世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

11月21日(水)のつぶやき

2018年11月22日 | ライフスタイル

ネズミを怖がるな

2018年11月21日 | 熊本地震
一般に、ネズミといえば嫌がられる。

なのに、

ミッキーマウスは歓迎される。

それも90年もの長きにわたって。


一般に、

クマは怖がられる。

なのに、

プーさんやくまモンは愛される。


ネズミは汚い、

クマは怖いというパラノイア(固定観念、偏見)を持っている限り、

ネズミやクマをキャラクターに使おうとは気づかないだろう。



同じように、

ネットワーク(ビジネス)といえば、

その言葉を聞いただけで、

忌み嫌われる。


ネットワーク=ネズミ(講) といまだに思っているからだ。

(これこそがパラノイアなのだが)




確かに、

99%のネットワークはネズミかもしれない。


だが、そこにもミッキーマウスはいるのだ。

ウォーリー風に隠れている。


今や、

ほとんどのビジネス、

特に新興ビジネスは

何らかの形でネットワークに通じているといっても過言ではない。


なぜなら、

(インター)ネット時代だからだ。


99%の人が(インター)ネットを利用する時代なのに、

99%の人がネット(ワーク)を拒否する。

おかしなことだ。

(正しい情報をつかんでいないから)


ネットがこれほどまで普及してなかった時代(ほんの20年前)から

ネットワークはあった。

(アムウェイなど)

当時は、まさに口伝達(口コミ)のみだった。

そして、中には悪どい商法があった。


それがトラウマ化し、

いまだにそのトラップ(罠)から抜け出せないでいる人も多い。



ほんの10年ほど前、

ネットにSNSが登場し、

ネットショップが一般化し、

今や当たり前化しているのに、

いまだにネズミ(講)といって端から忌み嫌う人たちがいる。



今や、

ネットワークシステムを取り入れていないビジネスはない、

と言い切れるくらい

ネットワークは浸透してきている。


しかも、世界がだ。

ネットワークは、

今や、世界のビジネスの潮流なのだ。

なぜなら、

ネットに国境はないから。


そこに気づいてほしい。


鈍感な日本は、その分野においても取り残されつつある。


そして、それは、

ネットショッピングであり、

SNSと連動しているのだ。


そこにはまさに、ブルーオーシャンが広がっている。


ネズミの中にミッキーマウスを見つけたもの、

クマの中に、プーさんやくまモンを見つけたものだけが

ブルーオーシャンの中で悠々と生き残れるのだ。


いつまでも古いパラノイア(固定観念)に縛らている場合じゃない。


どの世界(分野)も、

急速な勢いで変化している。


仕事も、

ライフスタイルも、

勉強の仕方も、

お金に対する考え方も、

環境も

時代も

すべて

180度変わってきている。


というのに、いまだに、

いい大学、大企業を目指すことに躍起になっている人(親)が多いことに愕然とする。



おそらく、

ほとんどの人は、なんとなくその変化に気づいてはいるだろう。

なんとなく、変わらなきゃと感じているだろう。


だが、

変われないでいる人がほとんどなのが、これまた現実なのだ。

変わることが怖いのだ。

なぜなら、コンフォートゾーン(ぬるま湯)に安住しているから。

(尻に火がついてからでは遅すぎる)


だからこそ、

パラノイア(固定観念)から抜け出し、

これまでの常識を覆し、

変化(情報)を正しく読み、

行動に移したものが生き残っていいく。



3年後、

5年後世界は激変する。


現状維持は、

後退に等しい。



どう激変するかを読み、

それにどう対処(行動)するかで

あなたの未来が決まる。



3年後、5年後、

あなたは自分の姿をどのようにイメージしていますか?


そのイメージ通りになるには、

今何をしなければなりませんか?


(人生のシナリオを作ってみよう!)




【補足】


正しいネットワークビジネスの見分け方。


① 入会金がいらない。

② オートシップ(毎月の買取ノルマ)がない。

③ グローバルであること。


この三つの条件を満たしていれば、

リスク(害)なく成功へと導くものです。



何千(何万?)とあるネットワークビジネスの中で、

唯一この条件を満たすのは、

知る限り、「アトミ」だけです。



シャンプー、洗剤、歯磨き、化粧品、サプリなど、

生活必需品としての大衆商品(マステージ)を


ネットショップ(アマゾンと同じ)として取扱い、

高品質である(絶対品質)ことはもちろん、

安く(絶対価格)なければ

続きません。


とにかく、

良くて安い!


