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明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

秋田駒ヶ岳

2025-06-24 | 

 

秋田駒ヶ岳に行ってきた。

実は、秋田駒ヶ岳に挑戦するのは今回で3度目なのだが、1回目は酷いガスで一寸先が何も見えないと言う状態で諦めて帰った。

2度目は、予報では曇りだったのに、朝起きたら雨降りでまたもや諦めて帰る事になってしまった。

 

そして、今回3度目の挑戦となった。

天気予報は「晴れ」8合目の駐車場で車中泊の夜明けを迎えたのだが、この朝も辺り一面霧の霧だった。

しかし、初回の時程の酷い状態では無く、約20メートル程先まで見通せる状況と、予報の「晴れ」に天候回復に期待してスタートした。

 

 

途中、少し遠くが見えるほどに回復したり、期待しながら先へ進んだのだ。

 

 

何しろ風が強くて、うっかりすると身体が飛ばされそうになる様な状態だ。

 

 

沢山の高山植物の花が咲いていて、晴れていれば随分と楽しめたと思うのだが、風が強くて思う様に写真が撮れない。

 

 

阿弥陀池の避難小屋で3時間ほど掛けて晴れるのを待ったのだが、何時まで経っても回復の見通しが付かず、断念して下山となった。

 

 

 

それにしても難しい気象に悩まされる山だ。

綺麗なお花畑に魅力があるので、何時の日かもう一度トライして見たいと思いながら下山した。

 


八幡平の草モミジ  2024年10月9日

2024-10-26 | 

 

3年前の10月12日以来 久しぶりに八幡平へ、紅葉を見に訪れた。

アスピーテラインの最高点には駐車場やビジターセンターがあるのだが、盛岡側に少し下ったところに無料の広場があるので其処に車を止め、登山開始。

見返り峠で左方向進み、ガマ沼の展望台を過ぎるて出発点から標高差100mほど登ったところで程なく頂上に着いた。

 

 

下りはガマ沼まで戻って左に分かれて、八幡沼の北側に広がるながる草原の中を木道を辿って、沼を一周して見返り峠で登山路に戻った。

 

 

今年は秋になっても暑い日が続いたので、紅葉が遅れていると思って、少し早いかなと思いながら向かったのだが、実際は既に中腹が紅葉していた。

日本海からの風が直接吹き込むので、内陸の福島県とは少し様子が違うもようだ。

 

 

 

木道は八幡沼の北側を東に向かって下り、沼の東端でる更に東へ下る道と沼に沿って右折して沼を周回する道との分かれ道となり、

沼に沿って周回する形で駐車地点まで戻った。

 

 

途中で、騒がしい鳥の鳴き声に驚いて辺りを見回したが、相手が見つからなくて、気付いた時には白鳥の群れが既に頭の上を通り過ぎていた。

今年も北の国から、こうして群れになって渡ってきたもようだ。

暫く南下を続けて、何処かの湖沼地に降り立ち、一冬を過ごすのだろう。

結果的に少し時期遅れの探索となったが、晩秋の八幡平を楽しむ事ができた。

 

 


寝台列車の旅

2024-09-03 | 

少し。いや可成り古い話です。

当然写真など無いので文字だけなのでご免なさい。

 

時は、私の記憶では、1961年。

当時は新幹線が走り出したのが1964年だから、東海道の在来線「東海道本線」なのだが、生まれて初めて乗ったのが寝台特急「瀬戸」東京から目的地地は岡山県の宇野まで、最終目的地は四国の徳島なのだが、宇野で宇高連絡線で四国高松へ渡り、其処から在来線で徳島駅まで行くと言う旅程だった。

海上自衛隊徳島航空隊をベースに、航空機に特殊な電子装置を乗せて、航空実験を行うのが目的の旅だった。

 

当時は毎日何本かの寝台特急が運行されていて、2等寝台は、3段ベッドが向かい合わせになって、1区画に6人が利用する形だった。

23時頃に東京駅を出て、名古屋、京都、大阪を経て岡山県の宇野まで、ゆっくり、ぐっすり寝られて快適な旅だった事を覚えている。

 

翌、1957 年の夏には、拠点を鹿児島県の鹿屋航空隊に移した為、東京から鹿児島駅までの寝台特急に乗った。

詳細は忘れたのだが、多分寝台特急「はやぶさ」だった様に思う。

一行3人の旅だったが、2等寝台1区画に知った同士の3人だけだったし、鹿児島までは随分と長旅になるので乗っている間は仕事のことなど考えずに、のんびりと構えていた。

神戸を過ぎた辺りでベッドを畳むのだが、2段目には、壁側に蝶番が付いている構造で、1段目は動かさずに平時は座席ななり、2段目が手前側が下に降りて背もたれになった。

 

もう少し細かく説明するならば、列車の横幅に対してベッドがあって反対側の窓際が通路になって居るので、座席はたっぷりゆとりの3人掛けとなる構造だ。

向かい合わせの2列1区画に3人の豪華な旅が終点の鹿児島まで続く事になった。

 

