少し。いや可成り古い話です。
当然写真など無いので文字だけなのでご免なさい。
時は、私の記憶では、1961年。
当時は新幹線が走り出したのが1964年だから、東海道の在来線「東海道本線」なのだが、生まれて初めて乗ったのが寝台特急「瀬戸」東京から目的地地は岡山県の宇野まで、最終目的地は四国の徳島なのだが、宇野で宇高連絡線で四国高松へ渡り、其処から在来線で徳島駅まで行くと言う旅程だった。
海上自衛隊徳島航空隊をベースに、航空機に特殊な電子装置を乗せて、航空実験を行うのが目的の旅だった。
当時は毎日何本かの寝台特急が運行されていて、2等寝台は、3段ベッドが向かい合わせになって、1区画に6人が利用する形だった。
23時頃に東京駅を出て、名古屋、京都、大阪を経て岡山県の宇野まで、ゆっくり、ぐっすり寝られて快適な旅だった事を覚えている。
翌、1957 年の夏には、拠点を鹿児島県の鹿屋航空隊に移した為、東京から鹿児島駅までの寝台特急に乗った。
詳細は忘れたのだが、多分寝台特急「はやぶさ」だった様に思う。
一行3人の旅だったが、2等寝台1区画に知った同士の3人だけだったし、鹿児島までは随分と長旅になるので乗っている間は仕事のことなど考えずに、のんびりと構えていた。
神戸を過ぎた辺りでベッドを畳むのだが、2段目には、壁側に蝶番が付いている構造で、1段目は動かさずに平時は座席ななり、2段目が手前側が下に降りて背もたれになった。
もう少し細かく説明するならば、列車の横幅に対してベッドがあって反対側の窓際が通路になって居るので、座席はたっぷりゆとりの3人掛けとなる構造だ。
向かい合わせの2列1区画に3人の豪華な旅が終点の鹿児島まで続く事になった。
食堂車で朝食を済ませた後は、広島県、山口県を通って九州各県の景色を見ながらのんびりと鹿児島まで旅が続いた。
平和な佳き時代の思い出話だ。
因みに、この旅は、仕事の途中で台風が来て、自衛隊機で青森県の八戸航空隊に避難したので、帰路は東北本線で東京へ戻ったので、寝台特急での帰路とは成らず、片道のみの思い出だった。
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