明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

室生寺   2013年6月5日

2013-06-26 | 


道の駅「宇陀路室生」で朝食を済ませたのち、僅かな距離を走って室生寺の前に着いた。
少し行き過ぎた所に室生寺の駐車場があり、看板には料金が書いてあったのだが、駐車場を管理する人が居る様子も無かったので、車を置いて寺に向かった。

ところが、寺の開門時間まで30分も早かったので、他に二人連れの方達と、暫く門の前で開門を待つ事となった。
「お待たせしてすみません」と愛想の良い女性が入り口のロープを外してくれて、塀に沿って少し右へ行った所に参拝者の受付門が有って、拝観料を払って門を潜った。
ここの女性に駐車場の事を聞いてみたところ「無料です」との事、安心して参拝させて頂いた。



少し進んだ所で、早速国宝の金堂を目前にして感嘆した。



素晴らしいお堂を見上げていたら、そばを尼僧が「お早うございます」と会釈してとおったが、間もなく金堂の正面に立っておつとめを為さって居られた。

こういう場所に来ると、不思議な物で、こちらまで敬虔な雰囲気に成る。
静かに見上げながら、思い出した様にカメラを向けさせて頂いた。



こちら側から見る金堂は、木立に囲まれて素晴らしい雰囲気だ。



屋根の形が美しい本堂は、国宝に相応しい姿であった。



有名な五重塔は、形は小さいが独特の形だ。20世紀の末に台風の影響で近くの杉の大木が倒れ、屋根の一部が破損したが、今は元通りの姿に修復されている。

東大寺の五重塔に継ぐ古い建造だそうだが、建立時の意志が凝縮された個性的な形態には感嘆するのみだ。
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石山寺 そして室生へ  2013年6月4日

2013-06-24 | 
比叡山ドライブウエーを下って大津の街中へ、途端に夕方のラッシュで車の多い事、
更に、今夜は車中泊と決めていたので食品スーパーを見つけて買い物などをして、
何とか次の目的地「石山寺」に着いた。陽はまだ高いので安心していたのだが・・



近くの駐車場に車を置いて、門前まで、着いてみたら人影もまばらで少しおかしい?
近くに居たタクシーの運転手さんに聞いたら「4時45分で閉門です」との事・・・

時計を見たら 4時50分だった。 残念・・・・・・一脚遅かった。無念・・・

それから国道422号線ひたすら走った。  途中信楽付近でR307に変わった辺りで道ばたにやたら狸の置物が並べられた店が並ぶ町にさしかかった。言わずと知れた信楽焼で有名な信楽の街だ。

昔、伊勢神宮を参拝して、熊野那智大社や本宮退社をお参りした時の話だ。
十津川を経ての帰路に信楽まで辿り着いたが、既に陽が暮れてしまって辺りは暗くなって居た。何処かに寝場所として格好な所は無いかきょろきょろと覗いながら走っていたら「信楽教育キャンプ場」の看板を見つけた。「シメタ!」と道を辿ったのだが、道筋には一軒の人家も無い山道を可成りな距離を走った。 そして「熊に注意」の立て看板が立つ森の中のキャンプ場に辿り着いた。 本格的なキャンプ場と言いたい所だったが、やはり県営の施設だけあって、コンクリート造りの釜場など、一通りの装置が設置してあったが、それにしてもこれだけ山の中で、周囲に何も無い場所を選んだ事は、素晴らしい良い環境だ。
勿論そんな寂しい山の中は大好きな私だから、木の間が暮れに見えるお月さまと二人で焼き肉を突っつき、缶ビールを飲み、そしてテントをはって寝たのだが、普通の人では逃げ出すに決まっている。今となっては忘れられない想い出となっていたが、久しぶりにその時の事をまざまざと思い出しながらひたすらR307を走った。

信楽を過ぎて暫くして、R307を走っていると思って居たら何時の間にか再びR422と成って居た。
嘗ての日、この道を逆向きに走ったのだったが、日が暮れた夜道だったので印象は全く記憶が無い。ただ、伊賀上野など主要な街の名は覚えていたので、その街に辿り着く度びに逆に辿る安心を感じながらひたすらはしった。

そして奈良県に入って「室生」の里に着いた。 



今夜の泊地は、道の駅「宇陀路室生」と最初から決めていた。幸い天候は安定していたので、駐車場の端に芝生の上にテーブルと椅子がセットしてあったので、ここを使わせて頂いた。



