久し振りに梅雨の晴れ間を知らせる天気予報を見て、所用が済んだところで、即座にカメラを持って家を飛び出した。
なんとか、日暮れに間に合って足下が暗くなる前に田子倉ダムに辿り着いた。
ダムサイトの広場に車が1台居たが、予定の撮影地点には、誰も居る筈が無い。
三脚を据え、カメラをセットして待つ事凡そ2時間、日没時間を1時間以上過ぎてやっと全天が真っ暗になり、満天の星空が眼前に広がった。
天の川も、綺麗だ。
対岸の谷の向こうは、真南で、都会的な街は無い筈だ。この先は、約40キロ先迄山岳地帯で何も無い。
40キロ先は、尾瀬の燧ヶ岳や尾瀬沼だ。その辺りには僅かに檜枝岐村があるのだが、夜空が明るくなる程に賑やかな所では無い。
なのに明るい。多分左右方向の何処かの街の明かりが上空の雲に反射して、散乱して、その明かりがこの先の雲に集まった様な明るさなのだろう。
翌朝は、早めに起きた。
田子倉ダムから落とした水を貯める只見湖には、川霧が厚く被さって、一面霧の海だ。
暫く様子を見ていたが、川霧が晴れるのは一瞬の出来事だった。
サッと幕を引く様に霧が晴れた。 その間際の移り変わりを見ながら霧中でシャッターを切った。
最も幻想的な出来事が終わると、何も無かったかの様に7月1日のブログの景色へと変身して居た。
日中発電して只見湖へ落ちた水は、夜になると余剰電力を使って一部の水が再び田子倉湖に揚水されて再利用される。
主目的は終わった。後は帰るのみだ。
軽い朝食を捕ってから、只見川を下流方向へゆっくりとドライブする事にした。
只見駅を過ぎて暫く行った所で、頭上を跨ぐJR只見線の橋に気付いた。
此処は電車が通って居ない筈だ。
土手を昇って、線路の上に上がって見た。 案の定、電車道には雑草が生えて、線路は赤く錆びている。
左から叶津川が橋の下を右に流れて只見川本流に出会う。
左に見えるのは、国道252号線だが、この直ぐ先で左に国道289号が別れる。
R289は、間も無く行き止まりだ。いつの日にか新潟県まで通じるので有ろうか、「八十里越え」は、戊辰戦争の時、越後の長岡藩の重臣が八十里超えを会津に逃れる途中、会津エリアまで辿り着きながら力尽きたと伝えられている。その叶津川が目の前を横切っている場所だ。
只見線は、只見駅から西へは、毎日2往復程度運転されている。
田子倉ダム近くでトンネルに入り、途中、一ヶ所、田子倉駅で、唯一地上に出るが、直ぐに再びトンネルに入り、新潟県側で地上に出るまで、浅草岳の山裾を長いトンネルの中を行く。国道は冬期間閉鎖となるが、トンネルのお陰で、列車は通年運転されている。
只見から東は、会津川口迄の間、平成23年7月の豪雨で鉄橋が流されて不通となり、現在に至っている。
JRでは復旧の目処が立たないとか、何時の日に再び列車が走る事に成るのか、地元の生活が掛かっているので復旧の要望は深刻さを増している。
現在は、バスに依る代替運転で通学や通勤の足を支えている模様だ。
叶津から少し東に懸かる第8橋梁、列車が通る日を待ちながら美しい姿を風雨にさらしている。
この鉄橋は、会津川口駅よりも東側、即ち現在運転されている区間に懸かっている第1橋梁だ。
霧に浮かぶ鉄橋を列車が渡る写真が人気の撮影スポットに昇ってみた。
今回は、午前の列車が通過後の時間帯だったし、3時間後にならないと午後の列車が通らないので、鉄橋だけ撮って帰る事にした。
撮り尽くされた感もあるが、何時の日にか、ベストタイミングで撮ってみたいと思いつつ、この先の会津平野を横切って帰路を走った。