達した証拠が見つかった話をしましたが、ルートを調べました。
これが(図)定説です、南米の部分は私が追加しましたが、欧州人がポリネシアに来た段階でサツマイモが普及していたことから、それ以前に南米との交流が有ったようです。
彼らの航海術は素晴らしいものです。
案外知られてないのはニュージーランドの原住民とアボリジニー(オーストラリアの原住民)は移住ルートが異なるのです。

世界の少数民族ー10 南米最南端フェゴ島にかつて居たセルクナム族の巻

2013-12-12 | 民族学、考古学!?
先日投稿したポリネシアンがチリにまで到達していたという話に対し、以前知ったことがある、フェゴ島の先住民に付いて再度調べました。
彼らはスペイン人により虐殺されてしまいましたが、ポリネシアンとの関係が無いか知りたかったからです。
今回調べたヴイキペディア等からの情報や写真からはポリネシア的な要素は無さそうで、むしろ顔形はアイヌに似ています。
身長など不明でしたのでもう少し調べますが、派手なボディーペインティングしていたのが特徴的で布を織ることを知らず、毛皮を纏っていたようです。


ポリネシアンは南米まで到達の巻

2013-12-11 | 民族学、考古学!?
ポリネシアンが太平洋に拡散したのは人類の歴史から見ると比較的新しく3000年位前とされています。
そして絶海の孤島、イスター島まで到達していたことは証明されていましたが、南米にも痕跡が発見されました。
チリの古墳で発見された鶏の骨はポリネシア原産でることがDNA解析で判明したのです。
問題のニワトリの骨が回収されたチリの遺跡は、調査の結果西暦700年から1390年まで使われていたとされる。
今までの学説の主流は南米、北米のネイティブアメリカンはモンゴロイドがベーリング海峡沿いに南下したというものでしたが、色々矛盾する発見が出てきた。今回紹介する事実(多分)は以前イスター島にもポリネシアンが居たように、彼らが南米まで到達したことになる。
しかしこれで説明できないのはルージアです、この人骨は1万年以上前の物なのです。

世界不思議発見、ケネウイックマンの巻

2013-12-06 | 民族学、考古学!?
先日世界ふしぎ発見でケネウイックマンに付いて放送し、録画していたので昨日見ました。
この種の情報には大変興味があり、投稿に当り人種による頭蓋骨の特徴を再度調べました。
最初は我々日本人は中頭~短頭と知っていたので、このケネウイックマンが長頭と知り、この説、縄文人が海洋から(ベーリング海峡経由でなく)渡ったという説をを否定する考えでしたが、添付した通り頭蓋骨のプロフィールは刻々と変化するそうで、過去の日本人は長頭が主流だったと知り、頭蓋骨のプロフィールからはこの説を否定できなくなりました。
しかし身長から考えるとアイヌや縄文人の先祖とも考え難く、私なりに仮説を考えることにします。
さらに考えると食料の種類により身長は大幅に変化し(日本人の身長の変化を見れば分かる)比較的最近アマゾン流域で発見された古墳の人骨の平均身長は180cm位だそうです、これはモンゴロイドとしは驚異的な長身の部族です。
色々書きましたが最後の決め手はDNA解析です、今後の調査に期待しています。

人類の系譜、フローレス人の巻

2013-06-20 | 民族学、考古学!?
先日、人類の系譜を新しい学説により修正しましたが、その時、オセアニアに渡った人を忘れましたので追加しました。
ここでさらに、この系譜に登場するフローレス人に付いて興味が湧きその記述も追加しました。
最後の氷河期、海水面が下がり、スンダランドと言う陸地ができ、現在のスマトラ島とオセアニアはかなり近づきましたがその途中にフローレス島があり、比較的最近まで、そこに住んでいたのがフローレス人です。
この島の近くにはヤギや水牛をも食べる凶暴なコモドドラゴンが生息する、コモド島が有ります。
人類はこのルートでオセアニアに渡ったと考えられています。

人類の系譜、嘆きの門は11kmの巻-2

2013-06-17 | 民族学、考古学!?
アフリカのジブチとアラビア半島のイエメンの間、嘆きの門は現在20km程度天気が良ければ十分視界に入るはずです。
ただ多分、まだ外洋に乗り出すことのできる船のない石器時代に数百人規模の人が渡ったということは非常にミステリーなことです。
この有力な新説で人類の系譜を修正すると、このようになります。

