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この紫陽花は紫ですが、庭の紫陽花は皆青色でした。あの明月院の紫陽花色です。
幼年期も各地を転々としましたので鎌倉に住んでいたのは小1の途中までの計3年ほど。でも鎌倉の竹塀、蜘蛛の巣、青い紫陽花は今でも浮かんできます。紫陽花の青の記憶には庭石と松の木も出てきます。「冷たい」イメージが強いのは、庭の情景の他友達が少なかったこともあるのでしょう。養蜂家の女の子の家に遊びに行って蜂に刺され、産婦人科医院の娘さんと洋館の娘さんからはお母さんが「遊んではいけない相手」と言っているとされ、看板屋の息子さんとはペンキ遊びで出入り禁止。遊びは蜘蛛、カタツムリ、セミだったような。その後は米国のコンクリート街で過ごしましたので、「冷たい」ながらも、緑豊かな、そして青の鎌倉が体にしみこんだのでしょう。
鎌倉の思い出が青ではなく、この赤みがかった紫陽花の色だったなら、その後の人間関係も多少変わっていたのかも知れません。
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