買うだけで得をする。


どうせ買うのだから、

「アトミ」で買おう!


「豊かで、自遊な生活(時間)」を手に入れたいなら、

ご連絡ください。



「柔らかい頭と、

素直な心が

成幸へと導く」 by Asay







髭とタトゥーとサングラス

2018年11月20日 | 
旅先では、髭を伸ばすことが多い。

そもそも、長年、髭男であった。

田舎暮らしだったこともあって。


髭と田舎(自然)、

髭と海外は、

どこかしっくりくる、と

勝手に考えている。



洗礼された?都会では、

どことなく胡散臭く写ってしまう。


今年になって、

両腕にタトゥーを入れた。

(ホーチミンで)


日本ではまだヤクザ視されることが多いが、

海外では、当たり前化している。

(温泉には入りにくくなったが)


サングラスを多用し、

タトゥーを入れ、

髭を蓄えるのは、

ある意味、威嚇になる、のではと感じている。




海外では日本人はナメられやすい。

吹っ掛けられたり、ボラれたりと。


なめんじゃねーよ、という一種の意思表示。

(フィリピンでは奏効した)


牽制する意味でも、

それなりに効果があるように感じる。


もちろん、

言動に於いて

毅然たる態度は不可欠だ。



【追記】

つい数日前、

マレーシアで、6才の日本人の子供が

連れ去られそうになる事件があった。
 
幸い事なきを得たが、

現地の警察も大使館も当てにはならない。


ボク自身も

4才、10才の子を連れて

世界を旅した経験を持つので

よく分かる。


マレーシアは

海外移住で人気の国。

イスラム教徒が大半で

中国系も多い。


今後、日本に於いても、

十分起こりうる。


自分や家族、愛する人は

自分が守らなければならない。







予定外行動

2018年11月19日 | 100の力
目が覚めた時、

一瞬、ここはどこだろうと思った。


そうか、

友達のマンションの部屋だ、

と思い出すまでにそう時間はかからなかった。



ここは、ボクの生家。

懐かしさがそこかしこに漂う。

結構有名な場所なのだ。

城下町。



その一角のマンションにいた。




何かうまくいかないときは、

気分転換が一番。


それには、

環境を変えることが手っ取り早い。


日常からの逸脱。

いわゆる、out of boxである。


それが、

思いもやらぬ行動であればあるほど効果的だ。


予定外、

予期せぬ行動ほどエキサイティングなことはない。


別に悪いことをしているわけではないのに、

何かしら、罪悪感、うしろめたさを感じる。


同時に、

軌道から離れた爽快感が味わえる。


それに、

こうして一宿一飯にあやかれるのも、

実にありがたいことだ。

感謝以外の何ものでもない。


もう一つは、

独り身の気楽さがそうさせてくれる。

誰に遠慮も気兼ねもいらない。


羽目を外す時の痛快感がまたたまらない。


その場、その時の流れに身を任せる、

恣意、奔放な人生。。


そしてこれもまた、旅なのだ。



















苦しみと悲しみと

2018年11月18日 | 100の力
時に、自分が小さく思える。

誰の救いにもなれない。

今まで救えなかったことがある。

それがトラウマとなって

ボクを弱気にさせる。




人の苦しみや悲しみに触れる時、

ボクも同じ気持ちにさせられる。


だが、諦めてはいない。

最後まで、最善を尽くす。


それを辞める時、

ボクは終わる。


今まで、

何を乗り越えてきたか?


これから

何を成し遂げようとしているのか?

自問自答は尽きない。




想いは、

波動となって必ず伝わる。


そう信じている。



もう一度、自分の可能性にかけよう。

この広い世界にたとえ一人でも、

ボクを必要とする人がいる限り。






11月17日(土)のつぶやき

2018年11月18日 | ライフスタイル

入院になりました❗

2018年11月17日 | 100の力
相棒二人が同時に入院になった。

人間ではなく、

PCだが。

ラップトップ、タブレット共に。


残されたのは、

スマホのみ。

原稿はもちろん、

ブログの更新もPC 主体なので、

不便きまわりない。


それでも、ブログはこうして何とかなるが、

写真もスマホよりデジカメ派なので、

取り込めない。


執筆作業はほとんどできない。

なんと退屈なことか。😂


今は使わなくなったデスクトップを引っ張り出してみたが、

キーボードが見当たらない。



これは、

暫く筆を休めなさい、というお告げなのだろう?

