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宮古市から久慈市方面のリアス式海岸に撮影行の旅をした帰路、長年の念願だった魹ヶ先灯台を訪ねた。
大分昔だが、友人と八戸でのイベントに参加した帰路、海岸線を辿って宮古まで来た時、思い立って魹ヶ先に進路を向けた事があった。
この時は、津軽石字藤畑から姉吉を目指したのだが、途中に人家は、一軒も無く大変な山道であったと記憶している。
今回は、国道45号線の津軽石駅信号から、半島北側の海岸線を辿るコースで姉吉を目指した。
と言っても、途中から山道になるのだが、こちらは、途中に小さな集落があり、少しは車も行き交う生活感があって、寂しい思いをせずに姉吉まで辿り着く事が出来た。
しかし、山道を20kmの行程で、決して楽なコースでは無かった。
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小さな姉吉港が道路の行き止まりで、ここに車を置いて魹ヶ先灯台までは、徒歩で行く事になる。
片道3.8kmのトレッキングなので、前回は、帰りの途中で日が暮れて暗くなる事から断念したのだった。
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少し登った所に津波到達点の小さな表示があった。
持参のGPSデータは、高度21mを示していた。
しかし、今回は高度を校正せずにスタートしたので誤差がある。
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この付近から姉吉港を見下ろした写真だが、実に小さな港だ。
港から外へ出れば、即太平洋の大海原となるので、養殖漁業も出来ず、魚を捕っても何十キロも走らなければ魚市場にも達しないので、多分昆布とか、限られた漁獲しか出来ないのだろう。
それでも、震災前よりも立派になった感じだ。
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道の右側は、港まで切り立った急斜面と言うよりも断崖と言った方が正しい表現だろうが、危険防止の為にロープで柵が施されていた。
標高約110mまで上り詰めた所が峠だった。
いきなり急坂を登るのは、老人には厳しかったが、ここをクリヤーしなければ目的地に辿り着けないので、ゆっくりと歩を進めて頑張った。
それから少し下った先は、全体的には平坦路と言える様な、だらだらの緩い上り下りが続く
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山道なので、自分の居る場所が見当が付かないのだが、所々にこの様な標識が立っていて、これを見て里程が見えて来て、ホッとす。
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蛾の幼虫だろうか、道ばたに、落ちていた。 そっと、開いてみたら既に羽化したあとで、中身は空だった。
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脚の達者な老人が、熊除け鈴を鳴らしながらすれ違って行った。
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魹ヶ崎灯台に辿り着いた地点の標識だ。
これを見ると、与奈6.4kmと書いて有る。 国土地理院の1/25,000地図には書いて無い道が新しく出来て居る様だ。
姉吉港からここまで3.8kmの道のりを若い人なら1時間で来るのだろうが、私の脚で 1時間20分掛かった。
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そして、目の前に現れた魹ヶ崎灯台だ。
灯台は、2~30mの断崖絶壁の上に立っているので海が見えなかった。
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入り口の門柱には、金属製の「魹ヶ崎灯台」のプレートが嵌まっていた。
昔は有人だったので、多分この敷地内に宿舎が建っていたのだろう、今は芝生の広場になっている。
敷地内には、山側に藪に隠れる様に変電施設があった。
「おいら岬の灯台守・・・」の映画は、見てなかったが、その中にも描かれた筈の昔は、油を焚いて火を点していたので、さぞ大変な事だったに違いない。
今は、無人化されて、昔を偲ぶ事は出来ない程に変わってしまった。
灯台の敷地に入ってみたら、外は海岸までは、凸凹の岩石が続き、其処から断崖絶壁の下に海原が広がって水平線まで続いていた。
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灯台の敷地内には、1670kHz DSB 気象通報局が併設されていた。
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何時も1669kHz USBで聞いて居た「こちらはトドカサキ、海上保安庁の気象通報をお知らせします」で始まるお馴染みの定刻放送は、ここから送信されている。
写真の鉄塔から灯台の塔の間にアンテナ線が張られている。
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灯台の直ぐ南側に「本州最東端の碑」があった。
折角訪ねたのだから、セルフタイマーで記念撮影をして、帰路に着いた。
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帰路は、来た道を引き返すだけなので、余裕が出来たので、道ばたで目に付くものを楽しむ事が出来た。
この白い花は、ヨツヅミ(ガマヅミ)の白い花が沢山咲いていた。
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これは、???ショウマと言うのだろうか、名が分からないが足下に沢山咲いていた。
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陽が当たらない所にギンリョウソウが幾つも見つかった。
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帰宅してから図鑑で調べたが、タツナミソウだろうか
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この時期にキノコが生えていた。 キノコは良く分からないのが正直な話しただが、形から見ると、昔自宅近くの里山で採って食べた「アカモダシ」別名ゲンカイ又は、ムラサキシメジに似ている。しかし、これらは秋に出るキノコなので、写真のキノコは何だか分からない。
同じ種類のキノコは大小、多数を見掛けた。
この一帯は、野生が豊富に残されている様に見受けられ、素晴らしい自然林だと感じた。
帰路も1時間15分ほどで姉吉港まで辿り着くことができた。
スパゲティをゆでて、昼食を摂った後、再びR-45に出る間で約20kmの山道を走って、それから仙台方向へ、そして我が家へと一気に走って帰宅した。