世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

11月22日(土)のつぶやき

2014年11月23日 | 福祉

崖っぷち。 どうするニッポン! 
衆院総選挙12・14が運命の分かれ道!? goo.gl/aR6x3r



日本、戦争への道(シナリオ) 2015

2014年11月22日 | 国際
師走の衆院選で自民党が勝てば日本は確実に戦争への道を進むだろう。

なぜなら、2015年は非常に危険な年になるからだ。


その根拠は、歴史問題にある。

来年は日本に深くかかわる2つの歴史の記念日が控えている。

第2次世界大戦の終結70周年と、日韓国交正常化50周年である。


中国の戦略は、

アジアでの影響力を広げるため、日本を孤立させ日米同盟を弱めることにある。


そのため、中国各部局では翌年の対日戦勝70周年に向けた反日キャンペーンの足音も高鳴っている。

「今日もなお一部の人々が歴史の事実を無視し、歴史の潮流に逆行し、侵略の歴史を美化し、地域に緊張を招いている」と吹聴する。


具体的には、

70周年を機に、

靖国神社参拝や日本の“右傾化”といった歴史問題を宣伝し、日本を強くたたこうとしている。


「軍国主義」を復活させ、戦後秩序に挑戦しようとしているのは日本という言説を広めれば、

尖閣諸島問題でも中国の理解者を増やせると踏んでいる――。


もっとも中国が単独でキャンペーンを展開するだけなら、日本が深刻な窮地に追い込まれる危険はさほど大きくない。

気がかりなのは、中国の反日キャンペーンに同調したり、便乗したりする国々が出てくるかもしれないことだ。


その急先鋒は言うまでもなく韓国だ。


民主主義国であり、米国の同盟国でもある韓国が中国と組み、反日キャンペーンを進めれば、

米欧社会で一定の注目を集める可能性がある。

逆に、韓国が中国と一線を画し、同調しなければ、

中国のキャンペーンは空回りに終わる公算が大きい。


その場合の焦点は、従軍慰安婦問題だ。


「この問題が正しく解決されれば、15年の国交正常化50周年を両国民がともに祝える」

と朴おばさん(大統領)は軟化を見せる。


従軍慰安婦問題で日本に善処を迫る一方で、

国交正常化50周年を機に、日本との関係を修復したいという意向もにじませている。


これは日本政府(安倍政権)の出方一つだろう。

当然中国は韓国はに、歴史問題で共闘するよう猛烈な誘いをかけている。


朴おばさんがヒステリーを起こさず、冷静な判断ができることを願うばかりだ。


日本は、相変わらず従軍慰安婦が強制されたかどうかといった事実関係にこだわっている。

だが、米欧世論は強制性があろうがなかろうが、

従軍慰安婦は『性の奴隷の犠牲者』と受け止めている。


日本の政治家が逃げ腰の釈明を繰り返せば、安倍政権は米欧からも批判を浴び、

結局、中国の反日キャンペーンを利することになる。



さてもう一つの問題は領土問題を含めたロシア側の出方だ。


尖閣諸島や歴史問題をめぐり、中国はロシアにも再三にわたって対日共闘を要請している。


