世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

もうひとつの KY

2008年11月16日 | 社会
どうも、困ったものだ。

教養もなければ、当然、品格もない。

国内に留まらず、世界で「金」だけでなく、「恥」まで無節操なばら撒きをやらかせている。

ミゾユウ(未曾有)の歴史的愚策をものともしない、無感覚、無感性。

いまや、日本の恥部。


自由市場主義か、規制強化か?

「まあ、真ん中当たりがいいんじゃないでしょうか」

オイ、オイ、街中の声じゃないんだから。


「地方分権」 の意味さえ、理解していない。

まさに、「痴呆分散」 状態だ。


スタンドプレイのみによるムード任せの刹那主義、とでもいうべきか、大揺れ、大振れが続く。

マグにチュード8クラスへの備えが急務だ。



取り巻きも悪い。迷参謀はいても、名参謀がいない。

ここでいう、もう一つの KY とは、 

「経済読めない」 の意。

財務大臣と経済産業大臣がアレだから、仕方ないといえば、仕方がない。

法科上がりの、似非(えせ)お坊ちゃま達には、到底下々の苦しみは理解しきれないだろう。

だからといって、竹中平蔵や堺屋太一がいい、というわけではないが。



今、日本が必要とする人材は、法学者でも、経済学者でもない。

むしろ、思想家であり、哲学者だろう。


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快楽主義者の異名を取るエピクロスさえ、

「水とパンがあれば、余計なものはないほうがより快適な人生が送れる」

といった。

彼は、単なる悦楽を説いたのではない。

原子論をに感覚論にまで昇華させた唯物論者として、「苦痛のない状態」 を言おうとしたのだ。


それが、ストア派により、「抑圧されない耽溺や享楽を正当化した欲望の奴隷」と位置づけられ、挙句 「快楽主義者」に祭り上げられてしまった。


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ボクは、酒池肉林をこよなく謳歌する、自他共に認める所謂エピキュリアンである。

ただ、ボクの場合、KY とは、

「気持ち読めない」 である。

特に、女の気持ちは・・・いつまでたっても読めな~い、のである。



またまた、蛇足。


早く、KY になってクレー!!

この場合、「景気良くなれー!」 の意。