世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

東京で一仕事

2014年11月15日 | 
大学の支部長会議が開かれる。

大学は大阪なのに、全国から集まるので場所は東京。


ついでに、ベトナム関係の人たちと会う予定。

東京にもカフェを開く足ががりができるか。


もう一つの目的は、東京に住む娘との再会。

東京ディズニーランドで踊っている。

だがこれが一番難しい。


理由はまた今度。


では、行ってきマ~ス。

命の危険を感じた

2014年11月14日 | ライフスタイル
打たれ続けている。

叩かれている。


いわれのない誹謗中傷を受けている。

命の危険さえ感じる。


スルーしよう。

だが、あからさまに拒絶すると余計に反発されるので、

一旦受け止めてあげよう。


つまり、受け流すことが必要だ。


全く会ったこともなない人が言いがかりを付けてくる。


最近は憂さ晴らしに見知らぬ人を殺傷する事件が起きやすい環境にある。

ここでもコミュニケーションの欠如から短絡的に暴力に訴えるケースに発展しがちだ。


その根底には、思い込み(パラノイア)があるようだ。

被害妄想に陥る。

勝手に自分が話題にされていると思い込む。


対岸の火事ならまだしも、

降りかかる火の子は払わなければならない。

目の前のハエみたいなものだ。



このブログは、本音で語ることをモットーとしている。

だから、グサッとくる人もいるだろう。


ストレートな言い方は外国人受けするが、

はっきりものをいう人には日本では風当たりが強い。


物言えば唇寒し秋(冬)の風(Silence is golden)がまかり通る。

だがグローバル時代にはそぐわない。


だが、日本文化のいいところはいっぱいある。

ここでも合気道の精神が生きる。


敵をして敵なからしむ。

否、敵そのものを無くす、と。


なぜ生かされているのか

2014年11月13日 | 人生
親しい人のご主人が今朝方亡くなった。

まだ50代だと思う。

奥様もまだ若い。


少し前にも同じことが起きた。

小さな子供たちを残してご主人が先立たれた。

かける言葉もはばかられる。


どうしてこういうことが起きるのだろうか。

天に向かって問うてみる。


答えは返ってこない。



半面、

ではなぜボクはまだ生きながらえているのだろうか。

こんな役立たずがどうしてまだ生かされているのか。


そういう疑問がふつふつと湧いてくる。


いずれにせよ残り少ない人生をどう捧げるか。

感謝しつつ、あらためて深く考えさせられる。


生を受け、生かされている恩をお返ししなければ。

ある障がい者の期待と失望

2014年11月12日 | 人間関係
ここ一年近く、ある障がい者の人と行動を共にすることが多い。

彼は立派な大人だ。


彼は信奉する人には素直だが、

一度その信頼関係が崩れると手のひらを返したように凶暴性を発揮する。


頼っていた心理カウンセラーから、気に入らないことを言われると、

もうその人のことをボロクソ言い出す。

つい先ほどまでは、あんないい先生はいないと言っていたのに。


そしてその矛先はボクに向かいだした。

ふたこと目には、あなたは間違っている、と。


きっかけはギャンブルだった。

パチンコをやりだしてから、堰を切ったかのように悪口雑言が彼の口から飛び出してくるようになった。

潜んでいた悪魔が姿を現したかのように。


もともと彼は、ギャンブル依存症とアルコール依存症を患っていた。

だが、幸いギャンブル依存症からは脱却し、

アルコールもだいぶ控えるようになっていた。


だが、突然その両依存症が復活してしまったのだ。




彼にはそもそも親への怨念があった。

親を殺そうと思ったことも一度や二度ではないらしい。

そう言いながら、困った時には親もとへ逃げ込む。


他人に頼り、自分の期待のそぐわなければ信頼から恨みに変わる。

そしてすべてを人のせいにする。

自分は障がい者だから仕方がないと責任を転化し開き直る。


だが、彼がボクを拒絶しようが、彼を見捨てることはできない。




発達障害に限って言えば、

現代人は10人に一人が障がい者といっていい状態になりつつある。