食堂車で朝食を済ませた後は、広島県、山口県を通って九州各県の景色を見ながらのんびりと鹿児島まで旅が続いた。

平和な佳き時代の思い出話だ。

 

因みに、この旅は、仕事の途中で台風が来て、自衛隊機で青森県の八戸航空隊に避難したので、帰路は東北本線で東京へ戻ったので、寝台特急での帰路とは成らず、片道のみの思い出だった。

 


平家落人の里 「湯西川」

2024-08-09 | 

梅雨どきの空模様に何処に出掛けても大した写真も撮れそうにないし、何処に出掛けるか悩んだ末に大したアテも無く日光方面に車を走らせた。

 

 

日光の戦場ヶ原などウロウロして最後に辿り着いたのが湯西川だった。

写真は早朝の道の駅「湯西川」、道路を挟んで先の谷底、朝霧に煙っていた。

 

 

五十里湖は、水位が下がって普段水の中の枯れ木が顔をだして、不思議な景色を撮影してて楽しむ事ができた。

 

 

五十里湖沿いのR121を会津方面への戻る道沿いの風景にも雨模様のガスった風景に、それなりの雰囲気を撮る事が出来て、帰路を楽しみながら往復約500kmの旅終えた。


車中泊の装備

2024-06-28 | 

 

14年間乗ったデリカ・スペースギアが余りにも酷くなって廃車する事になってしまった。

次の車も四輪駆動のデリカD5とした。

先日納車されたので、真っ先に車中泊用のテーブルとベッドの仕掛けを取り付けた。

 

サードシートを取り外して出来たスペースにテーブルを取り付けた。

テーブルは前後方向に70cmの長さとし、幅は車幅一杯の広さとした。

更に、上の写真では、左奥に繋がって伸びている部分がベッドスペースだ。

ベッドは、自分の身長に対して充分ゆとりを持たせて全長 170cm とした。

この部分は、テーブルとは分離取り外し可能で、横にスライドする事が出来て、横幅の何処の位置にも変更出来るし、同じ形の物を作れば、3個まで並べて取り付けることが可能だ。

 

 

ベッド部の取り付けは、テーブル部の土台となる 40mm 角のアルミ角棒の溝にベッド板の爪が嵌まる構造とした。

 

 

セカンドシートを前側にスライドさせるて出来たスペースに工具箱などに座布団を乗せて座れば、テーブルで食事などが楽しめる。

 

 

テーブル板は土台となるアルミの角棒の上に3枚の板を乗せだけで、ネジなどで固定して無い。

テーブルの下側に置いた箱から簡単に食材や食器などを出し入れする事が出来る様に配慮した結果だ。

テーブルの土台部分は、頑丈な 40mm 角のアルミ引き抜き材なので、ベッドとして大人が乗っても充分に耐えられる強度があると思って居る。

 

次なる撮影旅行が楽しみだ。

 


八海山に登ってみた

2023-07-06 | 

新潟の酒に「八海山」という銘柄があって、結構有名な酒なのだがその名の元となる「八海山」に今回、ふとしたきっかけで登ることになった

 

久しぶりに新潟県十日町市の山間部に位置する「星峠」で日の出の写真を撮ったあと、これから何処に行こうかと考えた時に頭に浮かんだのが「八海山」だった。

昨年、撮影の帰路に通りかかった道すがら八海山のロープウェー駅に立ち寄った事が有った。

この時は、午後の遅い時間だったのでロープウェーには乗らずに「何時かこれに乗って高い稜線からの眺望を楽しんで見たい」などと思いつつ、下から眺めただけだった。

 

奥の山群、左端が薬師岳 1653.7m、右端が入道岳1778mの総称を八海山と言うらしい

 

幸い、星峠からさほど遠くなかったので程なくロープウェー駅に着いた。

足拵えやカメラや持ち物などの必要な身支度を整えて駅舎に入って、運行時間表を見ると始発が8時40分とあった。

1時間も待たねばならず、どうしようかなど考えながら切符売り場が開いたので往復券を買った。

そして突如改札が始まった。

 

 

何と7時40分に始発が動き出した。 

訳を聞くなど野暮だ。 黙って乗って、一気に標高1050m の山頂駅に着いて、山上の人となった。

 

 

アカモノ

 

タムシバ(ニオイコブシ)

 

ヒメシャジン

 

登山道には、小さなアカモノやヒメシャジンなどの可愛い花が咲いていた。

 

 

道は、結構険しく、所々急な急峻な岩場だったり

 

 

梯子が掛かっているところも何カ所か有った。

 

 

標高 1370m の避難小屋 「女人堂」まで辿り着いて休憩、昼飯とした。

目の前の薬師岳を見上げて、ここから300m一気に登る事になるのだが、帰路の体力も考えて此処で引き返す事とした。

 

 


森吉山

2023-06-13 | 

「森吉山」 今から凡そ25年前、1998年8月  ボーイスカウト日本ジャンボリーが森吉山麓で開催された時、フルタイムで奉仕した思い出の地だがそれ以来、永くこの地を訪れた事が無かった。

常に頭の片隅には在って、何時の日かこの地を訪れたいと思って今日に至ってしまった。

 

       森吉山、山頂直下の「稚児平」(標高1400m)                       .

