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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

難民救済 Rescue refugee

2015年09月05日 | 100の力
一枚の写真が世界を動かす時がある。


       トルコの海岸に漂着したシリア難民の男児の遺体


世界が難民問題で揺れている。

そんな中、日本はといえば……。



同盟国がやられているのを見て見ぬ振りするのか。

という意見が集団的自衛権賛成派の主な理由の一つだ。

あたかも人道的理由で泣き落としにかかろうというのか。


ならば、今ヨーロッパで起きている難民の問題を

日本は見て見ぬふりしているのをどうとらえるのか。


    ブタペスト(ハンガリー)の駅で強制的に下ろされる難民





    ハンガリーから歩いてドイツへ向かう難民





日本人は誰一人、シリアからの難民を受け入れようとは叫ばないのか。


日本は島国であり、純潔な民族である。

遠く中央アジア、ヨーロッパの出来事にはニュースも取り上げ方が少ない。

同じアジアのバングラデシュやミャンマーのボートピープルもほとんど取り上げられない。

何百人という人が死んでいるのに。



ボートピープルといえば、70年代のベトナム戦争後のそれが記憶に古くて新しい。


アメリカやカナダ、オーストラリアが100万人以上の受け入れをしているにもかかわらず、

日本はわずか1万人である。

フランスは10万、イギリスやドイツさえも2万人を受け入れているというのに。


いたずらに戦争を仕掛けて反感を買うより、

こうした難民の受け入れを進めたほうがむしろ積極的平和主義にふさわしいのではないだろうか。


それに、

移民、難民の受け入れが日本を救う大きな要因になることは間違いなのだから。


マイナス要因ばかりを上げへつらうのではなく、

日本人はもう少し太っ腹でありたいものだ。



【追記】


CNNのニュースを見ていると、

Refugee(難民)という言葉が頻繁に出てくる。


世界の関心の大きさを感じる。

そして、その映像を見るたびに悲しくなる。


そしてその度に思う。

今、自分にできることは何だろう、って。


直接彼らに手を差し伸べられなくても、

いま日本にいる外国人の方々の力になることはできる。

いろんな形で。


一人一人がそのような気持ちを持ち、行動に移せば必ず世界平和は実現できる。