旅の疲れをとりなさい、と。


温泉♨にでも行こう❗








朝日を浴びて

2018年11月17日 | 自然
久しぶりに帰ると、

辺りは一面、

薄茶色の落ち葉🍂に敷き詰められていた。

歩く度に

カサッ、カサッと乾いた音をたてて

足の裏から冬が伝わって来る。


見上げると、
 
裸にされたケヤキの木の枝が

ボクを覆っている。


その先に、

置き忘れられた葉が一枚、

うなだれていた。

その瞬間、

はらりと枝を離れ、

ボクの足許に落ちた。


     (ハンモックで日向ぼっこ)


旅から帰ると......

2018年11月16日 | 
また生きて帰ってきた。

(本来、「生かされている」といったほうがふさわしい)


いつどこで死ぬか、わからない。

旅はいつも死と隣り合わせだ。


死を覚悟して旅に出ることは

以前にも書いた。


事故、事件、災害、何でもありだ。

飛行機はもちろん、

バス、バイク、タクシーにしても。

そして船も。

馬も。

暴漢に襲われることも。

(もちろん、日常生活においても起こりうることだが)


特に、深夜バスでは、

運転手の居眠りが最も懸念される。

なんせ、10時間以上も一人で運転しているのだから。


それらを切り抜けてこうして生き(生かされ)て帰ってくる。

これはそれだけでも奇跡なのだ。


そこに意味がある、と思っている。

使命を帯びているのだ、と。

(この世に生まれてきたこと自体が

何らかの使命を帯びているのだが)


その使命とは何か?


旅に意味づけするなら、

「使命探しの旅」とでもいうのだろうか。


究極の人生の目的は、

愛する人を守り、幸せにすること。


愛が親子、配偶者といった特定の人にとどまらず、

世界中に行き渡った時、

それは「博愛」となるのだろう。


たった一人の人を愛し、守り抜くことも素晴らしい愛ならば、

旅先で出会って、感銘を受けた人々に貢献することだって、

愛に違いない。


本来、愛する人と一緒に旅するのが最良だと思っている。

同じ夕陽を見て、食事を共にする。

そういう人がいればの話だが。



これからの旅を「貢献の旅」ととらえ、

残りの人生を「恩返しの人生」と意味付けている。


施しや哀れみとか、同情といったものではなく、

共感できるもの。


真摯に生きている姿は美しい。

それは心に伝わる。


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食事やマッサージが安いということは、

それに携わる人たちの人件費も安いということだ。



企業は人件費の安いところを求め

進出する。

人件費が上がれば撤退し、

また次の場所へ移っていく。






一時間、400円や600円のマッサージがあるということは、

その人の人件費は、時給100円か200円くらいなのだろうと推測がつく。


6時間ほど付き合ってくれた

サイドカー付きのバイクのドライバーは、300円だった。


8時間のボートでの湖巡りは、

船頭、ガイド二人の若者がつきっきりで、

2000円だった。

胴元(船主)が半分とるとして、

彼らは時給70円にも満たない。




一日$1以下で暮らしている人が世界には3億人いるともいわれている。

タクシーやバイクの運転手も、

一日$5~10売り上げがあれば何とかなるのかもしれない。

(ガソリン代や車のメンテも含めて)






【追記】


死ねたらどんなに楽だろうかと思う。

この世は修業の場。

まだ天に召されるには未熟だということ。


その修行をいかに楽しむかが課題である。


楽を求めると、苦しみは一層増す。

苦を受け止め、楽しみに変えて励めば

それは成就する。


「瞑想」はその手段の一つである。


英語が世界における人と人とのコミュニケーションツールであるとするならば、

瞑想」は、自分自身とのコミュニケーションツールである。





今のボクにとって、

旅は、

単なる物見遊山ではなく、

修行の場となっている。


いわゆる、

旅ではなく、もはや「行脚」である。







11月15日(木)のつぶやき

2018年11月16日 | ライフスタイル

ミャンマー16日間の旅

2018年11月15日 | 
終わってみれば、

結構タフな旅であった。


    (相乗り🚚タクシーの荷台で、カナダ人とスイス人)

