世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

海から山へ、そして・・・ スイッチライフの終焉

2017年07月22日 | 100の力
基本的に今は山の生活になっている。

一昨日までは海辺にいた。

そして今日は街へ。


こうした転々縷々とした移動の暮らしが性に合っている。


「スイッチライフ」を目指して、

これまで少なくとも世界に6か所拠点(ねぐら)を作ろうと邁進してきた。


海外、日本、海、山、街、田舎の6ッか所。

海を除く5か所に基地を築くことができた。


だが、

未完成のまま「スイッチライフ」の理念を手放したとき、

皮肉にも海にもねぐらができた。


だが、ある意味もうどうでもよくなった。

といっても、

けっして投げやりになったのではない。

物や形あるものへの拘りの無意味さを知ったから。


もう、決まった拠点がなくてもやっていけるようになったのだ

むしろ、

世界のいたるところ、

今いるところがねぐらになった。


「終の棲家」という言い方があるが、

ボクに問ては、世界のどこでもが「終の棲家」になりうる。


どこで野たれ死んでもいい。


ただ、

こんなボクを気遣い、心配してくれ、愛してくれる人がいる。

だけど、

その愛のすべてに応えられない自分がもどかしい。


ボクには

ある種の才能と人間的欠陥が同居している。

そしてそれはいつか破滅へと向かわせる危険性を内包している。


たぶんその子供じみた危うさがボクの魅力なのだろうが。




いつものように、

一つの旅が終わると放心状態。

そして、次の旅が始まる。


行きたいところ、

行くべきところは限りがない。


例え寿命が200年あろうが、

永遠に生きようが旅に終わりはない。


出来るうちに

やりたいことをやり尽くす。


先延ばしなんかしている暇はない。


無計画という計画性。

どうせ計画したって、

計画通りに行くことはないのだから。

(決して自暴自棄になっているわけでもない)


それより、

その場その場でやりきること。

臨機応変に適切な対応をして切り抜けていくこと。


こうしたスリルと興奮がボクを駆り立てる。


それは死ぬ覚悟ができているから。

「地上の旅」から「天空の旅」へも厭わない。


行きたいところには

死を賭していく。


それは、「悟りの境地」と言うより、

むしろ「諦観の狂気」といったほうがふさわしいかもしれない。

7月21日(金)のつぶやき

2017年07月22日 | ライフスタイル