 

 

登山スタートとなる阿仁ゴンドラへ駅は、秋田県の内陸中央部を縦ら貫く国道105号線から逸れて東へから延々と山道を走ってようやく辿り着く山奥だった。

更にゴンドラに乗って、延々と尾根を幾つも超えて遙か彼方の山頂駅に辿り着くことができた。

山頂駅の凡その標高は 1170m、駅舎の外に出るとそのまま登山道へと続いた

 

シラネアオイ

 

イワカガミ

 

ショウジョウバカマ

 

登山道の所々に残雪があったが、シラネアオイが今を盛りに咲いていた。

山頂駅から標高差120~130m登ると尾根に出た。

所々にミネザクラが咲く尾根を辿って標高1400mの稚児平まで登ったところで帰路を考えて引き返すこととした。

1454.2mの山頂は直ぐ其処に見えて居るのだが、ここまで来れば充分だ。

私が山に登る目的は、山頂を極めることではない。

景色を楽しみ、山を味わえれば満足なのだ。

景色を楽しみながら、花の写真を撮りながら下山した。

これから約400Km余を走って我が家まで一気に走った。

楽しかった!!!

 


西穂高・冬期絶景

2023-02-24 | 

西穂高岳  2908.8m 

 

西穂高ロープウェーで西穂高岳中腹から冬真っ直中の北アルプスの絶景を堪能した。

一昨年、2021年にトライした時には、コロナ最中でろーふウェーが営業中止で残念ながら果たせなかったので、今回天候も良かったので思いきってこれを見るだけの旅に出た。

2月21日に家を出て現地で一泊した。

 

 

2月22日の朝、絶好の快晴に恵まれて一番の西穂高ロープウェーに乗った。

ロープウェー頂上駅(標高2156m付近)の駅舎屋上からの絶景を堪能した。

 

山頂左端の尖った山が槍ヶ岳 3180m

 

中岳3084mの左奥に辛うじて見えている尖った山が槍ヶ岳だ。

 

 

西穂高岳と谷を得立てて西側に位置する笠ヶ岳(2897.6m)

 

 

笠ヶ岳に連なる尾根筋の左側、遙か彼方に白山が小さく見えて居た。

駅舎の周辺を一回り、雪上を歩くトレッキングを楽しんで、午後2時頃に下山、帰宅は日付を超えてしまったが、往復800キロを超える旅だった。


初冬の燧ヶ岳    2022年10月25日

2022-10-29 | 

 

雪化粧の燧ヶ岳がとても綺麗だった!

尾瀬沼や尾瀬ヶ原から見る燧ヶ岳の姿は良く知られていると思うのだが、こちらは反対側、北側から見た姿だ。

 

紅葉を撮影する予定で檜枝岐から奥只見湖へ向う国道352号線が燧ヶ岳と会津駒ヶ岳の間を抜ける峠の天辺あたりで雪化粧の燧ヶ岳を見上げて「綺麗だ!」と車を止めて撮った一枚だ。

 

明日は晴れの予報なので、この先が楽しみだ!


栗駒山 2022年10月12日

2022-10-13 | 

昨夜は、雨と強風で、落ち着かない車中泊だった。

朝、雨は止んだが、山が全く見えない濃い霧のため様子を見ていた。

昼近くになって何とかガスが腫れて来たので身支度をして外に出た。

 

須川温泉の湯本が栗駒山へ登山口となっている。

 

画面中央のやや右側、青い屋根が須川ビジターセンター、右の赤い屋根はの温泉ホテル

 

須川温泉は、岩手県と秋田県境に在って、栗駒山の8合目、標高1100m。

栗駒山登山口の一つとなっている。

 

 

温泉は、丸い池の様な所から、大量に沸きだして川となって流れ出ている。

その一部をパイプでホテルなどへと繋いでいる様だ。

 

 

暫く登ったところに古い噴火口後があった。

近くには、噴気が立ち登っている所が幾箇所も見られる。

 

 

須川から少し登った「名残ヶ原」からの山側は見事な紅葉だった。

 

 

山は、昨夜からの雨が上がって、濃い霧の中だった。

 

 

「昭和湖」は、須川と栗駒山頂とのほヾ中間点、標高1280m付近に昭和初期に出来た噴火口水が貯まって出来た小さな湖である。

須川からの標高差 180m 、ルートの上り下りを含めると実際には300m近く登った事になるのかも知れない。

今回は、ここで引き返す事にした。

 

 

登山道沿いに流れる沢は、強い酸性の湖水の影響か、白っぽい不気味な様相を呈していた。

 

 

名残ヶ原の草紅葉も見事に紅葉していた。

往復約4時間の紅葉狩りを楽しんだ一日だった。