カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

困っちゃう小町ちゃん。

2011-05-08 23:04:53 | 京都徘徊記
GWうろうろ日誌。4月29日の続きぃ~♪

ご存知、小野小町。楊貴妃、クレオパトラと並んで世界三大美女と言われる平安前期9世紀頃(生没年不詳)の女流歌人。六歌仙・三十六歌仙の1人である。
小倉百人一首の「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」の作者として知られてます。

絶世の美女と言うわりには、百人一首のカルタの絵では顔を見せてないのですよね。後ろ姿だけ・・・何でだろ?(^_^ゞ
今でも「何とか小町」と言えば美女を指し、小野小町からきていますが、この「小町」と言うのは本名ではありません。この時代「町」と言えば宮中仕え更衣であるとされ、姉が小野町として勤めてたので、妹だった彼女には「小」を付けて小野小町と呼ばれたという説があります。








ここには小野小町が暮らした屋敷があったとされ、朝夕化粧に使ったという「化粧の井戸」も残っていたりします。ただの水溜りやったけど・・・

この小町ちゃん、容姿端麗で和歌に優れた才能を発揮した実在の人物だというのは分かっているのですが、伝説・謎の多い女性でもあります。
生誕地についても秋田県湯沢市小野、福井県越前市、福島県小野町ほかにも新潟県、滋賀県、鹿児島県までも・・・幾つあることやら。一番その気になってるのは秋田かな「あきたこまち」のブランド米や新幹線に「こまち」ってネーミングしたり。
東北地方に伝わるものはおそらく『古今和歌集』の歌人目録中の「出羽郡司娘」によると思われますが、この伝説の信憑性は薄いとも言われています。
墓所もしかり、全国に点在。宮城県から山口県に至るまで小町寺や小町塚が十ヵ所以上はあるんじゃないかな。とにかくミステリアスな存在です。




小野小町の伝説で最も有名なのが「深草少将の百夜通い」伝説。
室町時代に世阿弥ら能作者が創作した謡曲なんだけど、その内容は
小野小町に恋をし、熱心に求愛をした深草少将という貴公子あり。しかし小町は冷たく「百夜通ったら想いを遂げさせてあげましょう」と言います。
それ以来少将は毎夜、伏見区深草の欣浄寺から約5kmの山科区小野、随心院の小町の元に通い、その証拠にと榧(かや)の実をひとつずつ置いていきます。
しかし九十九日目の大雪の降る夜、少将は最後の榧の実を持ったまま力つきて倒れ、死んでしまうという物語り。



それを証明するように、深草少将が置いていった榧の実が随心院に残されていたりします。





随心院の裏には「史跡 小町庭苑」なる雑木林があり
深草少将をはじめ、小町を慕うあまたの男性から寄せられたラブレターを埋めたとされる「文塚」があり、訪れる人も多いとか・・・



庭園跡には榧(かや)の木の巨木もありました。欣浄寺にも「少将の通い道」があったり、少将と小町の塚があるそうです。深草少将って架空の人物じゃ無いの?
なお「百夜通い」伝説にはいくつもの後日談があり、謡曲などの題材になっています。
多くは強烈な未練や無念を抱きながら亡くなった深草少将の霊が成仏できずに・・・と言うようなものです。そう言えば随心院の住所は「京都市山科区小野怨霊御霊町35」コワッ!






一方、絶世の美女、モテモテだった小町にあやかる動きもありますね、化粧品会社が随心院をCMに使ったりということもあったそうです。
ちなみに裁縫に使う「まち針」は「小町針」の略で、男を寄せ付けずフリまくってた小町は実は男を受け入れられない体であった、という憶測。穴が無いというところからきているそうです。
逆にあまりにモテ過ぎで穴が空いてる間がない、いつも塞がってるとか・・・
「百夜通い」の異説でも、実は33日目に深草少将は死んでしまった。なら99個の榧の実は?計算が合わない。1日に3回も通ったことになる・・・そりゃ回数だよ。やりまくった挙句、少将は文字通り33日目で逝ってしまった。何てね。憶えなくてイイですよ、この話し。(^_^ゞ