のんびり優雅に過ごそうと思ったのだが。


ラストフロンティアという程、未開でもないが、

人の暮らしは貧しかった。


滞在した4ヵ所を見る限り、

治安はさほど悪くないが、

少数民族にたいする弾圧は続いているらしい。


伝統なのだろうが、

ロンジー(腰巻き)とタナカ(白粉)には違和感を覚える。


川と湖の旅は予期していなかったが、

感動的だった❗



寺院より、

人の暮らしに興味がある。




今回の旅で特徴的だったことは、

4回の国内移動に、

一度も✈を使わず、

3回が、深夜🚌、

1回は川の🚢移動だったことだ。


時間はかかるが、

移動費とホテル代の節約にはかなりなる。

🚌も🚢も充実している。


食事代は安いが、

内容は今一だった。


また訪れたい国である。











元気だから旅ができるんじゃない。旅をするから元気になるんだ。

2018年11月14日 | 
健康で体力がないと思うように旅はできない。


だが、

旅を続ければ、だんだんと健康(元気)になっていく。


なぜなら、

様々なホルモンに作用するからだ。

例えば、

ドーパミンやセロトニンといったもの。


そして、程よい緊張感。

警戒心といってもよいだろう。




一瞬の油断が命取りになることがある。

騙し騙されは日常茶飯事。


ビジネスの交渉事、

恋の駆け引き。


テストステロンが噴出する。


正確な情報収集と、

判断力が運命を左右することも。


勇気と覚悟と自信が伴わなければ

行動に移せない。

迷っている暇なんてない。




直観的判断。

そして、

適応力。


問題解決能力、

軌道修正力、等々。


問題は必ず起きる。

それにどう対処するか、

一瞬の判断が生死に係る。


常にこうした緊張状態にある。


ストレスではない。

それを心地いいと感じるか否か、だ。


病気になったらおしまい、

ケガをしたらおしまい、

だという意識が働く。


いわゆる、

「氣」が張っている状態である。


病気も元気もすべて、

この「氣」からくる。


ボクにとって、

旅はこの「氣」の源なのだ。


「氣」が抜けたら、死んだも同然。


「氣」を漲(みなぎ)らせるために

旅を続ける。



【追記】


旅先で「氣」を感じては瞑想する。



そして「氣」をチャージする。












最後の夜

2018年11月13日 | 100の力
昨夜は、事実上ミャンマー最後の夜となった。


今日、

これから三度(みたび)、夜行バスでヤンゴンへと向かう。

(12時間かかる)

そして、

明日、そのまま空港へ行く予定。


で、明日の夜行便でハノイを経由して、

帰国の予定である。


だから、日本に着くまではあと二晩あることになる。

(車中泊と、機内泊とで)


昨夜は、夕立の上がるのを待って、

また、おばさんマッサージへ出かけた。


珍しく?白人女性二人と並んで受けた。



2回目となると、

もうファミリーも同然。





ミャンマーのナイトライフは総じて暗い。

店がなくなると、一気に暗闇と化す。



舗装も真ん中だけ。

雨上がりは水たまりが多く、ぬかるんで歩きづらい。


一般的に治安はさほど悪くなさそうだが、

油断は禁物だ。


夜道を歩くには、懐中電灯が必需品となる。

スマホのライトでもいいが、

バッテリーがなくなるのが早い。


無灯火のバイクもいるので、

事故防止のためにも懐中電灯をつけて歩いた方が無難だ。


それに、

一日に一度は停電する。

まだまだインフラが整っていない。

(10年前のベトナムもそうだった)


道路もところどころ陥没してたりするので、

やはり夜道は気を付けたほうがいい。


いずれにせよ、万が一に備えて、

用意は周到に越したことはない。


(旅の用意編は、また改めて)



【追記】


出会いがあれば別れがあるように、

何事も始まりがあれば、終わりがある。


一期一会。

諸行無常。


別れは切なく、

旅の終わりはいつも寂しい。


だが、

別れは新しい出会いの始まりであるように、

終わりは、新しい始まりの幕開けなのだ。


誰と出会うのか、

何が新しく始まるのかは、

別れてみて、

あるいは終わってみなければわからない。


だから、

切なさや寂しさを乗り越えて、

夢と希望を胸に生き抜かなければならない。