いつだったけな、そうそう七福家に中華ランチを食べに行った日(3/2)です。
駐車場に戻るまでに平安神宮の前を通るので、ふらっと寄ってみました。
観光地として、今も修学旅行のルートなのかな『平安神宮HP』
ここを訪れる人のほとんどは、立派だね、綺麗だねと。お賽銭を投げて、手を
パンパンと・・・せいぜい、おみくじ、絵馬程度じゃ無いでしょうか。
HPにも>"観光"の「観」とは見物ではなくて「物事の本質をつかむ」ことです。
「光」はまさに神様や仏様のご神威です。つまり神社やお寺に参詣して
神の光り輝くご神徳をいただくことが"観光"なのです。>と書かれているように
宗教心はともかく、京都を、日本人のことを考え、学習するにはよい神社かも。
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建された新しい神社。
だからこそ分かりやすいってこともあります。『バーチャル参拝』
京の都は「四神相応」と讃えられています。平安宮を模して建てられた
平安神宮にも四神(しじん)信仰の形が見られます。
一般に四神相応の地とされるのは、東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、
南が広く開けた湿地帯であるのを「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、
北に高くそびえる山があるのを「玄武」とされていて、それぞれこの京都では
「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は無き巨掠(おぐら)池、
「白虎」は山陽道(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山とされています。
平安神宮でも平安京往時さながらに、大極殿の東には「蒼龍楼」
西には「白虎楼」が建てられ、四神信仰にそっています。
古来の中国天文学では、天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の
四大区画に分け、それぞれに四神を対応付けた。
これらを東方蒼龍(そうりゅう)・北方玄武(げんぶ)・
西方白虎(びゃっこ)・南方朱雀(すざく)と呼びます。
方位だけに留まらず、季節や年功にもあてがわれていますね。
春=蒼龍(緑・青)、夏=朱雀(赤・朱)、秋=白虎(白)、冬=玄武(黒)
若年期を「青春」、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を
「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現したりも。
会津藩では年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、
18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と軍構成していました。
会津藩が出てきたついでに、平安神宮創建にもかかわったであろう元合津藩士
山本覚馬(新島八重の実兄)が思い浮かびます。大河ドラマ「八重の桜」を
観られていた方ならよくご存知でしょうが。
維新後、荒廃しきった京都に留まり盲目、下半身不随ながら京都の復興に
尽力された、この人なくては今の京都は語れないほどです。
当時の京都は人口35万人が20万人に激減。それには天皇の東京行幸(未だに
帰ってこられない)が大きく関わっています。優秀な人材、会社などが
東京へ流出。急速に寂れました。残った者で勧業による復興をはかった。
そのリーダーが山本覚馬であり槙村正直(当時府知事)だったりします。
日本初の博覧会を今の京都御苑で開催したり、内国勧業博覧会(第4回)を
出来たばっかりの平安神宮、岡崎界隈で開催。英文の京都観光ガイドブック
なども作り(八重も手伝う)、国内外から100万人の入場者を呼びました。
それに合わせて、日本初の市街電車も開業。当時のチンチン電車は平安神宮
神苑に展示保管されています。
ボツネタだと言いながら、ちょっと語り過ぎかな。ここらにしときまひょ。
ガラリと話が変わって、ウチの花壇ですが・・・
折角植えたプリムラジュリアン、寒波や積雪でひどいことに。(・_・、)
でもね、よ~く見ると・・・
復興の兆しが♪ 新しい花芽が湧いてきています。ヽ(´∀`*)ノ
昨日は3.11、未曾有の大地震、津波によって多くの犠牲者が・・・
復興は遅く、風化は速いという声も聞かれましたが、希望を持って下さい。
京都も荒廃と復興を何度も繰り返した歴史があり、東京も大震災や大空襲の
焼け野原から復興し今の姿に。広島も長崎も・・・もちろんまだ記憶に新しい
阪神淡路大震災も復興を成し遂げてきました。ガンバレ東北!です。
動く日本列島、他人事じゃ無いですけどねw
もうひとつ、今日は寒波も去って、うららかな春の日和。
でも一昨日の京都は・・・
朝から雪が舞う・・・3月10日どっせ!
夕方には、うっすらと・・・どないなってるんやろ。(-。-;)
オマケ、旧1号線、今は府道に突如現れたスーパーカー軍団。なんで?
ところでスーパーカーと言えば、これスゴ過ぎ『アゲーラOne:1』
車名の「One:1」は、最高出力1メガワット(1000kw=1340PS)であることや、
パワーウェイトレシオが1kg/psであることに由来する。だって!