コッフェルで飯を炊き、野菜炒めと大津のスーパーで買ったトビウオの刺身、それにアサヒビールの工場見学をした時に売店で買った上等のインスタント味噌汁(この味噌汁はインスタントの割りには旨かった)。 自分でも釣りが大好きな私は、色々な魚の刺身を食べた事があるのだが、トビウオの刺身は初めてだった。 関東ではトビは刺身で喰う事はあまり無い様に思う。トビは主に干物にするが、マアジの干物よりは淡泊なので一味落ちる。くさやの干物にしてもムロアジに比べるとあっさりしているのでワンランク下がる。けっして旨い魚だとは思って居なかったのだが、今夜のトビの刺身は家内も結構旨いと言ってくれた。

明日は、念願の室生寺をゆっくりと拝観出来るだろう。 
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比叡山延暦寺 東塔 2013年6月4日

2013-06-22 | 
駆け足で観た西塔を出て、次に向かったのは比叡山の本拠地、東塔



入り口を入って直ぐの所に、国宝殿が建っており、別料金で特別展を観てからの拝観した。



大講堂



大講堂は、1634年に建立された古い建物だったが、1956年に焼失して、現在の建物はその後に建てられた。 
本尊は大日如来、脇には日蓮、道元、栄西、円珍、法然、親鸞、良忍、真盛、一遍などの高僧の像が安置されて居る。
何れも若い頃に延暦寺で修行をした高僧達だ。



門の内側の建物が国宝の根本中堂だ。勿論中に入って拝謁できるが、内部は撮影禁止だった。

最澄が建立したのち、織田信長に焼き討ちにされ、後に1642年に徳川家光によって再建された。1954年に国宝に指定された。
中には、最澄の時代から続く不滅の法灯が灯されている。信長の焼き討ちのあと、立石寺に分灯された灯火を戻して今に続いて居るのだそうだ。

他にも、幾つかの建物を拝観して、次に行く予定を考えて山を下りる事にした。

我が家が天台宗なので、本元の延暦寺を一度は拝観したいと思って来たのだが、流石世界遺産だと満足して山を下りた。
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比叡山延暦寺 西塔    2013年6月4日

2013-06-21 | 


横川中堂の次は道順から西塔へと向かったのだが、あとの時間を考えるとここは、ゆっくり拝観する時間が取れそうもなかった。



比叡山で最も古い建造物が重要文化財の「釈迦堂」だそうだ。

西塔は、残念だが釈迦堂だけ見て東塔に向かう事にした。
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比叡山 横川   2013年6月4日

2013-06-17 | 


朝、越前岬近くの宿を出て、琵琶湖の東岸を走って、奥比叡ドライブウエーに進んだ。
一気に登った所に展望台があったので、ここで初めて琵琶湖を一望することができた。
春霞で遠くが霞んでいたが、広大な琵琶湖を大きさを感じる事ができた。 福島の人間は日頃猪苗代湖や裏磐梯の数々の湖沼群を見慣れているので、少々の事では驚かないのだが、流石は日本一の大きな湖は素晴らしかった。





北側からの道を辿ったので、最初に訪れたのは、比叡山の三つの区域の「横川」と呼ばれる区域であった。
ここは、第三代天台座主自覚大師円仁によって開かれた所だそうだ。



横川中堂は、落雷で焼失して1971年に鉄筋コンクリートで再建されたのだそうだ。



本尊は、拝観者から見える所に聖観音立像が奉られており



周囲の回廊には、全国各地の信者が奉納した金色の小仏像が納められていた。



惠心堂は、小さなお堂だが、ここに納められた「往生要集」は非常に高い文学的価値が高いもので、「源氏物語」や「枕草子」などの多くの文学書に影響を与えた原典となった物だそうだ。



元三大師堂は、国の重要文化財だそうだ。また、ここは、おみくじの発祥地だそうだ。
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越前岬    2013年6月3日