人類の系譜、嘆きの門は11kmの巻

2013-06-15 | 民族学、考古学!?
先ほどEテレで放送していた内容ですが、以前投稿した内容と差異がありますので訂正し、今日のコメントとします。
先ほどの番組のタイトルは「人類遥かなる旅路」私の大変興味を持っている内容です。
実はこの番組は過去に見たことが有りますが、人類が紅海にある嘆きの門を7万年前頃通過したということを記憶していませんでした。
この7万年位前と言うことが重要で、最近の研究成果、過去の気象モデルで明らかになって来たのです。
ポイントは7万年位まえに最終氷河期が来て、海水面が下降、嘆きの門の幅が11km位に狭くなったという物です。
そこを数百人規模のホモサピエンス通過し世界に拡散したというのが最新の学説です。
これが正しいとすれば先日紹介した11万年前とされる、出雲の石器をどう説明すればよいか、大変興味が湧きます。
我々人類のことがこれほど分かっていないと言うことを知って欲しいのです。

出雲からでた石器は11-12万年前は本当かの巻

2013-06-08 | 民族学、考古学!?
先日、中日新聞で興味深い記事を見つけました。
添付した通り、出雲から出た石器の年代測定をやり直したところ、11-12万年前の物だったというものです。
しかしこれは、現代型人類(ホモサピエンス)は10万年位前にアフリカから出て、全世界に拡散したというのが一番多くの学者が支持する説に矛盾します。
もしこの年代鑑定が正しければ、ホモサピエンス以前にアフリカから出てアジアまで来た人類がいたのか、
または今までの学説より早くホモサピエンスが世界に拡散したどちらかですが、鑑定が正しいのか、私はまだ判断できません。

5300年前のミイラ、アルプス山中で見つかった、アイスアン解剖の巻

2013-03-26 | 民族学、考古学!?
皆さん「アイスマン」を知っていますか、先日NHKでアイスマンを解剖し調査した時の番組が放映されました。
この番組は私に取って非常に興味が有る内容で、衝撃的でした。
アイスマンは添付の記事に記載した通り、1991年にドイツの登山者により偶然発見され、最初は古いミイラとは知らずに警察により検死が行われましたが、非常に古い時代のミイラと言うことが分かると、冷凍保存されていました。
そして今回現在の科学技術を総動員し、解剖による調査が行われました。

主に分かったこと(推測を含む)
1)アイスマンは比較的平地に住んでいたが、何か(誰か)に追われて、標高3000m以上の高山に来た。
2)背後から弓矢で撃たれ、体内に矢じりが残った。
3)その後、石のような物で頭を打撲され、脳出血で死亡した。
4)胃や腸に残っていた物から、豊かな食生活を送っていたことが分かる。(パン、動物の肉など)
5)銅でできた斧と弓矢を持参していた。
6)靴はクマの皮製。
7)背骨の下部(尾骶骨に近い)に脊髄がズレた痕跡があり、腰痛持ちだった。
8)腰の背中部分と足首に入れ墨があり、大変不思議なことに、東洋医学で明らかになった、腰痛に効くツボの位置と一致する。
 私はこのことを一番興味を持ち、不思議に思いました。
アイスマンの亡くなった時期は5300年位前と測定され、メソポタミア文明が開化した頃と推測されるからです。
そしてそれは中国の黄河文明はまだ開化する前なのです。

人類の系譜、日本人のルーツのー10 遥かなる海上の道の巻

2013-02-18 | 民族学、考古学!?
まず日本人のルーツを考える時、縄文時代より前の石器時代の痕跡から議論する必要があり、前回日本で見つかった古い石器にについて投稿しました。
そこにも記述しましたが、有る程度まとまった数の人口の移動があったのは、明らかに氷河期に樺太と北海道が陸続きになり、シベリアから移住した北方系モンゴロイドが中心になったと思います。
しかしこの本ではそれ以外に黒潮に乗って、南方からも、人口の移動があったと論じています。
現在日本で見つかった南方系の痕跡として有名なのは沖縄本島の港川人で、1万8000年位前と推測されている。そしてそのルーツを国立科学博物館の山口、馬場氏が研究しているが、頭がい骨の特徴などから、本土縄文人にも近く、インドネシアのワジャク人の最も近いと述べている。これは黒潮に乗って人類が移動しなければ説明できない。
私がこの本で特に興味を持ったのは、添付した図のように、マリアナ先史文化圏の存在である。このルートには黒潮の様な海流が無いのにかかわらず、また有視界でないのに、行き来があり、共通の文化圏ができたという不思議な話です。
これらの島で発見された石斧の形の共通性があり、年代は3600-2500年前位である。
また本州に比較的近い八丈島の物は5000年前頃と推定されている。そしてこの八丈島や小笠原の石斧が南方系、マリアナ石斧文化圏の物か黒潮文化圏の物か、研究が行われている。