最高速440km/h(推測)やて、絶対気ぃ失うヮ・・・(゜ε゜;)
駐車場に戻るまでに平安神宮の前を通るので、ふらっと寄ってみました。
観光地として、今も修学旅行のルートなのかな『平安神宮HP』
ここを訪れる人のほとんどは、立派だね、綺麗だねと。お賽銭を投げて、手を
パンパンと・・・せいぜい、おみくじ、絵馬程度じゃ無いでしょうか。
HPにも>"観光"の「観」とは見物ではなくて「物事の本質をつかむ」ことです。
「光」はまさに神様や仏様のご神威です。つまり神社やお寺に参詣して
神の光り輝くご神徳をいただくことが"観光"なのです。>と書かれているように
宗教心はともかく、京都を、日本人のことを考え、学習するにはよい神社かも。
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に創建された新しい神社。
だからこそ分かりやすいってこともあります。『バーチャル参拝』
京の都は「四神相応」と讃えられています。平安宮を模して建てられた
平安神宮にも四神(しじん)信仰の形が見られます。
一般に四神相応の地とされるのは、東に清き流れがあるのを「蒼(青)龍」、
南が広く開けた湿地帯であるのを「朱雀」、西に大きな道が続くのを「白虎」、
北に高くそびえる山があるのを「玄武」とされていて、それぞれこの京都では
「蒼龍」が賀茂川、「朱雀」は干拓されて今は無き巨掠(おぐら)池、
「白虎」は山陽道(もしくは山陰道)、「玄武」は舟岡山とされています。
平安神宮でも平安京往時さながらに、大極殿の東には「蒼龍楼」
西には「白虎楼」が建てられ、四神信仰にそっています。
古来の中国天文学では、天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の
四大区画に分け、それぞれに四神を対応付けた。
これらを東方蒼龍(そうりゅう)・北方玄武(げんぶ)・
西方白虎(びゃっこ)・南方朱雀(すざく)と呼びます。
方位だけに留まらず、季節や年功にもあてがわれていますね。
春=蒼龍(緑・青)、夏=朱雀(赤・朱)、秋=白虎(白)、冬=玄武(黒)
若年期を「青春」、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を
「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現したりも。
会津藩では年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、
18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と軍構成していました。
会津藩が出てきたついでに、平安神宮創建にもかかわったであろう元合津藩士
山本覚馬(新島八重の実兄)が思い浮かびます。大河ドラマ「八重の桜」を
観られていた方ならよくご存知でしょうが。
維新後、荒廃しきった京都に留まり盲目、下半身不随ながら京都の復興に
尽力された、この人なくては今の京都は語れないほどです。
当時の京都は人口35万人が20万人に激減。それには天皇の東京行幸(未だに
帰ってこられない)が大きく関わっています。優秀な人材、会社などが
東京へ流出。急速に寂れました。残った者で勧業による復興をはかった。
そのリーダーが山本覚馬であり槙村正直(当時府知事)だったりします。
日本初の博覧会を今の京都御苑で開催したり、内国勧業博覧会(第4回)を
出来たばっかりの平安神宮、岡崎界隈で開催。英文の京都観光ガイドブック
なども作り(八重も手伝う)、国内外から100万人の入場者を呼びました。
それに合わせて、日本初の市街電車も開業。当時のチンチン電車は平安神宮
神苑に展示保管されています。
ボツネタだと言いながら、ちょっと語り過ぎかな。ここらにしときまひょ。
ガラリと話が変わって、ウチの花壇ですが・・・
折角植えたプリムラジュリアン、寒波や積雪でひどいことに。(・_・、)
でもね、よ~く見ると・・・
復興の兆しが♪ 新しい花芽が湧いてきています。ヽ(´∀`*)ノ
昨日は3.11、未曾有の大地震、津波によって多くの犠牲者が・・・
復興は遅く、風化は速いという声も聞かれましたが、希望を持って下さい。
京都も荒廃と復興を何度も繰り返した歴史があり、東京も大震災や大空襲の
焼け野原から復興し今の姿に。広島も長崎も・・・もちろんまだ記憶に新しい
阪神淡路大震災も復興を成し遂げてきました。ガンバレ東北!です。
動く日本列島、他人事じゃ無いですけどねw
もうひとつ、今日は寒波も去って、うららかな春の日和。
でも一昨日の京都は・・・
朝から雪が舞う・・・3月10日どっせ!
夕方には、うっすらと・・・どないなってるんやろ。(-。-;)
オマケ、旧1号線、今は府道に突如現れたスーパーカー軍団。なんで?
ところでスーパーカーと言えば、これスゴ過ぎ『アゲーラOne:1』
車名の「One:1」は、最高出力1メガワット(1000kw=1340PS)であることや、
パワーウェイトレシオが1kg/psであることに由来する。だって!
最高速440km/h(推測)やて、絶対気ぃ失うヮ・・・(゜ε゜;)
平安神宮は、信仰の対象というよりテーマパーク的。
だから観光にむいている。ありがたくないから気楽な感じがあいます。
四神相応なんて本場中国ではもうないでしょうね。
他国でなくなったもんが日本ではある。日本は特殊な国ですね。
平安神宮ってそんなに新しい神社だったんですね。
全然知らなかった。
スーパーカーに紫ってすごすぎ・・・。
超ド級のスーパーカー・・・
良く考えてみると貨物や二輪車は積載量や排気量で免許区分されているのに
軽や小型、普通乗用車に免許区分ないのはなんでかな?
あ、カッパさんの世代は軽自動車限定免許があったっけ
複雑な歴史が無いだけ分かりやすい気がします。
鬼門は陰陽道から来ている?確かあれは日本独自の発想ですね。
結局きっと後付けで、当てはめたものでしょうね。
ちなみに鬼門は比叡山だとか、これまた後付けっぽい。(^_^ゞ
平城遷都1300年祭で大極殿ができましたよね。
平安神宮もあれと似たようなものかな。
そう言えば、軽しか乗ったことのない18歳のおねぇちゃんでも
1340psのスーパーカーを運転してもOK・・・ちょっとオソロしいな!
私はそんなに古くは・・・って言いたいところですが、同学年に居たよ。16歳でラビットで取った2輪免許→軽免→普免ってやつが!
私は早生まれなので、その恩恵にあずかれず。
「ああ、NCってかっこええじゃん」
「乗らなきゃ!」って気持ちになります。
なので、私が乗り続けるためにも、
定期的に、アップお願いします!
お互いひつっこく乗り続けてますね。私はまだまだ乗りますよ♪
ぽ集でも意外とカッパーレッドは、残ってる気がします。飽きが来ないのかな?
あ、東の方では真っ赤になった方も居られますが・・・