1960年代末の国境紛争を受け、中国とソ連は事実上、天敵になった。

中国はこのため、北方領土問題で日本の支持に回ってきた。

この立場はソ連が91年に崩壊し、中ロが和解した後も変わっていないという。


だが、中国はこの原則を180度転換。

中ロが手を結び、領土問題で日本に対抗する構想をプーチン大統領に申し入れた。

いまのところ、ロシアは中国の誘いには乗らず、頑として中立を保っている。

最悪なのはロシアがこの中立策をやめ、中国と一緒になって日本に圧力をかけてくる構図だ。


ロシアは、ウクライナ危機でオバマ政権と真っ向から対立し、

厳しい制裁を科されている。


米国は日本にも「ロシアにもっと厳しい制裁を科してもらいたい」との圧力を強めている。

これに対しロシア政府は日本の追加制裁に警告し、8月末に予定されていた領土問題の日ロ次官級協議を延期した。


ところが日本は米国に押され、9月にも新たな追加制裁を決めた。


そのため日ロ関係が冷え、

日本は中国、ロシアとの2正面対立に追い込まれる危険が増している。



ここでもっとも心配なのは、「歴史包囲網」である。

ロシアが中国の誘いに乗り、2015年、対日戦勝70周年を一緒に盛り上げるという展開に韓国も加わり、

中韓ロがそろって反日キャンペーンを仕掛ける可能性だ。


中ロないしは中韓ロが歴史問題で協調すれば、領土問題でも連携する公算が大きい。

領土と歴史はいわば表裏一体の関係にある。



尖閣諸島、北方領土、竹島問題について、3カ国がそれぞれの立場を支持し合うって攻め込んでくれば日本はひとたまりもないであろう。


それに加えて日本が歴史問題で自ら墓穴を掘り、

米欧諸国からも批判され孤立してしまう最悪の構図もある。


中韓露がまかり間違って3国軍事同盟でも組めば

日本はいつか来た道(軍国主義)を歩まざるを得なくなるだろう。



今度の衆院総選挙で自民党が過半数を維持すれば

その可能性はさらに強まる。


まずは、自民・公明を過半数割れに持ち込むことが先決だ。

この選択肢を日本国民が誤れば、取り返しのつかない事態を招くことは必至となろう。


日本国民の賢明なる判断を望むばかりだ。


(注)一部内容は日経新聞から引用。



【追記】


解決策はあるのか。

ある。


まず、中韓露のの同盟を組ませないことだ。

分断陽動作戦(a feint operation)を取らなければならない。


そのうえで、米国との関係を強化すること。

つまり、中国より日本が大事と思わせなければならない。


その器が日本の政党(政治家)にあるのか。

そこが一番の問題だ。


それは日本国民の良識にかかっている。






絶対に悪いことは起きない

2014年11月21日 | ライフスタイル
自分に言い聞かせている言葉がある。


「自分には絶対に悪いことは起きない」と。


世間一般に悪い、不幸と思われることでも、

無理やり良いことにしてしまう。


例えば、財布を無くした(盗られた)。

誰だってがっかりする。

お金やカードがなくなると、生活に支障をきたす。


チクショウ!

ついてない!

