明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

中秋の名月

2013-09-19 | その他
今夜は、中秋の名月が一点の雲もない、スカッと晴れた夜空に輝いた。



私は、超望遠レンズを持っていないので、ごく普通の望遠レンズをカメラに取り付けて撮ってみた。
豆粒くらいに移った画像でお月様が写っている所だけ切り抜いてみた。
そんな訳で、可成りピントが悪いが、一応見られる模様なのでご披露に及んだ次第。

お月様を目一杯に写せるレンズとなると、100万円出しても足りないので、動物写真とか、小鳥を専門に狙うなど特定の目的でも無ければ普段使う用途も無いので、こんな時には「有れば良いなぁ」とは思うのだが・・・と言い訳をさせてもらう。


 
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第3の散歩コース

2013-09-12 | その他
第2の散歩コースも第1と同様に、約3km~3.5kmとほゞ同じ位の距離だった。
もう少し長い距離を歩きたいと思ったので新たに第3のコースを設定した。



第3のコースは、第2の阿武隈川の上流、第1コースより更に上流に位置するのだが、福島空港アクセス道の大仏大橋から上流側、男滝橋を渡ってぐるっと一回りする約5kmのコースとした。
このコースは、一周した大仏大橋を渡らずにそのまま下流に向かい、小作田橋を渡ると8km以上のコースとなるので、距離を伸ばすのには好都合だ。



今回は、阿武隈川の左岸、大仏大橋の下を通り抜ける農道の、橋の下に車を置いて、ここから歩き始めた。
この付近は、川沿いの道がないので、いったん前田川の中屋敷集落方向へ向かい、たわわに稔った稲田やリンゴ畑の間を通り抜ける。



リンゴは、収穫には未だ暫く掛かりそうだが、僅かに赤身をおびて来たリンゴが沢山生っていた。



1本だけ赤く成っていたリンゴがあった。家の人が楽しむ為に種類の違う木を植えているのだろう。
一角には、僅かなネギが植わっていた。 当地では、ネギは何度か植え替えをする。植え替える回数は人になり様々だが、植え替え回数が多いほど柔らかな美味しいネギになる。この家では、ネギ畑に植えたネギが残ったので、残ったネギ苗を、僅かな空き地に植えたのだろう。作物を大切に育てる心意気を感じた。
ついでに説明を付け加えると、植える時に縦穴を掘って埋めるのでは無く、斜めな畝に乗せ、上から土をかける。そのため、土が軟らかく、縦植えよりも土の重圧が少ないのでネギが軟らかくなる特徴があるのだ。
この地方では「曲がりネギ」と称して出荷している。都会では余り知られて居ないのだが、このねぎをすき焼きの材料にすれば、ネギが口の中で熔ける様な柔らかさで、最高のすき焼きと成る。


リンゴ畑の間を抜け、稲田や、特産のキュウリ畑などが広がる田園地帯を抜けると、宿集落の狭い軒先をとおり、やがて男滝橋の袂に達する。



男滝橋は、左岸と右岸の両集落を結ぶ生活用の橋だ。普段の通行量は至って少ない。



橋の上から下流域を見た風景だ。 右岸に沿って見える細い道は、この後私が歩く予定の道で、みちのく自転車道だ。
男滝橋は、阿武隈川の増水時に備えて土手を築いた高いところを通るのでみちのく自転車道へ下りるには、いったん前方のJR水郡線踏切手前まで行き、右の農道を通って川岸まで戻る形になる。



左岸側の崖下に一塊の岩が水中に転がっている。 これは、先の東日本大震災の時に崩れ落ちた物だ。
その向こうに福島空港アクセス道の大仏大橋が見えている。 この橋も高架なので、下を通る自転車道は、更に下流の小作田橋まで行かないと対岸に戻れないかと思って居たのだが、実際には、土手に橋上に登る階段が付けられていた。



この画像は、大仏大橋から空港方向を見た状態だ。 右半分が2車線の自動車道路で反対車線は中央分離の手すりで見えない。 そして、左半分は歩道だ。
随分広い歩道だが、多分、将来車道の車線数を増やせる様に広く取って有るのだろう。

