明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

んだ

2008-11-01 | 方言
「んだ」=そうだ="Yes" 
私の尋常小学校1年生の国語の教科書は「コマイヌサン ウン」から始まったのを鮮明に覚えている。「うん」は行儀の悪い子の返事、これをたしなめる所から始まったのが当時の教育だった。
因みに私たちは、1年生はカタカナだった。ひらかなは2年生から習ったのだが、戦後一時カタカナが無くなり、何年か経った頃に文部省がカタカナの必要性に気付いて2年生にカタカナを習う現在のパターンになったのだ。従って私よりも少し若い人達にはカタカナを習わなかった年代があった筈だ。

余談は休題として本題に戻そう、「んだ」が丁寧語?が入って「んだない」=そうだねぇ、「んだっぱい?」=そうでしょう?、などなどのバリエーションだ。
私が小学生の頃には「・・ばい」など濁点付きだったのが、中学生の頃には周りの人々の言葉が「・・ぱい」と半濁点になっていた。東北のズーズー弁に対する自重的な変化が起きたと思われる。私の記憶では、この傾向が全ての言葉に共通の変化を引き起こしていたと思う。

その傾向は、前出の「んしゃ」も同じ頃に時々お隣郡山市から実家に遊びに来る父の叔母の話は常に「おめさん」であった。郡山女子高校近くに住む叔母の周辺は都会化傾向が強かった結果だろう。

言葉は時代と共に変わって行くので当然の成り行きなんだと思う。
「んだ」も近頃の使われ方は、年配者に於いても「ほだ」が主流かと思う。多分共通語の「そうだ」をこの地方なりの受け入れ方で使われた結果だろう。

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んしゃ

2008-10-25 | 方言
「んしゃ」いや正確には「にしゃ」なんだ。
だが皆が喋っているのを聞くと「んしゃ」と聞こえてしまう。

昨今方言が見直されて話題になる事もしばしばあるので、我が町の方言をご披露して見たくなって、新しいカテゴリーをセットした。

んしゃは、にしゃ=兄者から来ているのだろう、最近の若い人達は殆ど使わなくなったが、60代後半より年配者には身体に染みついた言葉だ。
親しい間柄同士での会話には「にしゃげのあんにゃ」とか「おらげのしゃで」とかが頻繁に出てきた。「あんにゃ」は兄、「しゃで」は弟だ。
だが、「あんにゃ」にはもう一つの意味があった。「XX あんにゃ」など長男を意味していた。では次男以降はと言うと「XX おんつぁ」勿論おんつぁはおじさんだ。だからこの時の「あんにゃ」や「おんつぁ」は或る家庭持ちくらいの年配者に対しての呼び方でもあった。
子供達は、「おんちゃん」などとちゃん付けで呼んだりもした。この時の「おんちゃん」は誰かまわず「おじさん」の通称だ。

話は少し戻すが、自分の事を「わが」と言う「我」だ。ところが「わがでやれ」など相手に「自分でやれ」の意味でも使うが、それが変じて「きみ!」などと声を掛ける時にも「わが!」となる。雰囲気とニュアンスと言うか、自然と使い分けられて、それで通っていた。「わがげのしゃでは元気か」などだ。

世の中が段々と広範囲と付き合う様になり、都会の人達が入って来たりする課程で「にしゃ」より、少し綺麗な「わが」が使われる様になったとも考えられる。
当事者であった私自信判然としない。それだけ長い時間が過ぎてしまった結果だ。

因みに、度々出てきた「げ」は、「家」の事だ。
あんにゃ=兄者、しゃで=者弟 だろう。これらの表現は多分古い日本語の中で生きていた言葉が方言となって土着した結果だろうと想像している。
だから、我が町の方言とは言っても多分日本中に似た様な方言が残っていても不思議ではないと思う。
コメント (2)
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