何でこんなことが自分に起きるんだ。

そう思って嘆き悲しむ。


あるいは無くした場所を探したり、

盗んだやつを探すだろう。


戻ってこない確率は高い。

悔やむより、その後の対策を考え即行動に移すことだ。



一般に不幸なことが起きると、

落ち込み、自暴自棄になったり絶望感に苛まれたりする。


一時的ならそれは致し方ないことだ。

だが、いつまでも尾を引くようだと、負の連鎖が起きる。


不幸が2回3回続くと、もう自分はついてないとか、

俺はダメなんだとかついついネガティブ思考に走ってしまう。

こうなると、もう世界中の不幸を背負い込んでしまったかのような錯覚に陥る。




そうならないためにはどうすればいいか。


数時間落ち込んだ後は、頭(思考)を切り替える。


起きたことすべてを受け入れる。

そしてそれが起きた意味を良い方向で汲み取る。


財布を無くしても、なんとかその場をしのぐ方法が見つかる。

次から気を付けるようになる。

大けがをしたり、命を無くしたわけではないと思う。


そうすると気が楽になる。

きっぱり諦めてしまうこともいいだろう。


そういう考えに及ぶと、

不思議なことに、助けてくれる親切な人が現れたり

財布が戻ってくることだってある。



思考は現実化するという。

悪く考えると悪い方向に引っ張られるし、

良く思うと、良くなっていく。


雨も降っていないのに、雨が降ったらどうしようとそればかりを気にする人がいる。

そうすると本当に雨が降る。


青空の下、楽しむ自分を想像すると、不思議とそうなる。


夢を叶える人の特徴は、

なりたい自分を想像できることだ。


夢が叶った自分をありありと脳裏に描ける。

それがより具体的であればあるほど現実味を帯びてくる。



まず、

自分には絶対に悪いことは起きない、と信じることだ。


ホントは、今絶体絶命の深刻な危機の中にいる。

不安が全くないといえばウソになるけど、

敢えてそう思わないようにしている。


これは良いことが起きる前兆なのだと無理にでも思うようにしている。

そうすることで負のスパイラルを味合わなくて済む。


これを「おめでた思考」と呼んでいる。

妊娠、出産の意味ではない。

ポジティブよりもっと上を行く考え方だ。

何があっても、良かった良かったという。

何事にも感謝する。


まさにおめでたい人になりきる。



稲森和夫氏は著書『成功の要諦』の中で以下のように書いている。


「災難や苦難に遭ったら、

嘆かず、腐らず、恨まず、愚痴をこぼさず、

ひたすら前向きに明るく努力を続けていく。


これから将来、よいことが起きるためにこの苦難があるのだと耐え、

与えられた苦難に感謝する。


よいことが起きれば、

驕らず、偉ぶらず、謙虚さを失わず、

自分がこんなよい機会に恵まれていいのだろうか、

自分にはもったいないことだと感謝する。

これが素晴らしい人生を生きるための絶対条件です」 と。


 
【追記】

口癖もその人の人生を左右する。


悪口雑言の毒を吐く人と

いわゆる幸せ言葉を常日頃から話す人では

人生に雲泥の差が出る。


被害妄想(persecution complex)的な人や、

思い込み(paranoia(\)の激しい人がいる。


いわゆる社会不適合者(Society incompatible person)に多く見られるタイプだ。

不適合というラベルを張られることで、その傾向はますます加速する。


社会適合困難者といったほうが少しはましかもしれない。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー―

下記のようなコラムがあったのでご紹介しよう。

トホホな人。


心から「幸せになりたい!」そう思い、願っているはずなのに、ツイていないことばかり……。

周りの友人が幸せそうに見えて、余計に自分の不幸せさを嘆いてばかり。
 

実はこれ、“不幸せスパイラル”の症状かもしれない。

幸せになれない人が言いがちな、”残念NG口グセ”をご紹介します。


■1:「すみません」を多用

人に何かをしてもらったとき、咄嗟に「すみません」を口にしていませんか? 

「すみません」は、とても便利な言葉の1つですが、多用し過ぎは注意したいもの。

相手からは、すぐに謝る人、自信がない人、または「あれ……私何か悪いことでもした?」と、

反対に相手を加害者のような扱いにしてしまうことも。

感謝の気持ちを述べるときは、

まず「ありがとうございます」と、笑顔で口にしたいですね。



■2:「私には無理……」「もう年だから」

友人とのショッピング、普段は入らないお店で、友人があなたに似合いそうな服を選んでくれました。

「私には無理……」「もう年だから、似合わないよ」なんて、自分を卑下してしまったことはありませんか?


運がよい人たちには、必ず“素直”という共通点があります。

人にもらったアドバイスを素直に吸収して、

内心無理かもしれないと思っても、そこで扉を閉ざしてしまうのはやめましょう。


「ダメならダメでよし!とりあれず、やってみよう」という、

前向きな心がカギです。

この世でたった1人の貴方なのだから、誰よりも自分自身を信じてあげることが大切ですよ。



■3:「疲れた」「めんどくさい」

NG口グセのなかでも、最強の破壊力を持つのがこちら!

人間だもの、ときには愚痴や弱音を吐くこともあります。

しかし、これが口グセなら、話は別。


「あ~疲れた」「マジめんどくさい」

お世辞にも決してよい気分がしないセリフを、毎回聞かされている周りの人達は、どんな気分になるでしょう?