総じてコミュニケーションが下手である。

ほとんどのストレスは人間関係に端を発する。


忘れ物が多かったり、時間を守らなかったり、片付けが下手、

ミスが多い、自分かって、人の話を聞かない、すぐキレるなどなど、


天然キャラで笑って済ませるほどならいいが、

変わり者、KYなどと煙たがられ、浮いた存在になると

問題児、ダメ人間のレッテルを張られかねない。


そして職場や社会にいずらくなって居場所を失っていく。


そうしたつまずきから鬱状態に陥り、メンタルクリニックで発達障害と診断される。


障がい者手帳を持とうが持つまいが、

あなたの周りにも思い当たる人は必ずいるはずだ。


以前にも書いたが、ボク自身がそう思い当たる節があるのだから。

たぶん病院に行けば発達障害と診断されても不思議ではない。





そもそも、日本に限らず現代の仕組みが障がい者を生みやすい環境にある。

それも、身体障害でなくメンタル疾患が圧倒的に増えている。

しかも大人になってから発覚する。


カリフォルニアのシリコンバレーで働くエンジニアの約25%がアスペルガー症候群の傾向があるといわれる。

それゆえ、シリコンバレー症候群と呼ばれたりもするそうだ。

何とも恐ろしい世の中になったものだ。


(to be continued)

ベトナム語を学ぼう

2014年11月11日 | 国際
今やバイリンガルを超えてトリプル・リンガルあるいはマルチ・リンガルが当たり前の時代。

日本人は第二外国語として英語以外に何を勉強するべきか。


中国語、韓国語はもう古い。

これからは、ベトナム語が主流となる。


何故か。

答えは単純である。

ベトナム人が増えるからだ。

そして日本人とベトナム人の交流が盛んになる。


どうしてそういえるのか。

それは、

ボクがそうするから。


というわけで、

ベトナム語講座を再開します。


かわいいベトナム人の女の子が教えてくれますよ。

23日、日曜日午後から開始です。


一時間1,500円(コーヒー付)です。

場所はフリートークです。



英語もままならないのにという方、心配はいりません。

ベトナム語はアルファベットが基本です。

そしてなにより、外国語を学ぼうという姿勢が英語力のみならずあらゆる能力を上げてくれます。



以下はそのことについて述べています。


多言語を勉強することで「脳力」が鍛えられ、認知症防止にもつながると判明している。

(以下はそのコラムから一部抜粋)


言語そのものに加えてその背景にある考え方にも目を向けることが重要であり、

母国語の枠を超えた文化レベルの理解が大事であると言われている。


近年の研究結果からは、

多言語を勉強する行動にはそのような理解の深まりに加えて、

思考能力などの「脳力」の向上や老化に伴う脳の機能低下を抑制する効果があることも分かっている。



他の言語を操るということは、

異なった枠組み、比喩方法を学ぶことであり、その言語の文化そのものを学ぶということになるからだ。


多言語をあやつる子どもは

算数、読解、語彙力のテストでよい成績を残す傾向にある。

また、恐らくは言葉の文法を理解するプロセスの中で鍛えられたためか、

一覧や配列の記憶能力が高いこと、

そして不必要な情報を振り分けて本当に必要な情報だけを抜き出す能力に優れる傾向がある。



多言語話者は決断能力に優れていることや、

条件づけやフレーミング技術による思考の誘導への耐性が高いこと、

そして現金とクレジットカードのお金をきちんと認識して上手に使う能力に優れていることがわかってきている。


このような現象がみられる原因としては、

一説によると、自分の母国語とは異なる言語を話すことである種の「心理的距離感」が生まれ、

感情に左右されにくい論理的な思考能力が発達するからである。、



他言語習得によるメリットはこれにとどまらない。


母国語以外の第二言語を勉強している人は、

例えそれが成人以降に学び始めたものであっても、

年老いた時に起こる認知能力の低下が少ないという統計結果が出ていたり、

認知症やアルツハイマー病の発生を4年半遅らせる効果がある。

(スコットランド・エディンバラ大学のトーマス・バック博士の研究による)