母の日やのに何ちゅう不謹慎なことを!話しを換えて・・・

優れた歌仙であった小野小町、それにちなんで多くの人たちが書いた和歌が刻まれた石版が、随心院を囲む竹薮の小径に並んでいます。






随心院に行かれたらぜひ、この小町庭苑跡も行かれるとイイかも。
ただし「マムシ・スズメバチに注意」の看板が立ってますけど・・・



紅花常盤満作(ベニトキワマンサク)の木が満開で1本だけポツンとありましたが何か謂れでもあるのかな?









思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを

うたたねに 恋しき人を 見てしより 夢てふものは 頼み初(そ)めてき

いとせめて 恋しきときは むばたまの 夜の衣を 返してぞ着る





2011.4/29、小町庭苑にて。


16 コメント

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力作ですね (京男)
2011-05-09 04:41:12
今日は記事に力がはいっていますね。
このお寺すごい住所なんですね。
かぐや姫の話の真相みたいな話ですね。
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うん、うん。なるほど。 (7駆)
2011-05-09 09:20:26
納得。
誰かに話した~い

そんでもって小町庭苑跡に筍掘りに行こかな。
マムシ・スズメバチも恐れず。
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フムフム (jimmy.)
2011-05-09 09:31:11
小野小町、我が県にも謂れがあったり、他にも諸説あってなかなかおもしろいな・・・
と読みふけっていたら、いつの時代も色恋バナシは切っても切り離せないのねん。(^^)
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ミステリアス ☆京男さんへ (路渡カッパ)
2011-05-09 09:41:51
私らしくなく文字が多い?(^_^ゞ
小町ちゃん、まだまだ書き足りないほどミステリアスな伝説が山ほどありました。
かぐや姫のモデルなのか、後年小野小町をかぐや姫にダブらせたのか・・・
いっぱい面白い逸話があるもので。
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あかんあかん ☆7駆さんへ (路渡カッパ)
2011-05-09 09:47:01
品位を疑われますよ>穴話し。(^_^ゞ

筍、生え放題でした。勿体無い・・・直ぐ近くは住宅街なのに誰も掘らないのかな?
あの立て札は無闇に荒らされないための嫌がらせかも・・・
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みなさんの反応が ☆jimmy.さんへ (路渡カッパ)
2011-05-09 10:02:20
私には似合わない←ココジューヨウ! お下品なお話しで・・・(^_^ゞ
当時の和歌も受け取りようによっては、上品なエロ話し。
大らかだった当時の色恋がしのばれます。
小野小町に関わる伝承、伝説は全国に渡ってもっともらしく残っているのが面白いです。
日本人の性のカリスマ?
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Unknown (ピィ)
2011-05-09 18:43:23
なるほど「町」ってそういう意味だったんですね。
小町って語感から、美人の小町って下町美人ってイメージを持ってしまっていました。
でもこの時代にこの家柄だったら、思いっきり貴婦人ですね。
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十二単姿 ☆ピィさんへ (路渡カッパ)
2011-05-09 23:17:49
絵で見てもまさにお姫さま。宮中仕えと言っても身分は高そうですね。
和歌は多く残され、実在であったのは確かですが
出生などは謎に包まれたまま、だから余計に興味をそそられるのでしょうかね。

昨日はどもでした。謎のカッパ小屋をよくぞ探し当てられた
・・・さすがミステリー小説で鍛えられてますね。
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Unknown (aw@bitlog)
2011-05-10 07:28:43
事実というのは、けっこうそういうものかもしれないですね。
学校も、そんな風に教えてくれたら、歴史が好きになったかも(笑)。
これからも、カッパさんの自然体のオヤジ講義を期待します。(オヤジオンリー)
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Unknown (tansoku)
2011-05-10 17:37:01
ほうほう、なるほど。
相当モテモテですね。

僕には縁遠い話で。。。

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