第2の散歩コースも第1と同様に、約3km~3.5kmとほゞ同じ位の距離だった。
もう少し長い距離を歩きたいと思ったので新たに第3のコースを設定した。
第3のコースは、第2の阿武隈川の上流、第1コースより更に上流に位置するのだが、福島空港アクセス道の大仏大橋から上流側、男滝橋を渡ってぐるっと一回りする約5kmのコースとした。
このコースは、一周した大仏大橋を渡らずにそのまま下流に向かい、小作田橋を渡ると8km以上のコースとなるので、距離を伸ばすのには好都合だ。
今回は、阿武隈川の左岸、大仏大橋の下を通り抜ける農道の、橋の下に車を置いて、ここから歩き始めた。
この付近は、川沿いの道がないので、いったん前田川の中屋敷集落方向へ向かい、たわわに稔った稲田やリンゴ畑の間を通り抜ける。
リンゴは、収穫には未だ暫く掛かりそうだが、僅かに赤身をおびて来たリンゴが沢山生っていた。
1本だけ赤く成っていたリンゴがあった。家の人が楽しむ為に種類の違う木を植えているのだろう。
一角には、僅かなネギが植わっていた。 当地では、ネギは何度か植え替えをする。植え替える回数は人になり様々だが、植え替え回数が多いほど柔らかな美味しいネギになる。この家では、ネギ畑に植えたネギが残ったので、残ったネギ苗を、僅かな空き地に植えたのだろう。作物を大切に育てる心意気を感じた。
ついでに説明を付け加えると、植える時に縦穴を掘って埋めるのでは無く、斜めな畝に乗せ、上から土をかける。そのため、土が軟らかく、縦植えよりも土の重圧が少ないのでネギが軟らかくなる特徴があるのだ。
この地方では「曲がりネギ」と称して出荷している。都会では余り知られて居ないのだが、このねぎをすき焼きの材料にすれば、ネギが口の中で熔ける様な柔らかさで、最高のすき焼きと成る。
リンゴ畑の間を抜け、稲田や、特産のキュウリ畑などが広がる田園地帯を抜けると、宿集落の狭い軒先をとおり、やがて男滝橋の袂に達する。
男滝橋は、左岸と右岸の両集落を結ぶ生活用の橋だ。普段の通行量は至って少ない。
橋の上から下流域を見た風景だ。 右岸に沿って見える細い道は、この後私が歩く予定の道で、みちのく自転車道だ。
男滝橋は、阿武隈川の増水時に備えて土手を築いた高いところを通るのでみちのく自転車道へ下りるには、いったん前方のJR水郡線踏切手前まで行き、右の農道を通って川岸まで戻る形になる。
左岸側の崖下に一塊の岩が水中に転がっている。 これは、先の東日本大震災の時に崩れ落ちた物だ。
その向こうに福島空港アクセス道の大仏大橋が見えている。 この橋も高架なので、下を通る自転車道は、更に下流の小作田橋まで行かないと対岸に戻れないかと思って居たのだが、実際には、土手に橋上に登る階段が付けられていた。
この画像は、大仏大橋から空港方向を見た状態だ。 右半分が2車線の自動車道路で反対車線は中央分離の手すりで見えない。 そして、左半分は歩道だ。
随分広い歩道だが、多分、将来車道の車線数を増やせる様に広く取って有るのだろう。
橋を渡った先には車を置いた橋下の農道に接続する側道が有るので簡単に下に下りられた。
大仏大橋の「大仏」とは、実はのこの橋下の農道の山側に、大昔に作られた岸壁に彫り込まれた大仏様が奉られているのだ。市の文化財として登録保護されている。
元々この地方は、古代東北に於いて「石背の國(いわせのくに)」の中心地だった。 大同3年(808年)弘法大師がこの地を訪れた時に、彫った言い伝えられている。周囲には、その後に修行者が掘ったらしい小洞穴や仏像らしき彫り後が残っているが、この付近の岩は軟らかくもろい性質がある為、大仏を含めて輪郭が風化してしまったと見られる。
石背の國、今は岩瀬郡と漢字が何時の時代にか変わってしまったが、元々岩盤質の地層が多い地方だ。近隣には江持石が産出していたし、東部の山からは花崗岩が産出している。
我が家もその岩盤の上に建って居たお陰で東日本大震災の時にも大きな被害を受けずに済んだ。
話が脱線したが、歩いた結果は、GPSに5km余り、約7000歩と記録されたので、丁度良さそうなコースとなりそうだ。