明日を楽しく

釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

おふくろ97歳

2012-04-29 | その他
誰にも一人は居る母親だが、当然私にも一人いる。
宮城県に住む兄弟の家に居るのたが、ちょくちょく行くには遠すぎるためか、久しく逢ってなかった。
4月の或る日、家内と連れだって久しぶりに顔を見に出掛けてきた。

最近は、めっきり脚が弱くなって、手洗いや、風呂に入るなどの時は、助けを借りて動く生活になったらしいが、食欲は旺盛で、何でも食べるので家の者は食い物に気を遣わなくて済むと言っている。



日中は、椅子に寄り掛かりながら起きているので、夜もキチンと睡眠するそうで、すこぶる元気な様子に安堵した。


大正4年の生まれで、伊東の港、漁師町に近い処で生まれて、関東大震災の時は9歳(満8歳)だったそうだ。
伊東の町は津波で大被害を受けたそうだが、裏山に逃れて助かったそうだ。
家業が鍛冶屋だったので土台から柱など全ての箇所に羽子板など、現代の木造建築に施されている耐震金具が取り付けられて居た為に流されずに済んだそうだ。

裏山から見た津波の模様を「沢山の家がふわぁっと浮いて、くるっと引っ繰り返って、綺麗だった」と幼心に感じた話を子供の頃に聞かされた事が有った。

戦災の時は、一人東京の家に残り家財を守ったのだが、この時も落ちた焼夷弾をハエ叩きを持って追いかけた話など、大正の女性の気丈さを感じさせる話は沢山記憶にある。

今回の津波は、2階の窓から見れば見えた筈だが、前述のとおりなので、おそらく見る事は無かっただろうが、見て居れば人生で二度の大津波を目撃した事に成ったろう。

元気な姿を見て、この分で行けば、100歳まで生きそうだと、安堵しての帰宅となった。
コメント (6)
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