明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

金沢の兼六園   2013年6月3日

2013-06-10 | 
何時も生活の面倒を掛けている女房にたまにはサービスをしなければと、久しぶりに二人で旅に出た。
最大の目的地は比叡山延暦寺と室生寺なのだが、途中も楽しまねばと思い、最初に兼六園を選んだ。



駐車場に車を預けて、徒歩で兼六園に向かうと、程なく入り口に辿り着く



案内板を見ると驚く程の園の広さが見て取れる



入り口から坂道を登ると左が兼六園、右が金沢城趾石川門だ。

自分では何度か訪れて居り、最初の時からすると49年ぶりになる。
最初の事は良く覚えている。東京オリンピックがあった年の昭和39年2月だった。
金沢大学に納められた某社製の電算機(汎用コンピューター)の中に組み込まれた電源装置の事で電算機センターを訪問したのだが、その電算機センターがこの石川門の奥に有ったのだ。
前の日に着いて金沢駅前の旅館に泊まったのだが、翌朝起きてみたら辺り一面の銀世界だった。

タクシーで電算機センターに行き、早速装置の前に案内された時、対応に現れた教授が、いきなり「君、兼六園に言って来たか?」「いいえ」「それはいかん、仕事は後で良い、雪の兼六園など滅多に見られる物では無い、直ぐに行って来なさい」「はい」
私も、何年か前までは、大学生だったので、仕事が大事なのは分かって居ても、この教授からの一言には、嫌も応もなく石川門を潜って、向かい側の兼六園に行って見た。
実は、電算機の置かれた建物へは、別の入り口から入ったので、建屋を出て石川門を潜るまで兼六園との位置関係など全く知らなかったのだ。

その当時は、入り口でお金を払った覚えは無いので、多分無料だったのだろう。
足跡一つ無い真っ白な雪に覆われた園内は、今でもその感動が甦って来る素晴らしい世界だった。



それから49年が経つのだが、霞ヶ池と徽軫灯籠のたたずまいは、いまも全く変わりが無く迎えてくれた。
アルバムに貼られた、当時のモノクロームの写真からせすると、木々が大きく育ったので、灯籠の存在感が少し小さくなった様にも思えるのが唯一の違いと言える様だ。



しかし、雁行橋は様子が違う、昔はもっと徽軫灯籠に近い位置にあって、橋を渡って歩行して居たのだが、其処にはコンクリートの橋が架けられており、雁行橋は少し上流に移され、柵の中に安置されて、見るだけの物になって居た。
多くの観光客が訪れるので表面の摩耗などを考えるとやむを得ない事なのだろう。





素晴らしい兼六園を見たが、行き届いた管理のお陰で、松も池も素晴らしい日本庭園の美しさを保って、久しぶりの旅行者に満足感を惜しみなく与えてくれた。
コメント (4)
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