また、彼は、

認知能力低下を防止する効果は教育レベルの高さや知識力よりも、

第二言語を学んでいるという事実のほうが影響を及ぼしていることを明らかにしており、

「認知力の低下を遅らせるのは高い記憶力ではなく、

言葉の細部に注意を向ける能力によるものです」と語っている。


さらに、多言語話者は特定のシーンを見つけたりリストから特定の名前を見つけるような「視覚タスク」に優れること、

そしてマルチタスク作業に秀でている傾向があり、

これは他言語を学ぶ時に母国語との間をメンタル的に行ったり来たりすることで養われた能力であると考えられている。



これらのように、

母国語以外の言語を学ぶことには脳の能力を高めて老化をも抑える効果が見られることがわかっている。


なお、効果を期待するためには必ずしも多言語をマスターするレベルに達する必要はなく、

「外国語を勉強しよう」という気持ちを持ち、理解しようと努力を行うことが脳によい影響を与えるといわれる。

受け身の姿勢からは何も生まれない

2014年11月10日 | ライフスタイル
人の夢を実現するお手伝いをしている。

人の夢を実現させることがボクの夢につながる。

だから本人の自主性に任せている。


従業員ではないので、あーしろこーしろという命令は一切しない。

アドバイスに留める。


だが、この自主性というものがなかなか難しい。

そもそも日本の教育が自主性を育てない仕組みになっている。

まったく受け身の内容なのだ。

だから日本人は受け身の姿勢が強くなる。

何をやるにもスマホやケータイの待ち受け画面のように突っ立って待っている。


では、自主性とはどういうことか。


受け身の反対語は、働きかけとあった。

そう、自主性とは自ら働きかけることだ。

自らが動くことだ。

動かずして、待っているだけで何が起きようか。


人の夢を実現させるにあたって、

ボクも動くが、やはり本人に動いてもらわなければどうにもならない。

主体はその人であって、ボクではない。

ボクはあくまで黒子に徹する。



さて、仕事でも英語でも「デキる人」というのは

どんなことであっても「率先して」 自分から行動出来る人である。


一方、なかなか結果を出せない人というのは、

どうしても「受け身」になりがちだ。


例えば会社でも、言われたことならきちんとこなせるけれど、

それ以上のことを自分から率先してやろうとしない。


これは英語の学習にも言えることで、

「これをやりなさい」と言われたことはやるけれど、

それ以外のことはしない(もしくは出来ない)。

これではいつまでたってもしゃべれるようにはならない。



何事も自分から率先して自分がやるべきことを見つけ、proactive に動かなければ、

誰もあなたのお尻を叩いてはくれないのだ。


自分でやるべきことを見つけ、それを自主的にこなす。

そして外へ向かって働きかける。


働きかけるととは、人を動かすように仕掛けることを意味する。


余談になるが、合気道にも働きかけというものがある。


合気道は「消極的護身」ではなく「積極的働きかけ」であるともいわれる。

相手への「働きかけ」で「攻める想い」を静める(鎮める)。

「撃って攻めてくる」という考え(気持ち)を敵意のない「働きかけ」で鎮める。


静めた(鎮めた)ところには静寂が残る。

静寂なところには穏やかな考えや気持ちが芽生える。


これこそが合気道の極意なのだ。


愛気とは、優しさであり、労わりである。

すなわち、究極の愛なのだ。





日本の未来図

2014年11月09日 | 国際
日本には素晴らしい未来がある。

どういう未来か。


日本人は、世界で最強、最善の民族である。

まず、その誇りと自信を取り戻すことだ。


だが、奢ってはいけない。

悲しいかな、現実的には奢りばかりが先行しているきらいが見受けられる。


誇りと自信を抱いたうえで、謙虚で素直にならなければならない。


何故か。

日本は移民社会になるからだ。

そしてその移民の多くは東南アジアからやって来る。


2050年、日本には約40%の外国人が住んでいるだろう。

道州制となり、特に九州は多くの東南アジア人で占められることになる。



その根拠は、現状を見れば想像がつく。

現在日本で働く外国人の数は約72万人と5年で1.5倍に増え、

ここのところの人手不足で最近はさらに加速している。


特に建設業は、

仕事があっても人材の確保ができずに倒産するケースまであるというから、

外国人労働者の確保は死活問題だ。




だがここに大きな問題が発生している。

その最大の原因は、日本人の奢りだ。


つまり、見下すのだ。

そして、安い労働力の確保に主体を置き、奴隷のようにこき使う。


日本は労働力人口が減っていき、

いろんな分野で外国人に助けてもらわないとやっていけない。

それは動かしがたい事実なのだ。


今や優秀な外国人労働者に対しては争奪戦が起きている。


奢りは劣等感の裏返しでしかない。


