明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

コンテスターズ・キーヤー

2009-11-17 | アマチュア無線
 コンテストに参加する時には、大部分パソコンからのファンシクション・メッセージ出力を利用する訳だが、エレキーからの手送りメッセージと両方同時にトランシーバーに接続しなければならない。その様な場面に適切に対応出来る機能を盛り込んだエレキーを作った。

《エレキーに就いての説明は、この項の最後を参照下さい》



W100xH30xD140mm のケースに写真の姿で製作した。
主な機能J:
 PICマイコンに依るスクイズ式エレキーと、パソコンからのモールス信号をデジタルミキサーを通して出力し、トランシーバーのキージャックへ接続するインターフェースを持つ。パソコンからのメッセージ送信中にパドルを操作するとパソコン送出メッセージを一時的にブロックして手送りモールスコードを優先する。手送りを送り終わってから一定時間後にブロックを解除。
なおブロック中のパソコンからのメッセージは送出されずに終了する。



内部は至ってシンプルだ。PICエレキー部と、ロジックIC 2個、それにI/F用トランジスタとフォトカプラなどで、蛇の目基板が大き過ぎたくらいだが後日別の機能を組み込めるゆとりとして大きめに作った。電源は006P乾電池を内蔵した。



上が正面で電源スイッチと、エレキーの速度調整ツマミ、LEDのパイロット表示
下が背面で右端はパドルジャックで、プラグを抜くと電源が切れる様にした。運搬中に誤って電源スイッチが入っても電池が消耗しない様に配慮した為だ。その左のスライドスイッチは、パドルの右手操作、左手操作用の切り替え。更に左がパソコンのメッセージ信号入力、左端はトランシーバーへの出力。
出力端子は、高周波の回り込みを防ぐ目的で、フォトカプラーを通し、出力端子もケースから浮かせて直流的に絶縁した。


《 エレキーに就いての説明 》

 アマチュア無線で外国の友人や同好の人々と交信するには、マイクロフォンを通してお話する以外に、モールスコードを使って文字を送り受けする事も多く行われている。 また、相手とお互いに自己紹介をしあったり、家族や住んでいる町や季節のお話なども楽しいのだ。
 しかし、それだけでは無いのだ。 一定時間例えば24時間とか、48時間の時間を定めて、その範囲内で沢山の局とナンバー交換し、如何に沢山の局と交信するかを競う「コンテスト」と言うゲームも盛んに行われている。コンテストでは沢山のデータを短時間に処理するので無線機と共にパソコンの活用が大切な要素となる。

 モールスコードを発生される方法としては、昔から電鍵のツマミを指先で押し下げて、手首の細かな運動で符号を作り出す縦振れ電鍵を使用していた。現在も古来のこの方法を好んで楽しむマニアも居るのだが、世界の大勢はデジタル的に符号を作り出す横振れ式のマニピュレーターを使っている。



これは、私が愛用しているイタリア Vegali社製のマニピュレーターだ。
親指で短点を、人差し指で長点を発生させるのだが、短点レバーを押し続けると自動的且つ連続して短点が発生し、また長点レバーを押し続けると自動的に長点が連続して発生する様に仕組んだり、左右両方を同時に押すと短点と長点が交互に出たり、色々と巧妙な機能を持たせる電子回路と組み合わせてモールス信号を生み出し、送り出す方法が最近の主流なのだ。これらの電子回路の事をエレキーと呼んでいる。
コメント (2)
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山古志 いま         平成19年10月30日

2009-11-02 | 
友人と新潟県上越方面へ出掛けたのだが、今回は紅葉を期待して「六十里越」(R252号)を利用して出掛けた。往路(10/28)は、天気は良かったのだがモヤが掛かって折角の紅葉が見栄えせず、復路に再度六十里越をすることにした。
我が家からこの方面へのルートとしては他に磐越道やR49号線の阿賀野川沿いのルートもある。距離的にはさほどの違いは無いが、六十里越はつづら折れの峠道など、少しハードルートとなる。

柏崎から小千谷まで来た時、同行の友人との会話で彼は一度も山古志へ行った事が無いとの事であった。私は震災の前だったが一度訪れた事が有った。しかし地震のあとがどの様に成っているのか気掛かりでも有ったので少し迂回して立ち寄って見る事にした。



昔、山古志を訪れた時には、山中の急斜面に点在する古い民家のたたずまいが素晴らしかった。福島県の山里とは可成り異質の風景に雪国の生活を感じて感激した事を思い出しながら山古志地区に着いてみて驚いた。

それは、当然の成り行きなのだが、家々が都会に見掛ける様な新建材の洒落た家々が点在していて、改めて地震に依りほとんどの家が建て替えられた現実を認識させせられた。



土石流で家が埋まった木籠地区の入り口、主要路と木籠地区分岐点に埋没エリアを知らせる立て看板があった。辺りは紅葉には少し早いが秋の色濃いのどかな田舎の風景で、この看板を見なければ知らずに過ぎて終ったかも知れない。ここは丁字路で、看板の地点から左折すれば直ぐ先に木篭橋であった。



木篭橋のたもとに車を置いて橋から下流方向をみた状況だ。埋め尽くした土砂には雑草が生え、その中に自然に溶け込んで建つ一軒の家、よく見ると下半分が地面に埋もれている。
テレビなどで、生々しい映像を見ていたのだが、辺りに草木が生い茂ったいまは、ごく自然な風景に溶け込んでいる感じであった。



橋の直ぐ下にも二軒の家が埋もれて居たが、上流側には更に何軒も・・あたかも木の間隠れに見える集落のたたずまいの如く草木に見え隠れする様に建っている家々、よく見れば下半身埋没状態なのだった。二階家は今でも人が住んでいる様に自然に見える不思議な風景であった。

何年か後には、自然界に溶け込んで痕跡を留めない原野に回帰する運命なのだろう。この場に住んでいた人々は、近い場所で新しい生活を営みながら、何を想いながらその日の来るのを見つめるのだろうか・・複雑な心境を察することは難しいことだ。橋のたもとで茶を勧めながら当時の状況を説明してくれた老婆の明るさには、自然界の現実を受け入れて新しい生活に前向きに生きる姿を感じて一抹の安堵を感じながら帰路に就いた。
コメント (2)
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