橋を渡った先には車を置いた橋下の農道に接続する側道が有るので簡単に下に下りられた。



大仏大橋の「大仏」とは、実はのこの橋下の農道の山側に、大昔に作られた岸壁に彫り込まれた大仏様が奉られているのだ。市の文化財として登録保護されている。

元々この地方は、古代東北に於いて「石背の國(いわせのくに)」の中心地だった。 大同3年(808年)弘法大師がこの地を訪れた時に、彫った言い伝えられている。周囲には、その後に修行者が掘ったらしい小洞穴や仏像らしき彫り後が残っているが、この付近の岩は軟らかくもろい性質がある為、大仏を含めて輪郭が風化してしまったと見られる。

石背の國、今は岩瀬郡と漢字が何時の時代にか変わってしまったが、元々岩盤質の地層が多い地方だ。近隣には江持石が産出していたし、東部の山からは花崗岩が産出している。
我が家もその岩盤の上に建って居たお陰で東日本大震災の時にも大きな被害を受けずに済んだ。

話が脱線したが、歩いた結果は、GPSに5km余り、約7000歩と記録されたので、丁度良さそうなコースとなりそうだ。
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第2の散歩コース

2013-09-05 | その他


普段のマイ散歩コースは、地図の①の赤い線のコースだが、一周約3.5kmで、途中で立ち止まったりしながら歩いて丁度1時間掛かる。
地図は、正位置表示で、上側が真北になる。

最近、この散歩道の内側にプルトーザーなどの重機が入って作業を始めた。 
一部の地盤を掘り下げている。 多分遊水池としての貯水量を増やそうとして居るのだろう。

阿武隈川の左岸と接する堤防上をダンプカーが通る為だろうが、歩行者通行止めと成ってしまった。


そこで、②のコースを歩くことにした。
このコースは、一周約3.3km位、阿武隈川の堤防と、左岸に流入する釈迦堂川の堤防の上を歩く。
途中で三つの橋を渡る時だけ一般道の歩道を歩くのだが、それ以外は車馬通行止め区間なので、ここも歩き易い。

釈迦堂川の河畔は、8月の第三土曜日に「須賀川 全国花火大会」の会場となるので、その日は使え無いが、それ以外は、人気が無く長閑だ。

序でに少し説明を付け加える事にするが、阿武隈川と釈迦堂川の合流点に挟まれた南側は、市民スポーツ広場で、付属の体育館が隣接して建っている。



川の合流点から南側を見た景色だ。
芝生の向こう側の地肌が見えているのが、スポーツ広場で、サッカー、ソフトボールなど4面同時に使える広さだ。
左端に体育館が見えている。



画像は、地図の北西端の下江持橋上から上流を見た景色だ。 直下の砂場は阿武隈川の中州だ。
また、中央奥の左が本流で、右川に流入する釈迦堂川が見える。


私が、小学2年生の時に終戦を迎えたのだが、その頃は、この川も豊だった。
夕方に成れば、川面に小魚がピンピンはね居た。
大人が投網を打てば、沢山の魚が網に入った。
大きなウナギやナマズも捕れた。

それが、終戦の翌年の夏、水浴びをして居たら、真っ茶色名お醤油みたいな水が流れてきた。
後で知ったことだが、上流の白河のパルプ工場からの排水だったらしい、
やがて魚が捕れなくなった。 私は社会人になって、都会に行ったので、その後の推移は分からない。
最近は、少しは水質も良くなって来たらしく、魚も僅かに生息しているらしいが、何時間も見つめていても川面にはねる小魚は見る事が出来ない。
鯉など、水質が悪くても生息出来る魚は居るらしいが、釣っても食べられないとの事だ。

堤防を一周する間に「アオサギ」を1羽、「カワセミ」を2羽見たので、僅かに小魚も居るらしい。



堤防周辺の草むらで「タカソゴユリ」の群生を見つけた。 この花は風で種子が飛んできて、条件が合うと発芽するらしい。 同じ場所に長居は出来ない性質の植物らしく、何年か後には消えてしまうそうだ。
その間に種子を飛ばして、行き着いた所で時期が来たら発芽しする流浪の旅人の様な花なのだろう。

このルートも、第1ルートも、共に平坦地なので、足腰の為には上り下りの有る所が良いらしいし、寒くなる頃には北西風がまともな吹きっさらしと成るので、その頃には別のルートを探す事にしたい。
コメント (2)
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