国の政策がどうあれ、

すでにビジネスの現場では「アジア人労働者なしに企業活動は動かない」という判断が下されている。





これから日本が生き残るためには、

日本人の外国人に対する上から目線の意識を変え、

自分たちの未来を一緒に担ってくれるパートナーだという意識を持って、

働きやすく暮らしやすい国づくりを進めて行くしかない。


多様な人種・文化の人たちと共に生きていくのだという認識を持つことが必要不可欠だ。



【追記】


「現状をしっかりと認識し、過去の歴史に学び、未来を予測する」 by Asay



攘夷論者がいる。

攘夷論は、

江戸時代後葉の日本において、西洋諸国の接近に対応して海防論の一環として生まれ展開した排外思想である

英語では、antiforeign sentiment とか exclusionism という。


移民反対論者は、

犯罪が増える、日本人の仕事が奪われるという。


江戸末期は、キリスト教の排斥とともに、一種の文化侵略に対する危機感がはびこっていた。

だが、結果はどうだ。

歴史が証明している。

いつの時代も改革に対する反対者はいる。


日本は今、第二の開国を迫られている。



【追記2】


犯罪に関しては、上記の見下しを改善すればかなり防げるだろう。


日本人の仕事が奪われるという論理に至っては、言語道断だ。

日本は今空前の人手不足なのだ。


なのに失業率は4%前後となっている。

アメリカやイギリスの7%台と比べればまだ低い。

ちなみにギリシャやスペインは20%台だ。


いずれにせよ、なぜ多くの失業者がいる一方で“人手不足”の市場があるのか。

それは仕事を選り好みするからだ。


3大人手不足業界は次の通り。

(1)外食サービス&宿泊業

(2)医療&介護

(3)農業


そして今、関東を中心に建設業界にもその波が押し寄せている。


それぞれにその原因があることは言うまでもない。


日本の移民政策においても

医療&介護は高度な資格がいるし、

サービス業においては認められていない。


勢い、実習生は農業や建設業界に流れる。

そこで、搾取が行われているといっても過言ではないだろう。







【追記3】


日本側だけの問題ではない。

東南アジアからの送り出し機関の問題も多い。


日本語や技術が十分でない人でも無理やり送り出そうとしている。

もちろん、きっちりした訓練をやっているところもある。


実習期間の間はまだ過酷な労働と労働条件に耐えれば仕送りもできるが、

その後の仕事の保証がない。


これでは、途中で逃げ出して不法滞在者が増えるばかりだ。



今からの双方の課題ははっきりしている。

それを改善していけば、日本のみならずアジアの発展は築けるはずである。



ボク自身も微力ながらその解決に取り組んでいる。

次はその取り組みについて具体的に述べることにしよう。



【補足】

ちなみに、

日本にいるミャンマーからの労働者は現在250人。

ところが韓国では国をあげて毎年ミャンマー人を労働者として迎え入れており、

すでに1万人に達する。


給料やルールが保障されており、

技能実習生として滞在期間も10年と日本より長い。

ミャンマーの若者たちも「韓国で働きたい」という人が多く、韓流ブームも起きているという。


東京都内のコンビニバイトは、中国人留学生から「仕事が大変。給料も安い」と敬遠されている。

いまやベトナム、ネパールなどの留学生がほとんどで、

中国人留学生は時給1000円以上でないと見向きもしないという。

日本に未来を感じないのはなぜ?

2014年11月08日 | 生活
日本人として日本に生まれたからには日本を愛し誇りに思っている。

だが、どう贔屓目に見ても、これからの日本の将来に希望が見い出せないでいる。


社会的弱者の代表は、高齢者と障がい者だ。

自らが高齢者で、今障がい者の男性と同居している。


だからそれなりに弱者の立場がよくわかる。

この国の矛盾したシステムが良く見える。


それを支える国民が、将来的に激減することも明らかだ。


唯一救済策があるとすれば、それは外国人労働者、または移民をふやすことしかない。

しかし、現行の政策では問題が多すぎ、限界がある。


労働者だけではなく外国人観光客・短期定住客の受入を積極的に進める必要がある。



人口動向が経済に影響を及ぼすことは計り知れない。


人口の推移を見てみよう。



2045年(30年後)には日本の人口は一億人を割り込む。

安倍政権はどうしても一億人はキープした模様だが。


だが、同じころ65歳以上の人口は4,000万人近くに達し

つまり、日本人の約40%が高齢者となる。




一方、20代、30代の人口は2,000万人を割り込む。

15歳未満に至っては1,000万人ほどになる。




こうして2050年(35年後)の人口構成はこうなる。




何とも末恐ろしい数字ではないか。


さて、あなたはどうする。

ボクはこの世にはいないけど。