うっかり口に出てしまったのなら、

「疲れた……けど、もうひと頑張りしよう」

「めんどくさい!終わったら、美味しいもの食べに行こうよ」などと、

ポジティブな会話で締めくくるようにすると、自分自身も相手も明るい気持ちになれますよね。


無意識に口にしている口グセは、

ときにあなたの印象を大きく左右することがあります。


ネガティブを好む人に幸せが寄って来ないように、

ポジティブな口グセを心がけて、運気を上昇させちゃいましょう。


ホテル考

2014年11月20日 | 
35年間ホテル業を生業としてきた。

いわゆるhotelierである。

しかも一年の半分近くを海外を中心とした旅で暮らす。

当然ホテル生活をする。



機能性にあふれたホテルが好きだ。

極力無駄を省き、それでいて必要最小限のものは揃っている。


スーツケース一つの所持品と、

ホテルに集約された生活必需品。


シンプルかつ快適な暮らしが約束されている。

こうしたライフスタイルを好む。



ホテルの経営者は旅人でなければならない。

つまり、自らが旅人として宿泊して初めてお客の気持ちになって何が必要で何が不必要かがわかる。



宿の形態は様々である。

上は5つ星ホテルからゲストハウスまで。

ユースホステルもある。


日本には旅館があり、民宿がある。

ペンションやB&Bなるものもある。


経営と国内外の旅でホテルを極めてきた。


そして久しぶりにさすがと思うホテルに泊まった。

ビジネスホテル並みの料金でありながら、

3つ星ホテル以上の機能性を持ち合わせている。


      コンパクトなデスク回り


部屋もお風呂も狭い。


        シャンプー、リンス、ボディソープもそろっている

だが、その狭さを感じさせない快適さを備えている。


アメニティもほぼ完ぺきだ。




      コーヒー、お茶も


サービスもよかった。


     チェックアウトが12時まで延長された

こうした気配りがうれしい。


      窓からはスカイツリーが


敢えてただ一つ難点を上げれば、

やはりコンセントが足りなかった。


そう、このホテルは




ひところ物議を醸した女性経営者のセンスが光る。

ハノイの日本語カフェ&日本語学校進捗状況

2014年11月19日 | 海外事業
ベトナムの首都ハノイに現在設立中の

「日本語カフェ&日本語学校」の写真がようやく入手できた。


現地にいなければなかなか情報が入手しづらい。


カフェ&スクールの名称はは”YUME(夢)”だ。




ロゴもできた。







これはおそらく2階部分の喫茶室だと思われる。

TVが見れる。

サッカーなどのスポーツ観戦もできそうだ。



ここに漫画や絵本が置かれることになるだろう。

畳があればより日本的になると思う。



3階、4階部分は日本語学校の教室なる。



各階に2教室があり、

10~15人の少人数制で授業が行われる。




カリキュラムもほぼ出来つつある。



生徒は、現時点で30名ほど集まっているらしい。

上々の出だしだ。



まだ一階部分の日本語フリートークカフェの状況がつかめていない。

スタッフの情報もまだ入ってきていない。


オープン予定日も今のところ11月24日となっている。


とにかく早く現地入りしなければ、はっきりした状況はわからない。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

12月6日からハノイに行きます。

同行者および現地合流者を募っています。


現地でボランティア日本語教師を体験してみませんか。

興味のある方はご連絡ください。


総括 東京出張

2014年11月18日 | 仕事
        クールジャパンの街頭収録が行われていた(銀座3丁目)


国内外で事業展開を進めている。


今回の東京出張で複数の具体的方向性が見えてきた。

現地で直接人に会って話をすることは、海外、国内にかかわらず必要不可欠である。

普段はネットでつながっていても、最終的にはリアルな顔合わせは外せない。


「机上より機上」 by Asay

Moving get chance.

じっとしているより動け!ということに尽きる。



そこで、今回具体的に進展した内容をまとめてみた。


① ベトナム人夫妻が、来年東京でベトナムカフェ&レストランを開くお手伝いをする。


      サイゴン名物 Banh Xeo


これは、福岡、熊本でも同時進行しているが、やる人が決まったのは東京が最初だ。


現在仕入れるベトナムコーヒーのサンプル待ちの状態である。




② ホーチミンにカフェをオープンさせたいという日本人の方のお手伝いをすることになった。

彼の訪越を待って、現地のテナントを案内する手はずをすることを約束した。


これは、NPOの現地スタッフにお願いするつもりだ。

もちろん、タイミングが合えば同行する。



③ 大手の音楽会社の担当者から、

ベトナム人女性の新人歌手の発掘の話をいただいた。


これはかねてよりボクも手掛けていた懸案なので、

さっそくハノイの友人(ベトナム人男性)に依頼した。

彼はアーティストやマスコミ関係に顔が広い。


この企画は、クールジャパン構想との兼ね合いもある。



その他、

日本語教師の以来、

TVショッピング、ネットビジネス関係の懸案もいただいた。



このように、多くの方が海外進出、ベトナム進出に興味を持っておられることを強く実感した。


「フリートーク東京」も必ず実現させたい懸案である。

ビジネスチャンスは無限にある。


あとは、本人がどこまでやる気があるかの問題だ。

中途半端な気持ちでは何事も実現できない。


ガンバレ! ニッポン!! 

