世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

愛燦々(sunsun)

2014年11月26日 | ライフスタイル
今回の解散総選挙においてはいろんな形で物議を醸している。


ボクも誤解を恐れずこのブログ上で意見を述べた。

そしたらやっぱり誤解された。


ボクが言いたかったのは

正義(平和)のための戦争はありえない、ということに尽きる。


心から平和を望むなら争ってはいけない。

人を傷つけてはいけない。

ましてや殺すことなど言語道断である。



時に世論は歪曲された方向に進むことがある。



何を言わんとするかの内容の是非を問うべきなのに

いつの間にかその手段という表面上の是非を問うことにすり替えられていく。


根本的真意は正しくても手段を間違えば叩かれるのは世の常だ。

そして、往々にして世間の注目はその手段にだけ向けられる。


これは議論のすり替えでしかない。


間違えは誰しもある。

人を殺したとかいう取り返しのつかないことならまだしも、

間違った手段なら、謝罪したうえで正せばいいだけのことだ。


手段を間違ったために、真意まで否定されるいわれはない。


そこは行為に及んだ者の信念に委ねられるだろう。


発信すれば多かれ少なかれ何らかの形で叩かれるのは覚悟の上だ。

なぜなら人の考えはそれぞれなのだから。


それを暴力で封じ込めようとするところに争いが起きる。

言論の争いなら大いにするべきだ。

暴力に訴えることほど愚かなことはない。



愛を説けば偽善として扱われる。

愛が素直に受け入れられた例(ためし)はない。


それでも愛を貫く勇気があるやなしや。


幸か不幸かボクは打たれ強い質(たち)だ。

打たれて伸びる性格なのだ。


だがそんな人ばかりではない。

そうして有能な才能の持ち主や

夢を持った人々ががつぶされていくのを見るのは忍びない。

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