明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

JAFF-048 南房総国定公園・太東崎から WFF Expedition     2011年4月12日

2011-04-23 | アマチュア無線
JAFF-047 水郷筑波国定公園を運用した翌早朝、起床と同時に和田岬をスタートして、最短距離のコース設定で次の目的地「太東崎」を目指した。
途中、成田市付近で発電機用の燃料チャージの為にGスタンドに入り、代金を払って車に戻ろうとしたら突然の余震で、スタンドのウインドウ・ガラスが大きく波打つのを目前にして恐怖を感じてしまった。大きなガラスの危うさに直面し、普段少々くらいの揺れには動じなかったのだが、流石に身の危険を感じずには居られなかった。
その後は順調に走って、だいたい予定通りの時間に太東崎に到着できた。



此処は、九十九里浜の砂浜の南端接する場所に有って、標高約60mの小山の頂上に位置している。灯台は、少し低い所に有るので地図に示された灯台は標高39mと示されているが、再建された時に現在の位置に移されたらしい。



南側の眺望は、足下に夷隅川の川口一帯が広がり、大変美しい景色が広がっていた。



北側の眺望は、山の向こうに九十九里浜が展開するこの場所は、360度の眺望で、東を見れば太平洋の水平線が弧を描いて、地球が丸い事を実感出来る素晴らしい展望台だ、その為に土日休日には頻繁に観光客が登ってくるのだが、今日は平日なのでボチボチ程度だったのでアンテナを立てたりする私にとっては有り難い状態であった。



山の頂上に当たる一番高い所に手頃な手すりが有ったので、ここにアンテナのポールを固定させていただいた。
右端のロープの位置は、通路の様に見えるが行き止まりなので滅多に人が通る事は無さそうだったが、念のために赤い布をぶら下げて不用意な事故を避ける工夫もした。



アンテナは14M用の1本に絞り、張り綱の反対側を固定したい場所に車を停めてキャリヤーに結んで全ての準備が整った。オフシーズンであった事が幸いしてこの様な身勝手が出来たのだが、地の利に感謝して運用させ頂いた。



何時も通り照明は、螺旋型蛍光灯電球1個だ。デリカのセカンドシートに座ってゆったりしたオペレーションを楽しむ事ができた。

夕方、運用して間も無くコンディションが落ちてしまい、殆ど聞こえなくなってしまったのでやむを得ずアンテナのエレメントを18M用に張り替える事にした。
既に辺りは真っ暗になっていて、街灯一つ無い場所なので頭に付けたヘッドランプの灯りを頼りにアンテナエレメントを張り替えた。その後は18MHz帯で沢山のヨーロッパ局を相手に交信できた。

交信局数
14MHz 25局 8ヶ国
18MHz 105局 24ヶ国
合計 130局



観光シーズンには、多くの観光客が訪れるのだろう、売店が店開きするらしいが、いまは閉店中だ。
店先を拝借して晩飯は、例に依ってレトルトカレーで手っ取り早く済ませるのが何時ものパターンだ。

運用が終わった夜11時過ぎに、何時も通りアンテナなど設営した全てを撤去し、後片付けと清掃をしてから、再びこの場所を借りてラーメンを作って夜食で腹ごしらえをした。
明日の朝は、我が家まで約300Kmを走る為に、起床と同時にスタートする。少しでも朝の空腹を押さえるためだ。

今時の若者は、朝飯を食わないらしいが、私は朝飯抜きでは何も出来ない。子供の時からきちんと三食喰う食習慣が身に付いて居るので緊急時以外は朝飯を抜くなど絶対にあり得ない。だから朝飯抜きでスタートするが、必ず途中のコンピにで朝食は捕るのだが、何処にコンビニがあるのか、走ってみないと分からないので空腹を避ける為の工夫をした次第だ。


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JAFF-047 水郷筑波国定公園から WFF ペディション    2011年4月10~11日

2011-04-20 | アマチュア無線
やっと寒い冬が過ぎて暖かな春がやって来た。待ちに待った今年初めてのJAFF Expeditionの活動開始の季節になったのだが、3月11日の東日本大震災で出鼻をくじかれてしまった。