東京進出の足がかり

2014年11月17日 | 仕事
          空いた時間に銀ブラを楽しむ筆者


予定通り2件のスケデュールをこなした。


一件目は、

3人の方と銀座で会った。



一人は名古屋から駆けつけてくださった女性。

一人は、千葉在住の男性。

そしてもう一方は東京である大手の音楽会社にお勤めの男性。


共通点が何もなさそうな3人の方。

だが、ベトナムに進出したいということでは一致していた。

そして三人三様の夢を熱く語ってくださった。

ベトナム熱をひしひしと感じる。


こういう方たちと東京でお目にかかれるとは実に光栄である。

これからまた面白い展開が期待できそうだ。




夕方からは池袋に移動。

そこでベトナム人夫婦と合流。


奥さんとはハノイ以来の再会だが、

ご主人とは初対面。


3人で新宿に出てベトナム料理の店へ。



そこは意外にも(?)たくさんのお客さんでにぎわっていた。

そして働いている人たちは全員がベトナム人だ。

時折ベトナム語が飛び交う。


ここで予想外な展開を見せる。


彼らは来年ベトナム料理の店を東京で開きたいという。

ご主人のほうはシェフとして現在修業中だ。


奥さんとは一年ほど前にハノイで会って就職の世話をしたことがある人。

2か月ほど前からご夫婦で仲睦まじく東京に暮らしている。




彼らをバックアップすれば、東京に念願のベトナムの店を開くことができる。

そして彼らに幸せになってもらうことができるだろう。


日本でもベトナムブームを巻き起こそう。

また別の夢が大きく現実味を帯びてきた瞬間だった。


彼らの健闘と幸せを祈りながら別れた。

過去より未来の夢を語ろう

2014年11月16日 | ライフスタイル
昨日は大学のOB総会(咲耶会)が東京で行われた。


     会場となった神保町にある学士会館の中。


     7大学の展示コーナー

単なる同窓会と違って、全国に散らばる各支部の代表が集まっての大きな集会だった。


      談話室だだれでも利用ができる落ち着いた空間である


大正10年(1921年)創立の大阪外国語大学は、

日本に二つしかない国立の外国語学校の一つだったが(もう一つは東京外国語大学)、

大学統合の波を受けて、2007年に大阪大学に統合され、

新たに外国語学部として存在し続けている。



大阪外国語大学の創設は、

当時の大阪の実業家・林蝶子女史が「大阪に国際人を育てる学校を」という厚い篤志の下、

私財100万円を政府に寄附し設立に至った。


規模は違うが、「熊本に国際人を育てる」というフリートークの理念と一致する。


1944年に大阪外国語学校蒙古語(モンゴル語)部を卒業した司馬遼太郎が、

「花神」の冒頭で次のような一文を書いているのは興味深い。


「『適塾』という、むかし大坂の北船場にあった蘭医学の私塾が、

因縁からいえば国立大阪大学の前身ということになっている。

宗教にとって教祖が必要であるように、

私学にとってもすぐれた校祖があるほうがのぞましいという説があるが、

その点で、大阪大学は政府がつくった大学ながら、

私学だけがもちうる校祖をもっているという、いわば奇妙な因縁をせおっている」




ところで、ボクはいわゆる同窓会というものには出たことがない。

ホテル業という仕事柄そのチャンスに恵まれなかったことも理由の一つだが、

大抵は過去の昔話と病気の話に花が咲く会合はどうも嫌なのだ。


これからの未来の夢を語るものは少ない。


同世代より、若者と接するほうが心も明るくなる。

死ぬまでチャレンジャーでいたいから。

Be challenger until die.



さて、久しぶりの東京である。


昨夜は浅草の夜を堪能した。


     浅草寺は夜も賑やか


     ここから見るスカイツリーも乙なもの


今日の午後は銀座で待ち合わせ、

そして夜は池袋界隈で待ち合わせ。


新たなページを開くべく、チャレンジは続く。