明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

さよなら パジェロ  32万キロにご苦労様

2010-11-28 | その他

我が家のパジェロは、平成3年3月末に、それまで乗っていたデリカスターワゴンに代わって私の脚になった。

それから足掛け18年、何時も私を遠い果てまで連れて行ってくれたのだが、寄る年波か、疲れ果ててしまった様なだ。

そろそろご苦労様してやらねばと思って居た矢先、燃料ポンプの故障が表面化したので思い切って選手交代を決断した。

走行距離数は、325,120 Km に達していた。  よく走った物だ!

最近は、ボンネットの上が塗装が剥げて、塗装屋さんのお世話にならねば等と考えて居たのだが、今年の春に車検を依頼した修理工場から「何とか通ったけど、次の車検は駄目だね」って引導を渡されてしまった。 排ガスが基準値に納まらなくなってしまったらしく、大幅な改修をせねば成らないとの事だった。

32万キロも、よくもよくも走ってくれたものだ。 エンジンは元気だし、まだまだ走れそうなんだが、充分に働いて貰ったのだから、そろそろ「ご苦労様でした」って言ってやる時期きと決心を固めたのだ。

パジェロに乗り始めた頃は、仕事の合間に、アウトドアや、釣りなどのレジャーに活躍していたが、リタイヤ後は、北海道から四国まで全国を飛び回る”私の脚”として、時にはホテルの役まで忠実に勤めてくれた。

 

 

1998年(平成10年)秋、リタイヤを機に家内を伴って仙台港からフェリーで苫小牧へ渡り、東回りで北海道一周の旅をした。

苫小牧でアマチュア無線の友人達4人に出迎えられ初対面を果たしてスタート、帯広の近く、音更町の友人宅に寄り、阿寒国立公園、釧路湿原、根室、野付半島、そして知床峠を経て網走へ

網走では、友人の案内で市内のアマチュア無線ののオールドタイマー宅を訪問し、美術館などを見て回り楽しみだのだが、おりしも台風が接近、サロマ湖畔の近くに住む友人宅に緊急避難で泊めて頂き、大変感謝した事も忘れられない。

 

オホーツク海沿いに北へ北へと向かい、遂に日本最北端「宗谷岬」に、そして稚内から日本海沿いに南下 右に日本海をみて一気に石狩、そして札幌を経て小樽から再び船で新潟へ、約10日間の旅だった。

 

1999年は、四国と山陰地方の旅をした。

最初の目的が日本アマチュア無線連盟の総会出席のため松山市へ、そして終了後にこの旅が始まった。

松山を出て四国の西端「佐多岬」へ、私の旅は出来る限り海岸沿いの小さな村や町を辿るのが常だ。

流石にこの辺りでは、本格的な活きのいいカツオのタタキが格別な想い出になった。

 

そして遂に四国の南端「足摺岬」へ、それから高知の桂浜で友人と会い、室戸岬や徳島へは次の機会に譲る事にして高知から一気に北上してこの年に開通したばかりの「しまなみ海道・来島海峡大橋」を渡って尾道から出雲へ

出雲大社をお参りして、いよいよ日本海沿いに宍道湖を見て島根から鳥取へ山陰海岸国立公園など海沿いの町や村を辿って東へ東へ

兵庫県へ入り、若い頃に読んだ「単独行」の主人公加藤文太郎の生まれ故郷「浜坂ってこんな所だったのだ」などと想ったり。

やがて京都府へはいって「天橋立」は、車を降りて歩いて散策、福井では若狭湾の静かな海辺でキャンプをした。

そして東尋坊を見て、この先は何度も来ているので一気に新潟を経て我が家へ、約一週間の旅だった。

 

2000年は、青森県大間からフェリで函館から洞爺湖へ、この年に噴火した有珠山などを見て、日本海に抜け、前回の北海道一周で残した道南部を旅した。

2001年は、私の人生で未だに未踏の地「和歌山県」の旅にでた。

この時も最初の目的地が日本アマチュア無線連盟「長良川総会」で岐阜に行き、その後に伊勢参りをして、鳥羽から海岸線を通る国道260号線を西に向かったのだが、この国道は凄い狭い道で、途中でダンプカーとすれ違うのに路肩に寄せたが急な杉林の路肩が崩れそうで何度か焦る場面が有ったが、やがて国道42号線に合流してからは快適な旅を続ける事が出来た。

 

私にとっては未踏の地だった和歌山県に入った訳で、真っ先に向かったのは本州最南端の「潮岬灯台」であった。

青空が素晴らしいかった。

「ここは串本、向かいは大島」とあること位は誰でも知っている民謡の一節だ、当然大島にも立ち寄った。

その後は那智大社、本宮大社をお参りして奈良へ向かった。この時何故か速玉大社が頭の中に無かったため、一つ忘れ物をしてしまったと気付いたのは和歌山から奈良に入ってからであった。

熊野川沿いに北上、途中十津川に掛かる大吊り橋を歩いて渡ったりして、途中に何も無い山越えで信楽へ着いた頃は真っ暗になってしまった。 幸い信楽に「教育キャンプ場」なる所が有ったので一晩ここでお世話になったが、何も無い山の中で、熊に注意の立て札があったり大変面白い経験をさせて頂いた。

信楽から琵琶湖畔までももうひと山越えねばならなかった。 信楽とはこんな山の中とは! そう言えば信楽へはローカル鉄道で結ばれていて、昔信号事故があった所だったなどとおもいだしたりしもした。

琵琶湖東岸を北上、普通なら国道8号線を敦賀に向かう訳だが、ここでも一つの目的が有って敢えて不便な国道355号線を選んだ。

可成り昔だが、此処の途中に「栃の木峠」が有って、そこから更に山道を1時間ほど歩いた場所に自分の設計で造った無停電電源装置をヘリコプターで運んで設置し、最初の試運転に訪れた事が有った。既にそれから可成りな年月を経ているのだが、もう一度栃の木峠を訪れて見たい気持ちが沸き上がっての選択だった。

峠は昔とは違って立派な立て看板が出来て居たし、道路も良くなって居たのでこの場所に立っても何処から山へ入ったか思い出せなかったが、懐かしい気持ちで満足して敦賀への下りを楽しんだ。

 

この後も、家内と共に乗鞍や飛騨高山、八ヶ岳、千曲川の源流から秩父への林道の旅、等々、パジェロにまつわる想い出は尽きない。

代わりの車と入れ替えに中古車屋さんに渡ったが、多分この老体だからその先は解体屋さんのお世話になるのだろう。

新車で買って足掛け18年、役目を終えた今は、唯々「ご苦労様」を言って送り出した。  「さようなら!」

コメント (8)
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