その上、今年第1番目に予定していた東北方面は震災の被害が大きくて復旧・復興に関係の無い事で出向く事など地元の皆さんのご苦労を思うと当然ながら遠慮せざるを得ない。
比較的被害の少なかった内陸部は、冬期間封鎖中の道路が開通するのは4月末から5月に掛けてになる。

そこで温暖な南へ向かう事にした。
今回選んだ水郷地帯は、海岸線から或る程度内陸に入った所で、津波の被害は無かった筈だし、地震の被害は自分の住んでいる福島県内陸部と同様な状態だろうし、既に生活道路は応急的な復旧が為されて平常に戻って居だろうと言う想定の下に意を決して現地に向かうことにした。

JAFF-047 水郷筑波国定公園は、水郷地域と、筑波地域の二つのエリアから成っているが、続いて向かう南房総国定公園との地理的な繋がりから水郷地域に向かう事にした。
水郷地域は、主に霞ヶ浦など池沼の水域が公園となっていて地上がエリアに含まれる場所は限定される。今回その少ない地上エリアのなかで和田岬付近を適地として選んだ。



カーナビで和田公園を行き先にセットしたので真っ先に和田公園に到着、見事に咲いたチューリップ畑が出迎えてくれた。地元の人に聞いたところ、毎年この時期には、大きなイベントが催され、有名演歌歌手などが来て賑わうそうだ。今年は地震の影響で静かだとの話だ。何時もの年だったら私の様な目的で来たら居場所が無かったかも知れないなどと思うと、ちょっとホッとしたり、複雑な気持ちで運用地を探して岬の方を目指して探索を開始した。



和田岬、直ぐ目と鼻の先に見えた。一見のどかなレークサイドの風情に心が弾んだのは一瞬で終わりを迎えた。



探索などする程のゆとりは無かったのだ。岸辺に沿った道は、地割れが酷く、通行止めになっていた。
たまたま通りかかった工事関係の人に聞いたところ、岬の方に陥没したり、損傷の激しい所の復旧工事を行っていたが、大体終わって最後の後始末に来ていたとの事だった。



工事関係の車輌が入る事も無いとの事で、通行止めの看板の前に車を停めてアンテナは看板の内側に立てさせて戴いた。
7MHz帯用のダイポールアンテナ、14MHz, 18MHz帯用のデルタループアンテナ、21MHz帯用のヘンテナを立てた。



場所は、旧桜川村、現在の稲敷市浮島地区、和田岬で、国定公園の区域内である。



後日グーグル・アースの地図上で和田岬の正確な位置を取得、これとは別に自分が現地で運用時に取得したGPS画像との整合性を確認する目的で、WFF事務局に提出資料に添付した。



昨年までは、パジェロで有ったが、今年からデリカに変わったのでオペレーションデスクが広々ととれて楽になった。
運用結果は、
7MHz 日本国内のみ、30局
14MHz 8ヶ国、20局
18MHz 12ヶ国、45局
21MHz 13ヶ国、38局
           合計133局と交信出来た。
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魚は?  那珂湊港     4月13日

2011-04-19 | 
房総半島への旅の帰路、何処かで魚を買って帰るつもりでだった。
九十九里有料道路を下りてから、銚子へ向かおうと頭の片隅に有ったのだが、カーナビは遠回りを避けて鹿島経由でR51号を北へと向かう様に導いてくれたので銚子はパスしてしまった。

銚子が駄目でも次があると気楽に走って、次なる目的地・大洗港へ立ち寄ってみたのだが、何と全体に雑然としているし、魚やカニなどの看板を上げたお店は入り口にロープを張ったりして近寄れない状態だった。
それなら隣の那珂湊港へ向かえば良い等と気楽に那珂湊へ・・・



那珂湊港の一角に観光客目当ての魚屋さんが並んでいるのだか、一帯に一歩踏み入れて吃驚した。車で入ろうにもごった返していて、踏み入るには勇気が要る様な異様な雰囲気なのだったが、思い切って入り込んで適当な隙間に車を留めさせてもらった。