2013-06-15 | 自転車・サイクリング
東尋坊から次の目的地、越前岬へと向かった。



越前岬灯台は、海岸から少し高台に上った所に有った。この辺りには水仙の関連施設が建った丘になっていて、海の眺めも良い場所だった。



この場所は、越前岬の近くの漁村で見た風景だったが、場所の記憶がハッキリしなく成ってしまった。
この辺の岩も柱状節理を形成していた。



越前岬から少し敦賀市方向に先へ進んだ所に今夜の宿を取ってあった。夕日は宿の部屋からの眺めだ。
宿の料理は新鮮な魚が旨かった。この辺のお客は大阪など関西の食にうるさいお客さんか多いのだろう等と想像したのだが、我が家の奥方もご満足のようすだった。
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東尋坊      2013年6月3日

2013-06-12 | 
金沢の兼六園をあとにして、つぎの目的地として予定した東尋坊を目指した。
金沢から東尋坊へは、8号線から逸れて次第に海岸に近付くルートとなるが、車の多い8号国道と違って行き交う車も少なく、快適なドライブが楽しめた。



東尋坊の入り口に着いて、土産物屋さんの店先駐車場に車を預けて、土産物屋さんが軒を連ねる細い道を歩くと程なく奇岩の景観が目の前に展開する磯場に辿り着いた。





ここの岩場は、柱状節理と言う海底から隆起した岩に、縦に割れ目が出来て、一見「柱」が並んだ様に見える状態の事を言うのだが、ここの柱状節理は、可成り不規則な並びも見られて決して綺麗な岩柱には見えない。



東尋坊から北の方に、「雄島」が見える。時間の都合で行くのは止めたのだが、橋が架けられていて、地続きになっいる様だ。
この雄島の岩もも同様に柱状節理が発達しているらしい。
また、磁気を帯びた岩があるとか、話には聞いて居るのだが、今回は旅程の都合でパスした。


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金沢の兼六園   2013年6月3日

2013-06-10 | 
何時も生活の面倒を掛けている女房にたまにはサービスをしなければと、久しぶりに二人で旅に出た。
最大の目的地は比叡山延暦寺と室生寺なのだが、途中も楽しまねばと思い、最初に兼六園を選んだ。



駐車場に車を預けて、徒歩で兼六園に向かうと、程なく入り口に辿り着く



案内板を見ると驚く程の園の広さが見て取れる



入り口から坂道を登ると左が兼六園、右が金沢城趾石川門だ。

自分では何度か訪れて居り、最初の時からすると49年ぶりになる。
最初の事は良く覚えている。東京オリンピックがあった年の昭和39年2月だった。
金沢大学に納められた某社製の電算機(汎用コンピューター)の中に組み込まれた電源装置の事で電算機センターを訪問したのだが、その電算機センターがこの石川門の奥に有ったのだ。
前の日に着いて金沢駅前の旅館に泊まったのだが、翌朝起きてみたら辺り一面の銀世界だった。

タクシーで電算機センターに行き、早速装置の前に案内された時、対応に現れた教授が、いきなり「君、兼六園に言って来たか?」「いいえ」「それはいかん、仕事は後で良い、雪の兼六園など滅多に見られる物では無い、直ぐに行って来なさい」「はい」
私も、何年か前までは、大学生だったので、仕事が大事なのは分かって居ても、この教授からの一言には、嫌も応もなく石川門を潜って、向かい側の兼六園に行って見た。
実は、電算機の置かれた建物へは、別の入り口から入ったので、建屋を出て石川門を潜るまで兼六園との位置関係など全く知らなかったのだ。

その当時は、入り口でお金を払った覚えは無いので、多分無料だったのだろう。
足跡一つ無い真っ白な雪に覆われた園内は、今でもその感動が甦って来る素晴らしい世界だった。



それから49年が経つのだが、霞ヶ池と徽軫灯籠のたたずまいは、いまも全く変わりが無く迎えてくれた。
アルバムに貼られた、当時のモノクロームの写真からせすると、木々が大きく育ったので、灯籠の存在感が少し小さくなった様にも思えるのが唯一の違いと言える様だ。



しかし、雁行橋は様子が違う、昔はもっと徽軫灯籠に近い位置にあって、橋を渡って歩行して居たのだが、其処にはコンクリートの橋が架けられており、雁行橋は少し上流に移され、柵の中に安置されて、見るだけの物になって居た。
多くの観光客が訪れるので表面の摩耗などを考えるとやむを得ない事なのだろう。





素晴らしい兼六園を見たが、行き届いた管理のお陰で、松も池も素晴らしい日本庭園の美しさを保って、久しぶりの旅行者に満足感を惜しみなく与えてくれた。
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