右側の金属の箱がプリアンプです
これをマッチングボックスに組み込んで鉄塔の上に取り付けて実際に稼働してみたのだが、利得は充分に得られたが同時に周辺周波数から受ける抑圧で雑音も増えてしまった。或程度想像していた結果なのだが「ものは試し」とやってみた結果なので仕方がない、改めて次の手を考えるしか無い。 今度は広帯域を止めて、入出力に同調回路を持った帯域増幅器に挑戦した。既に28MHz帯や、50MHz帯などで実績の有る2SK125と言う電界効果トランジスタを使った回路で製作した。しかし、この様な低い周波数帯では回路定数の問題などで思った様な増幅度が得られない。今回も色々と調整してみたが約6dB(2倍)程度の利得しか得られなかった。実用に供するには程遠い結果で落胆しきりである。今回は敗北を認めざるを得ず。次なる作戦に暫く休戦を余儀なくされて中断を決めた。無念!!昨日は彼岸の入りなので毎年の事だが一族や親類縁者の墓にお花を上げる為に一回りしてきた。
少し昔だが、新潟県上越地方の友人達と話したときに、「お彼岸?何もしないよ」って言われて驚いた記憶がある。雪深い地方では春のお彼岸には、お墓は未だ雪の下で何も出来ない為だろうか、それにしても秋のお彼岸も同様でお墓参りなどの習慣は無い様子。 他所の習慣は兎も角、私の住む福島県南部の当地方では春の彼岸に上げる花は生花では無く、昔からの造花だ。私が子供だった昭和20年代から同じ形の花を上げている。 昔は春の生花など望むべきも無かったのが今に続いているのだろう。
遠くに住む方から見ると珍しいかと思うので掲載してみた。花びらの一枚に上げた人の名前が書かれている。 大概お花は、彼岸の入りに上げる。お中日には線香を上げに再び墓参りするのが習慣だ。昔は経木を色とりどりの食紅で染めて各家庭で作った物だが最近はスーパーなどで大量に売っているので買ってきて済ませている。暖かさに誘われる様にPOS号を乗り出した。今日はGPSを載せたので何時もと違った場所へ行く事にした。家を出ていったん東部幹線を北へ、国道4号を突っ切って西川方向へ坂道を登って行くが途中で息切れしてしまった。冬の間ろくに運動をしていなかったのだから急にヒルクライムに挑んだのは拙かった。まず余分に着込んだセーターを脱ぎ、ディーバッグに入れて、自販機でポカリを買って一気呑み、半分残してボトルキーパーにセットした。気軽に出たので飲料も用意して無かった事を反省する事になった。新幹線の高架橋の下をくぐった先の信号を右へ向かい、仁井田集落を抜けた所で右折、途端に目の前に白銀の安達太郎山が現れた。
春とは言っても辺りは未だ枯れ葉の世界であるが、ふと道ばたを見るとコバルト色の小さな花を咲かせて「オオイヌノフグリ」が春を告げている。
安積養魚場を通り過ぎて郡山市に入った。三穂田地区を西に向かって田んぼの中の一本道を進むとやがて丁字路にぶつかった。目の前に笠ヶ森山(1013m)が見えている。頂上にNTTのアンテナが2本建っている山だ。手前右は多分妙見山(778m)その間、笠ヶ森山の右側の谷は諏訪峠で会津に抜ける道だ。 ここまで来る間、頭の中では右折して喜久田、本宮経由で阿武隈川方面へ、みちのく自転車道に入って帰宅する事を考えていた。しかしいきなり遠乗りは良く無いと考えて左折する事にした。この方向ならずうっと路程が短くなる。やがて旧岩瀬村を経て長沼へR118号の少し手前で左折して農道を東進する。
横田陣屋の桜の古木は花の季節になると多くのカメラマンが集まる所だが、その陣屋の隣にある「八満宮」、鳥居の内側に立つ杉の巨木、この神社の御神木なのだろうか、可成りな古木である。我がPOS号が小さく見える。この後は、一目散に東へと進み寄り道せずに帰宅した。
総走行距離: 41.33Km、標高差:73m、総上昇量:231m (総上昇量は、全ての登坂の合計高さ)