何処の店も工事屋さんばかりでごった返している。
ここは魚屋さんの領域では無く、工事現場だったのだ。



魚を買うどころでは無い、早々に退散せねば仕事の邪魔になりそうだと思いながら諦めずにトラックの間をすり抜けて進んだら、この画像の左端に一軒だけ魚のお店が開いてした。

35cm位の石鯛が2匹で1000円だと言うので、一瞬「刺身!」と頭に閃いたが、「2匹は要らねえなぁ!」1匹で良いって言ったら快く500円でレジ袋に入れてくれた。こんなの買うのは地元の人間だと思ったのだろうが、こっちは未だ3時間くらいは走らねばならないのだ。「氷り頂戴よ!」変な顔してしたのでアイスボックスは持っているからって付け足したら氷を入れてくれた。

帰宅後に、早速刺身にしたのだが、実はこのちょっと脂が強くて正直いまいちだった。しかし久しぶりの石鯛の刺身を夫婦二人で二晩たっぷり楽しんだ。
石鯛も小さいやつなら脂っ気が少なくて巧いのだが・・・・ 放射線など気にしたら旨い物は喰えない、兎も角久しぶりのご馳走だった。
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ビンテージ灰皿-3 "JOHNNYWARKER"

2011-04-09 | 自転車・サイクリング
日本に於ける1930年代のスコッチウイスキーは、大変に高価なものだったらしい。 よく親父が話してくれた事によれば、週末にはスコッチを1本もって、伊豆の熱海温泉へ、帳場の女将に「姐さん、今夜はこれで頼むよっ!」芸者を上げて楽しく呑んだり食ったり、一泊の豪遊が出来たそうだ。



ビンテージ灰皿の最後は、ご存じ"ジョニー・ウォーカー"
矢っ張りシルクハットに赤い燕尾服のこのマークが良い。如何にもスコッチ・ウイスキーらしい。ブランドマークとしてのこのキャラクターは素晴らしい出来映えだと思う。



この灰皿は、何分にも頑丈な出来で、少々雑に扱っても心配無かったので、私の若かりし頃、毎日20本の煙草は、殆どこの灰皿を使って吸っていた。



今更、ビンテージなどと言うには、少々慣れ親しみ過ぎた様な、日々の生活の一部で有った日が40年前を昨日の様に思い出させてくれる。
勿論、この灰皿も1930年代の物だ。
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ビンテージ灰皿-2 "BLACK&WHITE"

2011-04-06 | コレクション
"Black&White"もスコッチ・ウイスキーの有名ブランドだ。



この灰皿も1930年代の物で、我が家には同じ形の物が二個有ったのだが、一個は戦時疎開の時にひびが入ってしまった為に何時の間にか捨てられてしまったらしく、今は所在が分からない。




何処にも"Scotch"とか、"Whisky"などの文字が無い。"Black&White"と言えばスコッチ・ウイスキーに決まってると言う自負が敢えてこの様な表現に成っているんだろう!



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ビンテージ灰皿-1 "McNish"

2011-04-02 | コレクション

久しぶりにコレクションをご披露させて頂く事にした。
禁煙盛んなりしこの時期に、今更灰皿?
私自身、禁煙して既に40年、灰皿を今頃持ち出す気は無かったのだが、この度の震災で少し片付けをしていたら思わぬ所から出て来たので灰皿のコレクションを思い出したのだ。

自分で集めた物では無いのだが、今は私のコレクションに成っている。
父親が戦前、銀座のど真ん中で洋酒の輸入販売に関わっていた時のものだ。



多分1930年代の物だと思う。何故なら1940年代に入ると太平洋戦争に突入して行く訳だから贅沢品の洋酒は輸入できなくなった筈だからだ。
日本では知られていないが、McNishは、スコッチの老舗ブランドで、今も社名は現存している様だ。

http://www.whiskymerchants.co.uk/#/grand-macnish/4535083395

この灰皿もスコッチの拡販用の提供品だったと思われる。瀬戸物としての出来は大変良く無い。




文字に滲みが有ったり、日本の陶器と比べると稚拙さえ感じるがブランドの珍しさで楽しんで居る。



裏面にブランド表示が有るが、スコッチなのにEnglandとなっている。多分海外輸出の扱い商社らしいネームがあるのでこの会社がイングランドだったのだろう

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